野球

2024年8月22日 (木)

甲子園100年。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

8月も中盤から後半に差し掛かり、北海道は朝晩の空気が変わり、夏の終わりを徐々に感じるようになってきました。

しかし、全国的にはまだまだ暑さは厳しいものがありますし、これからの季節はそれに台風が加わる嫌な時期になってきますので、くれぐれもご注意ください。

さて、そんな中ではありますが、今年も「阪神甲子園球場」を舞台に全国の高校球児が集い頂点を競う「全国高等学校野球選手権大会」が開催されています。

今年で106回を数える伝統あるこの大会ですが、甲子園球場で開催されたのは第10回大会からです。

甲子園球場は1924年に開場したので、今年でちょうど100年という節目の年を迎えました。

甲子園で夏の大会が開催され97回目のこの大会ですが、これまでに幾多のスターたちが誕生し、その後はプロ野球やメジャーリーグの世界へと飛び立っています。

僕も幼少の頃から高校野球は大好きで、毎年夏休みは朝から晩までテレビにかじりついて中継を見ていました。

そして、これまで多くの感動や勇気をもらい、野球の素晴らしさを教えてもらったこの「甲子園」には強い思い入れがあります。

そんな甲子園で開催されている高校野球も、昨今の温暖化による猛暑などの影響により、「球児の健康を守る」ということを優先させ、試合方式や大会日程など様々な点でルール変更が行われてきています。

まだまだ問題点もあり、改善する要素は多々ありますが、これからはこのような柔軟な対応が求められる時代になってきたように思えます。

涼しいドーム球場等への開催地変更などの意見もありますが、やはり「甲子園」という存在は球児たちにとっては聖地、ここに来るために3年間汗を流すのが球児たちのモチベーションになっていますので、そこはなかなか難しい問題かもしれません。

ただ「甲子園100年」のこの機会にもっと多くの議論をしながら、今後の高校野球のあり方を話し合うのはとても良いことだと思います。

さて、そんな今年の大会は明日決勝戦を迎えます。

全国から集まった49の代表校の中から決勝に駒を進めたのは、東東京代表の関東第一高校と京都府代表の京都国際高校です。

どちらも勝てば初優勝という戦いになりましたが、明日は「甲子園」という夢の舞台で思いっきり悔いの残らないように全力でプレーをしていただきたいです。

高校野球でも今春から採用された低反発球の影響で、「打高投低」から「打低投高」へと高校野球の形態も変わりつつあります。

今までのようにホームランや長打の多い野球から、単打や足を絡めたいわゆる「スモールベースボール」へと高校野球もこのまま変わっていくのでしょうか・・・

まあ、高校野球の本来の野球の姿に戻ったと考えることもできますが。

いずにしても、どんな野球になったとしても僕の高校野球愛に変わりはないので、これからも高校野球を、そして高校球児を応援し続けていきます。

全国3441校の頂点に立つのは果たしてどちらの高校か、いよいよ明日「甲子園球場」でプレーボールです!

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僕も今から14年前の2010年に1度だけ、妻と甲子園球場に行ったことがありますが、またいつの日かあの場所を訪れる日が来ることを願っています。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の昭和の有名人しりとり)

「ラッツ&スター」→「たのきんトリオ」

1980年代前半にジャニーズ事務所のトップアイドルだった、田原俊彦、野村義男、近藤真彦の頭の文字をとって「たのきん」というトリオ名で活躍しました。

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2023年12月14日 (木)

赤から青に。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

既に報道されているので、日本中いえ世界中の方がご存知だと思いますが、日本が誇る偉大な野球選手、大谷翔平が来季からロサンゼルス・ドジャースでプレーすることが決まりました!

契約は10年契約で契約金は何と1015億円!

世界のスポーツ界を通じて史上最高額と言われている大型契約です。

契約の中身もオプトアウト契約が無しだとか、契約金の後払い式の契約だとか、色々な意味で話題の多いその内容が連日ワイドショーを盛り上げてくれています。

背番号もエンゼルスで慣れ親しんだ「17」に決まったことで、グッズ販売も始まり、その経済効果は相当なものが見込まれます。

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まだ12月とはいえ、野球ファンとしては大谷が実際にドジャーブルーのユニホームを着てプレーする姿を一日も早く見たいので、来年の開幕が今から待ち遠しいです。

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ちなみに、ドシャースには日本人選手のパイオニアである野茂英雄が初めてドジャーブルーのユニホームに袖を通して以降、これまでに9人の選手が在籍しました。

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斉藤隆、黒田博樹、前田健太、ダルビッシュ有などの日本が誇る豪華な投手陣たちが数多くプレーしています。

