こんばんにゃ〜北の猫男爵です。
僕の住む北海道で6日に起きた大地震から今日で3日目となりました。
今まで経験したことのない、大規模な停電が北海道全域で起こり、道民の生活に大きな支障をきたしました。
でも、命があることだけでも本当に幸せです。
震源地に近い厚真町を中心に多数の死者が出たことは本当に悲しく、やりきれない思いです。
自然の脅威に改めて人間の無力さを痛感します。
僕が最後にブログを更新した、わすが3時間後に今回の大地震が起きました。
僕はその時、台風21号の通過に伴い、かろうじて仙台の出張から札幌に移動後、ホテルで寝ている時でした。
本来なら、5日に新千歳空港に降り立ち、そのままJRに乗り、5日の夜には家族のもとに帰ってきているはずでした。
ところが、台風21号の影響でJRは運休…やむを得ず札幌市内のホテルで一泊している、そんなときに、あの大きな揺れに襲われました。
僕の部屋は11階、今まで体験したことのないくらいに揺れ、正直、死を覚悟しました…
すぐに遠く離れたところにいる妻に電話をして、お互いの無事を確認できたので良かったですが、その後に待っていることなど予測はできませんでした。
すぐさまテレビで地震情報を見ていると、いきなりテレビが消え、停電が起きました。幸い、ホテルは非常電源があるので真っ暗にはなりませんでしたが、すぐに宿泊客はロビーに集められ、いつ余震がくるか分からない恐怖に不安を募らせていました。
部屋に戻ったのは2時間後の午前5時半過ぎ、もちろんそこから寝ることなどできず、エレベーターが使えない中、11階から階段を降りては上り、降りては上り、外の状況を確認しに行きました。
朝とはいえ、交通量の多い札幌市内、信号機が点灯しない交差点は、いつ事故が起きても不思議でないくらい、車同士、あるいは歩行者や自転車の人々が、ギリギリですれ違っていました。
救急車や消防車の音があちこちで聞こえ、事の重大さが大きく感じられてきました。
情報はスマホから得るしかなく、11時にホテルをチェックアウトした後は、なくなるスマホの電池残量との戦いでした。
札幌駅に行くと、今まで見たことのないほどの数の人々が駅の中を埋めつくし、改札口にたどり着くのもやっとのことでした。
もちろん、JRが動くわけもなく、バスターミナルに行ってもバスも運休…
帰る手段がない中、ホテルも空きのあるホテルを探せず、僕は親戚(妻の叔母)の家にタクシーで向かい、泊めてもらうことにしました。
停電の中、水道とガスが使えたことは不幸中の幸いで、一晩叔母の家でお世話になりました。
駅や空港などで雑魚寝をしながら夜を過ごしている人もいるのに、布団で寝れることがこれほど幸せだと改めて感じました。
翌日になっても電気が復旧する見込みがない中、唯一の頼りのスマホの電池の残量が10%近くになる中、近所のコンビニで充電するためにコンセントを用意してくれたので、そこで何とか充電をすることができました。
交通機関の復旧の見通しもない中、職場の上司が迎えに来てくれることになり、さらに妻のいとこが上司が迎えに来る途中のところまで車で送ってくれたおかけで、昨日(7日)の夜に無事に自宅に帰ってくることができました。
すぐに待っていた妻と娘と息子に抱きつき、家族に会えた喜びを強く感じました。
職場の上司、そして叔母と従兄弟に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回のことで、家族が離ればなれの時に、災害が起きたら、いかに辛いか見に染みてわかりました。
仙台では台風の恐怖、そして札幌では地震との恐怖、まさかこんな辛い思いを立て続けにするとは夢にも思っていませんでしたが、今は何よりも無事に家族が一緒に、ひとつ屋根の下で寝れる幸せをかみしめています。
実は、僕が仙台に向かった出張する日、妻と娘と息子が駅までお見送りに来てくれたのですが、その時、息子が今まで聞いたことのないくらい大泣きして、ゆっくりバイバイもできずに僕は出張へと出発しました。
今思えば、あれは息子が今回の出来事を予測して、離れたくないと泣いていたのかもしれません。
皆さんも今回の震災で、きっと思うことがたくさんあったと思います。
今回の経験を必ず活かして、いつやってくるか分からない天災に備えていきましょう。
もう、他人事ではありません。天災は、誰のところにも必ずやってきます。
それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)
(今日の漢字)→「電」=電気の大切さを改めて感じました痛感しました。
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