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中でも2002年~2004年にプレーしていた、石井一久(前楽天監督)は背番号「17」を付けてプレーしており、大谷にとってはドジャースの「17番」の先輩となります。

その「17番」を背負い、大谷がドジャースタジアムで活躍する姿を想像すると楽しみで仕方ありません。

肘の手術の影響で来シーズンは打者に専念ということになりますが、ナショナルリーグの並みいる強打者たちと競い合い、そして「大谷は、やっぱりスーパースターであった」ということを証明して欲しいと思います。

ユニホームは「赤」から「青」に変わります。

これは全く余談ですが、リトマス試験紙では赤→青はアルカリ性です(笑)

そんなことはさておき、これまでの赤一色のスタンドから青一色に染まったスタンドは、きっとこれまで以上の熱い声援によって球場は大きな盛り上がりをみせてくれることでしょう。

日本時間の明日12月15日午前8時から、大谷翔平の入団会見が開かれます。

大谷が公の場でコメントするのは、8月9日以来4ヶ月ぶりのことです。

大谷がどんな表情でどんな言葉を発するのか、日本のみならず全世界が注目です!

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ちなみに、ドジャースの監督のデーブ・ロバーツ氏はアメリカ人の父親と日本人の母親が持つハーフで、出生地は沖縄県那覇市です。

そして、顔が自民党の甘利さんに似ています。

そして、年齢がなんと51歳、僕の2個上(笑)

キムタクや中居君と同い年です(笑)

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao)

(今日の珍地名)

接待(せったい)→長野県小県郡長和町にある地名です。町中のみんなが接待が上手なのかも。

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2023年3月11日 (土)

12年前の思いを胸に。

こんにちにゃ〜北の猫男爵です。

いや〜昨日のWBCの韓国戦、興奮しましたね!

宿命のライバルであり、これまでWBCや五輪などの国際大会で幾多の名勝負を繰り広げてきた韓国との一戦には、いつもハラハラドキドキさせられますが、今回は13対4という思いもよらぬ結果での勝利でした。

序盤にダルビッシュが韓国打線につかまり、3点を先制された時はどうなることかと思いましたが、絶好調の近ちゃん(近藤健介)や、大谷翔平、吉田正尚など主軸が期待通りの活躍をして、打線爆発の13得点でした。

村上宗隆の調子がなかなか上がってこないのは心配ではありますが、きっとこのあと打ちまくってくれると信じています。

そんな中、昨日も大活躍をみせてくれたのがヌートバーです。

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攻守にファンを魅了させてくれましたし、すっかりチームにも溶け込み、お馴染みのペッパーミルのパフォーマンスも今日本中で大流行となっています。

巷では、ペッパーミルが品切れになるお店も出るなど、ヌートバーは経済効果をももたらしてくれています。

今日の試合も彼の活躍に大いに期待します。

そんな今日は3月11日、日本を襲ったあの悪夢のような出来事からちょうど12年という月日が経ちました。

そして12年前のあの日に震災に遭い、父親と祖父母を亡くした9歳の少年がいました。

その少年は計り知れない悲しみを背負い、母親と2人で支え合いながら、苦しみや辛さを乗り越えてきました。

そんな少年を支えてくれたもう1つのもの、それが野球でした。

『野球をしている時が一番楽しかった。夢中になれる時間というものがあったおかげで、大変な時も辛い時も頑張れた。本当に野球があって、野球が知れて良かった。』と、少年は当時を振り返り言っています。

そしてその少年は今、日本を代表するプロ野球選手になり、このWBCの舞台に今日デビューをします。

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そうです、当時9歳だったその少年の名は佐々木朗希。

あと数時間に迫った、今日のチェコ戦のマウンドに佐々木朗希は立ちます。

12年前にたくさんの人から勇気や希望をもらい、たくましく成長した少年は今、今度は逆にたくさんの人に勇気や希望を与える存在になりました。

12年前の思いを胸に今日、佐々木朗希はどんなピッチングを魅せてくれるのか、野球ファンにとって、そして日本中の方にとって、きっと今日は忘れられない一日になることでしょう!

佐々木朗希少年の光り輝く最高の笑顔を見たいです。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

今日の珍地名は今日はお休みします。

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2023年3月 8日 (水)

サブマリンと呼ばれた男たち。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

さあ!いよいよ待ちに待ったWBCの開幕が明日に迫りました!

まずは初戦の中国戦に勝って勢いをつけ、そして1次ラウンドを通過し、そのまま優勝へと突き進んで欲しいです。

そんな今日は、「WBC開幕記念特別編」として全3回でお送りする野球特集の最終回です。

第1弾は「足のスペシャリト」、そして第2弾は「スイッチヒッター」にスポットをあてましたが、今日の第3弾では「アンダースロー」という投手の投げ方に着目してみたいと思います。

アンダースローは時に「サブマリン投法」とも呼ばれます。

野球に興味のない方には何のことか全く理解できないと思いますが、野球のピッチャーの投げ方には大きく分けて3つの投げ方があります。

1つ目は腕を上から振り下ろす「オーバースロー」、まあこれが一般的に多く見る投げ方です。

次に腕を体のやや水平の位置から出して投げるフォーム、これを「サイドスロー」と呼びます。

そして、そのサイドスローよりもさらに低く、地面すれすれから投げるフォームを「アンダースロー」と呼びます。

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投げる際に体が沈むことや、ボールが下から上に浮き上がってくることから、潜水艦になぞらえて「サブマリン投法」と呼ばれるようになりました。

今日は日本のプロ野球界において、そんな「サブマリン」と呼ばれた男たちをご紹介したいと思います。

日本のプロ野球の歴史において、古くは皆川睦雄、杉浦忠、秋山登といった名立たる名投手が1960年代にサブマリンとして活躍しました。

彼らについては僕自身はリアルタイムでは見たことがなく、古い昔の映像などでしか拝見したことはありません。

僕が知っているサブマリンたちはその次の世代からで、中でも阪急のエースとして一時代を築いた山田久志が僕の中で「史上最高のサブマリン一」です。

小学生の頃は、よく彼のピッチングフォームのモノマネをして友達と野球で遊びました。

さらには、西武で活躍した「兄やん」こと松沼博久、彼も僕の中では非常に印象に残っている投手です。

そんな山田久志や松沼博久が引退した後、1990年代になるとサブマリンと言われたアンダースローの投手は球界からほぼ消え去るというじたいとなりました。

そんな中に登場したのが、ロッテの渡辺俊介です。

彼は歴代のサブマリンと言われた投手たちと比べても、最も低い位置からボールを投げる投手で、多くの打者がその投球に苦戦を強いられました。

そしてその武器はWBCという大舞台でも活かされ、彼はWBC日本代表として世界の強打者たちをきりきり舞いにしました。

2010年代になると、西武で活躍した牧田和久がサブマリン投法で活躍し、こちらもWBCの舞台で活躍しました。

そんな牧田も昨シーズンで現役を引退し、現役のサブマリンと呼ばれる男はソフトバンクの高橋礼、西武の興座海人、オリックスの中川颯の3人のみです。

※阪神の青柳晃洋は完全なるアンダースローではなく、どちらかというとサイドスローとアンダースローの中間なので、今回は除外します。

ちなみに巨人ファンの僕としては、2000年代に巨人にいた会田有志というアンダースローの投手を思い浮かべます。彼の父親はヤクルトで同じくアンダスロー投手として活躍した会田照夫なので、親子二代でサブマリンとしてプロ野球で活躍した珍しい例です。

アンダスローの長所はまずもってその絶対数が少ないので、相手バッターにとっては練習をすることができないことと、ボールの軌道が普通の投手とは違うので打ちにくいというところです。

短所としては、クイックモーションが難しいので盗塁をされやすい点や、球速がどうしても速くはないというところです。

しかし、シュートやシンカー、スクリューボールなど、サンダースロー特有の変化球を投げることができるため、打者にとってはなかなか打ちずらいことも事実です。

現在の現役3人のサブマリンには、ぜひとも山田久志や松沼博久、そして渡辺俊介のような先発完投型のエースと呼ばれるような投手に今後なって欲しいと願っています。

そして将来のWBCの舞台で、世界の強打者を手玉にとってくれることを祈っています。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の珍地名)

タットケー→ベトナム北部のランソン州トランデイン地区中心にある町です。なんか、お店や病院で待つ時も『立っとけ~』と言われそうな感じですね(笑)

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2023年3月 7日 (火)

器用な面々~左右両打~

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

いや~昨日のWBC日本代表の試合、大谷翔平の圧巻の2本の本塁打には本当に驚かされました。さすがはメジャーで本塁打王を争う技術ですね。

そしてヌードバーと吉田正尚も見事に活躍し、3人のメジャーリーガーが加わったことで、これまで不安視されてた打線もこれでひと安心といったところです。

WBCの開幕も2日後に迫り、いよいよ開幕モードに突入です!

そんな今日は先日からスタートした「WBC開幕記念特別編」の第2弾をお送りします。

第1弾では「足のスペシャリト」ということで「足」にスポットをあてて、過去のプロ野球で活躍した選手をご紹介しましたが、今日の第2弾でスポットにあてるのは、「左右両打」通称「スイッチヒッター」です。

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人間には必ず「利き手」や「利き足」というものがあり、生活する上では必ずその「利き手」や「利き足」が重要になります。

そしてそれはスポーツにおいてもそうであり、必ず「利き手」や「利き足」というものが存在します。

ただ、中にはどちらもバランス良く使えるという器用な人もいます。

あのダルビッシュ有はもともとは右利きですが、以前から練習で左でボールを投げたりしてキャッチボールしたりしています。

体の体幹やバランスのことを考えると、左右均等に筋力を使うことは非常に大切な事です。

そこで今日はプロ野球の中で「左右両打」ができる器用な面々をご紹介していきたいと思います。

僕が子供の頃は「スイッチヒッター」のプロ野球選手はたくさんいて、各球団に1人ぐらいはいたようなイメージがあります。

しかし、昨今の野球では「スイッチヒッター」が激減し、現役のプロ野球選手ですぐ浮かぶ選手といえば、西武の金子侑司、巨人の若林晃弘、楽天の田中和基ぐらいしか思い浮かびません・・・

野球のスタイルが20~30年前とは変わったということもあるのかもしれませんが、僕が思う1つの要因にはイチローというスーパースターの登場で右投げ左打ちの子供達が一気に増えたことも1つの要因ではないかと推測しています。

基本、子供と言うのは憧れの選手の真似をすることから始まりますからね。

というわけで、今日は僕が思い出に残っている過去のプロ野球選手の中から「スイッチヒッター」の器用な面々をご紹介したいと思います。

まず、僕が幼少の中で一番凄かったと思う「スイッチヒッター」の選手、それは松永浩美です。

1980年代に阪急で活躍した彼は、左右どちらでも広角に打ち分けるシュアなバッティングで打率も出塁率も高い中距離打者で、また守備力や走力もあったので、パリーグのスター選手としてプロ野球を盛り上げてくれた存在でした。

さらに、同じ年代の「スイッチヒッター」といえば、広島の高橋慶彦、山崎隆造、正田耕三、この3選手はいずれも足も速く、なおかつ打率も良いので、この「スイッチヒッタートリオ」が並ぶ広島の1番から3番は非常に相手チームにすると脅威でした。

この時代には大洋の屋敷要、巨人の松本匡史、ロッテの西村徳文、中日の平野謙など数多くの「スイッチヒッター」がいまいしたが、彼らに共通するのは足が速く小技も使えるということで、当時は「スイッチヒッター=足が速い」というイメージがありました。

そんな中、巨人にいた助っ人外国人のレジー・スミス、彼は長打力も持ち合わせた元メジャーリーガーで巨人の優勝に大きく貢献してくれました。

そして1990年代初期に来日し西武黄金期を支えた助っ人外国人のデストラーデ、僕の中では彼は外国人選手の中では「史上最強のスイッチヒッター」です。

外国人選手でいえば、日本ハムのセギノールや大洋のレイノルズも良いスイッチヒッターでしたが、デストラーデにはやっぱり敵わないです。

そして、1990年代後半~2000年代に入り、日本人選手の中でも素晴らしいスイッチヒッターが登場しました。

それが西武の松井稼頭央です!

西岡剛(ロッテ)も凄く良い選手でしたが、やはり総合的には松井稼頭央は頭1つ抜けた「スイッチヒッター」だったと思います。

走攻守と三拍子揃った松井稼頭央は、日本プロ野球の歴史の中で、唯一「スイッチヒッターでトリプルスリー」を達成した選手です。

今までの僕の見解を総合的に判断いたしまして、僕の中での歴代最強スイッチヒッターの順位をつけますと、

第5位 西岡剛

第4位 レジー・スミス

第3位 松永浩美

第2位 デストラーデ

そして第1位は!

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松井稼頭央です!

やはり、単打のみならず長打力も兼ね揃えたあの打撃、さらには抜群のスピードもあり内安打も量産できるあたりも「史上最高のスイッチヒッター」だと思います。

ちなみに彼はもともとは高校時代(PL学園)は投手であり打席も右打席で、プロに入ってからスイッチヒッターに転向したので、その適応力からみても非常に器用さをもった選手であることもわかります。

僕的には「スイッチヒッター」という存在は、野球の中では非常に重要なポイントであると思っているので、今回のWBCメンバーにスイッチヒッターがいないこと、というか、選ばれるようなスイッチヒッターが現代の野球界にいないこと、もっといえばスイッチヒッターの選手じたいの絶対数が少ないことに非常に寂しさを感じます。

もしもこれから野球を始めようとするお子さんがいるのであれば、ぜひ「スイッチヒッター」に挑戦させてみてはいかがでしょうか。

野球界では非常に貴重な存在ですので。

ちなみに、僕も幼い頃から野球をしていまして、もともとは右打ちだったのですが、中学の野球部の時に1年生の秋からスイッチヒッターにチャレンジしてみました。結果は数ヶ月で断念することになりましたが、その時にスイッチヒッターというものの難しさは身をもって痛感しました。

やはり人間には左右の癖というものがあり、それを無くすには幼い頃からの体幹が非常に重要だと思います。そのへんを踏まえて、お子さんのいる方にはまず体幹を鍛えることをお勧めします。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の珍地名)

トロントロン→日本の宮崎県児湯郡川南町というところにある地名です。その地名の由来は諸説ありますが、湧き水からの水の音が「トロントロン」と聞こえるので名前がついたという説もあります。

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2023年3月 5日 (日)

足のスペシャリスト。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

野球ファンにとっては待ちに待ったWBC2023の1次ラウンドの開幕が、いよいよあと4日後に迫ってきました。

今回の日本代表「サムライJAPAN」のメンバーは史上最強ともいわれ、大谷翔平やダルビッシュ有などの現役メジャーリーガーも参加し「世界一奪還」に向けて着々と準備が整っています。

もちろん、日本プロ野球界からも村上宗隆(ヤクルト)や佐々木朗希(ロッテ)をはじめ、日本トップの選手たちが集結し、世界の強豪相手にどんな戦いをするのか非常に期待に胸が膨らんでいます。

そこで今日は開幕を前に「WBC開幕記念特別編」として今日から全3回に渡り、ちょっとマニアックにはなりますが、コアな野球ファンに喜んでいただけるような企画をご用意いたしました。

エースや4番打者のようないわゆる「花形」とは違い、ちょっと目線を変えたポジションというか役割の存在にスポットを当ててお話していきたいと思います。

その第1弾である今日スポットを当てるのは「足」です。

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日本がこれまでWBCで戦ってきた中でも言われてきた、いわゆる「スモール・ベースボール」その基盤となるのが走力です。

足を使っていかに次の塁を奪っていくか、そこに日本の勝ちに結び付くポイントがあると思われます。

過去の戦いをみても盗塁はもちろんのこと、相手のわずかなミスにつけこむ走塁が勝利を導いているのも確かです。

今回のメンバーの中にも、周東佑京(ソフトバンク)といういわゆる「足のスペシャリト」がいます。彼が1点を争う試合終盤に代走として登場して、いかにその役割を果たせるかは非常に楽しみなところです。

過去の日本プロ野球には通算1065盗塁という偉大な日本記録を持つ福本豊や、セリーグの年間最多盗塁数を持つ松本匡史、5年連続盗塁王の赤星憲広、スーパーカートリオとして活躍した屋敷要など幾多の快足選手たちがいました。

そこで今日はそんな「足のスペシャリト」にスポットをあて、僕が「過去のプロ野球選手の中でこの選手は足がめちゃくちゃ速かった」と思う選手を7人厳選しましたので、僕の思い出とともにご紹介したいと思います。

僕の中では、これからご紹介する7選手のことを「足セブン(7)」と呼んでいます。

それでは早速ご紹介していきましょう。

まずは代走での通算盗塁数歴代最多を誇る巨人で活躍した鈴木尚広です。

「足のスペシャリト」という言葉から、まず真っ先に彼のことが思い浮かんだ方も多くいたのではないでしょうか。

現役15年間で積み重ねた盗塁数は228個、そのうち代走での盗塁は実に132個です。

また、通算盗塁成功率も通算200個以上の選手の中では歴代最高なので「盗塁で一番失敗をしない選手」ということです。

巨人ファンの僕としては彼がベンチに控えていて、大事な終盤に1点を取りに行く時に登場してくれると非常にテンションが上がったことを今でも覚えています。

続いて2人目の選手は、こちらも元巨人の選手になりますが栄村忠広です。

1軍で活躍したのは実働1年と非常に短いのですが、僕の中では背番号「66」のあの快足は鮮明に目に焼き付いています。

残念ながら札幌の円山球場で吉村禎章と交錯してしまい、結果として吉村が大怪我をしてしまったことがファンの記憶に強く残ってしまってはいますが、僕的にはあのことがなければ栄村はプロ野球界を代表する「足のスペシャリト」になっていたと思っています。

ちなみに彼は東京ドームでの公式戦初盗塁の選手であったり、代走の際に投手からの送球が頭部に当たり負傷し、それを機に走者へのヘルメット着用が義務化になるなど、プロ野球の歴史にしっかりとその爪痕を残しています。

巨人ファンの僕にとって栄村は大好きな選手でした。

続いて3人目の選手は、広島東洋カープで活躍していた今井譲二です。

古くからのカープファンにとっては、誰もが知っている名選手だと思います。

プロ生活11年間のそのほとんどが代走で起用され、通算打席数はわずか31打席という本当のプロ中のプロの代走です。

当時の広島には高橋慶彦や山崎隆造、正田耕三など足の速い選手がいたのにもかかわらず、その選手たちの代走として登場するほど彼の足の速さは凄かったです。

巨人ファンの僕としては、試合終盤に彼が代走として出てくると非常に嫌だったことを今でもよく覚えています。

続いて4人目の選手は、ヤクルトで活躍した青木実です。

若い頃は守備固めや代走が主な出番でしたが、主力の怪我などにより先発出場をするようになった1981年には盗塁王のタイトルを獲得する韋駄天ぶりでした。

僕の記憶ではただ速いだけでなく、盗塁のテクニックに非常に長けていた選手だと思います。

「ヤクルトの背番号50は足がめちゃくちゃ速い選手だった」というのが、当時小学生だった僕の記憶にしっかりと焼き付いています。

続いて5人目の選手は、こちらもヤクルトで活躍した城友博です。

彼については僕は習志野高校の1番打者として甲子園に出場した時から注目していた選手で、当時の甲子園での足の速さが忘れられなくて、絶対にプロでも「足のスペシャリスト」として活躍すると子供ながらに思っていました。

プロでもその自慢の快足は通用していたのですが、交通事故によるケガが選手生命に影響し球界を去ることになりました。

僕の中ではあの甲子園での足の速さ、そしてプロ入団当初の走力は「足のスペシャリト」にふさわしい走りでした。

続いて6人目の選手は、広島、西武、ヤクルトで活躍した福地寿樹です。

彼のことは野球ファンはもちろんご存じの通り、俊足好打の名選手でした。

プロ入り15年目にして初めて規定打席に到達したことから「遅咲きの星」とも呼ばれていました。

盗塁王を2度獲得したその足は相手チームにとっては本当に脅威でしかなく、相手が嫌がる選手でもありました。

通算盗塁数は251個ですが、僕の印象ではその数字以上にその足の速さが印象的な選手でした。

そして最後にご紹介する7人目の「足セブン」は、日本ハムで活躍した川名慎一です。

彼も代走として起用されることが多かった選手ですが、多くの評論家がその球界屈指の快足を絶賛していました。

あの屋敷要も『自分よりも足が速いと思うのは川名だけ』と言っていたほどで、打撃力なども伴い良い指導者に巡り合えていれえば、もしかするともの凄い選手になっていたかもしれません。

これが僕が思う「足セブン」の7人です。

振り返ると、どの選手にも懐かしい思い出があり、改めて『野球は良いな~』と思います。

野球は「打つ、投げる、守る」だけでなく「走る」ということも非常に重要なポイントのスポーツです。

まもなく開幕するWBCも、ぜひ、その「足」に着目してご覧になってみてください。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の珍地名)

クサイ島→グアムの南東に位置するミクロネシア連邦の一番東にある島です。現在はコスラエ島と名称が変わったようですが、なんかクサイ島と聞くと、行くのをためらってしまいますね(笑)

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2023年2月 1日 (水)

次は野球の番です。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

今日から2月のスタートです。

2月1日と聞くと、僕はどうしても身が引き締まりる特別な感情を抱きます。

たぶん野球に興味のある人であれば、すぐにおわかりですよね。

2月1日はプロ野球のキャンプイン、野球選手にとっては「元旦」、つまり1年の始まりです。

もちろん僕自身プロ野球選手ではありませんが、朝野球をしていた頃は、20代の時から自分でトレーニング計画を作り、2月1日のキャンプインに合わせてトレニーングを開始してシーズンインに向けて汗を流していました。

なので、今でも2月1日を迎えると身が引き締まる思いを感じます。

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そんなプロ野球ですが、今年は3月に野球の世界一を決める大会であるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が開催されます。

これまで日本代表は2006年の第1回大会、そして2009年の第2回大会と世界一に輝き、日本の野球の力を全世界に示してきました。

イチローを中心に、松坂大輔、そしてまだ若きダルビッシュ有、田中将大などが活躍し、日本中に感動と勇気を与えてくれ、野球の素晴らしさを伝えてくれた時代でした。

その後、2013年と2017年の大会は惜しくも準決勝で敗退しましたが、今回6年ぶりにWBCが開催される運びとなりました。

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栗山監督のもと、先日発表された30名の侍JAPANのメンバーにはメジャーリーガー5名を含め、そうそうたるメンバーが選ばれています。

何としても3大会ぶりの復権に向けて、日本の野球の力を世界中に示して欲しいと思います。

中でもやはり大きな期待を寄せたいのが、日本が誇る世界的スター選手、大谷翔平です。

投打で侍JAPANを引っ張り、日の丸をつけて彼が躍動する姿を楽しみにしています。

さらには令和の三冠王・村上宗隆、令和の怪物・佐々木朗希という日本プロ野球を引っ張る若きスターたちにも大きな期待をしています。

そして、久しぶりに侍JAPANに帰ってきたダルビッシュ有の活躍も見逃せません。

いずれにしても、3月のWBC開幕が非常に楽しみで仕方ありません。

昨年はサッカー日本代表が、W杯で世界を相手に立ち向かい見事な活躍を見せ、日本中に大きな感動を与えてくれました。

次は野球の番です!

ぜひとも、侍たちの熱き魂で日本を野球フィーバーにして欲しいと願っています。

頑張れ、侍JAPAN!

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の珍地名)

『ハゲ』(下渓)→韓国ソウルにある町で「下渓」と書いて=「ハゲ」と読みます。なんとなく、髪の薄い人の前で『今度ハゲにでも行く?』とか、『ハゲにさ、良いお店あるんだよね!』とか言いずらそうな町ですね(笑)日本になくて良かったです。まあ、僕も気を使われるほうの立場なんですけどね(笑)

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2022年12月11日 (日)

サンデー兆治。

こんにちにゃ~北の猫男爵です。

ちょうど1ヶ月前の令和4年11月11日の朝、スマホにニュース速報が表示されました。

そこには「元プロ野球選手の村田兆治さん宅で火災、村田さんの死亡が確認された」という衝撃的なニュースでした。

その1ヶ月半ほど前の9月23日、羽田空港で女性保安検査員への暴行容疑で村田兆治さんが逮捕されたというニュースもあまりにも衝撃的でしたが、この立て続けに届いた悪い知らせに、僕は本当に驚きを隠せませんでした・・・

村田兆治さんという人物は、野球にそんなに詳しくない方にとってはただの70歳を超えた高齢者にしか見えないのかもしれませんが、野球を知っている人にしてみれば、偉大な選手であり、その選手がこの数ヶ月の間に、逮捕、そして死去というのは、信じられない出来事です。

火災の原因もいまだに不明で、ネットでは、認知症だったとか、精神的にうつ状態だったとか、それがもとで自分で放火したことによる自殺だったなどと書き込まれていることも目にします。

実際、真実は村田さん以外誰も知ることができないのかもしれませんが、いずれにしても野球少年だった僕にとっては凄く寂しく悲しい村田さんの最期です・・・

村田さんのことを知る人たちがみんな口をそろえて言うのは、「曲がったことが大嫌いな実直な性格」だということです。

良く言えば「一本気で裏がない」、悪く言えば「頑固で融通が利かない」。

その取り方によって、人の見方は様々かもしれません。

それは人の性格のことなので、僕はとやかく言いたくはありませんが、引退後も鍛錬を欠かさず、60歳を超えても130kmを超える速球を投げていた村田さんの姿をニュースなどで度々見ていると、この人は本当に根っからのアスリートであり野球人なんだなあと思いました。

とにかく、歳を重ねて衰ていく自分がきっと嫌だったのでしょうし、歳のせいにして自分に負けるのが嫌だったのだったと思います。

どんなことにも全力投球、絶対に手を抜かない、それはそれで立派な信条だと思います。

彼が引退後に力を入れていた「離島甲子園」という活動。

これは全国各地の離島を巡り、離島の子供達に野球を教えて振興活動を行うという素晴らしいものです。

村田さんが亡くなる前に行われた今年のドラフト会議では、村田さんが直接指導した、鹿児島県の奄美大島出身の大野稼頭央投手が、福岡ソフトバンクから4位指名を受け、先日入団会見が行われました。

会見の席で大野選手は「全試合先発完投」という目標を色紙に書いてみせました。

これは、亡くなった村田さんの座右の銘「人生先発完投」という言葉を受け継いだ証です。

大野選手が中学生だった当時、村田さんから『とにかく自信をもってマウンドに上がりなさい』と言葉をかけられたそうです。

そんな村田さんの言葉を今もリスペクトして、『これからも頑張る』と彼は言っていました。

きっと村田さんの思いは、彼がプロのマウンドで継承してくれるはずです。

今日はちょうど日曜日です。

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僕が小学生の頃、村田さんは日曜日になると必ず先発し、そして勝ち続けました。(日曜日に限って7連勝で、開幕から11連勝という記録を残す)

当時「サンデー兆治」と呼ばれ、僕たち子供達は毎週日曜日が楽しみでワクワクしていました。

実は村田さんは肘に故障をかかえ、今では当たり前となりましたが、当時は肘にメスを入れるのは投手生命の終わりだと思われていた手術(トミー・ジョン手術)を受けたのです。

その後、2年間をリハビリに費やし、そして奇跡の復活を遂げ、「投手でも肘にメスを入れても復活できる」ということを証明してくれたのです。

その結果、肘への負担を少しでも軽減するために中6日の登板間隔を空けたために、毎週日曜日に登板する「サンデー兆治」が誕生したのです。

こうして考えると、村田さんが勇気を持って先駆者となり手術にチャレンジした功績は大きなものがあり、今のプロ野球の発展にも大きく貢献したと言っても僕は間違いではないと思っています。

プロ通算215勝の「マサカリ投法」と呼ばれた豪快なフォームはもう見ることができませんが、その記憶は僕や野球を愛する人の心にいつまでもしっかりと焼き付いていることでしょう。

どうか、安らかに天国で暮らしてください。

きっと今頃は、カネやん(金田正一さん)や、ノムさん(野村克也さん)と野球の話で盛り上がっているのではないでしょうか。

野球少年だった僕からは『ありがとう、サンデー兆治!』と心から御礼を言いたいと思います。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の名曲しりとり)

『人魚』→『夜明けのMEW』(小泉今日子)

キョンキョン大好きの僕にとっては、キョンキョンの曲の中でもかなり上位にランキングされる大好きな曲です。めっちゃ可愛かったな~

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2022年8月14日 (日)

夏の組み合わせ抽選。

こんばんにゃ〜北の猫男爵です。

今、阪神甲子園球場では僕の大好きな高校野球、第104回全国高等学校野球選手権大会が開催されています。

今年の夏も、全国の代表となった47の高校が真紅の大優勝を目指し、連日熱戦を繰り広げています。

自分で言うのもなんですが、僕は幼少の頃から高校野球に関しては人並み外れた興味と知識があり、当時4000校以上あった全国の地方大会参加校を全て覚えたこともありました。

この高校野球のおかげで、僕は社会科の地理が大得意になり、知らない地名が出ても、高校野球の学校名を覚えているので、すぐにどの都道府県か答えれるほどでした。

そんな高校野球の中でも、僕がいつも楽しみにしていたのは、組み合わせ抽選です。

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とはいっても、大会前に行われる写真のような組み合わせ抽選ではなく、大会が進み2回戦、3回戦の対戦を決める組み合わせ抽選のことです。

現在は大会前の組み合わせ抽選で3回戦までの組み合わせは決まってしまいますが、以前は違いました。

僕の記憶が確かなら、大会5日目の第2試合終了後にグランド内で残りの2回戦の組み合わせ抽選が行われ、大会9日目の第1試合終了後に今度は3回戦の組み合わせ抽選が同様にグランド内で行われ、準々決勝第1試合終了後に準決勝の組み合わせ抽選が行われていました。

グランドには試合の無い高校の主将が制服姿で現れ、試合後の高校の主将はユニフォームのままクジを引いていました。

その模様というか画像が無いか色々調べましたが、残念ながら見つからないので言葉だけで説明させていただきます。

抽選の結果、対戦カードが決まると、場内からどよめきや拍手がおこったり、テレビで見ている僕もいつもドキドキしながら見ていました。

優勝候補とされている高校同士が当たったり、北海道や東京のように2校が代表になっている高校が当たったり、あるいは注目の投手と打者がいる高校が当たったりと、色々な興奮と楽しみがありました。

現在は、なるべく日程的に同じ高校が連日試合にならないように組み合わせ抽選が行われていますが、昔は前日の第4試合しかもナイターになるくらいの遅い時間に試合をして勝ったチームが、翌日の第1試合朝8時にはまた試合をしているというケースもありました。

例えば2回戦最後の試合の勝者が3回戦最初の試合になる場合や、3回戦最後の試合の勝者が準々決勝第1試合に登場する場合など。

選手には酷だったかもしれませんが、これが夏の甲子園大会の組み合わせ抽選の醍醐味でもありました。

ちなみに春の選抜大会は、完全にトーナメント方式なので大会途中に組み合わせ抽選をすることはありません。

夏の組み合わせ抽選、今日は懐かしき昔のことを思い出しながら、そのことをお話させていただきました。

甲子園では、今日ベスト16が出揃いました。

今年の夏の選手権大会、果たして全国高校野球球児の頂点に立つのはどの高校になるのか!

明日からの熱戦をさらに楽しみにしている猫男爵でした。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の名曲しりとり)

『今すぐKiss Me』→『みずいろの雨』(八神純子)

1970年代後半を彩ったシンガーソングライター八神純子の代表曲です。

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2021年11月15日 (月)

「BIG BOSS」

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

2006年秋、1人のスーパースターが日本プロ野球界を去ってから15年、遂にあのスーパースターが球界に帰ってきました!

僕自身の率直な感想は「ずっと待ちわびていた恋人にやっと会えた」という感じでしょうか。

15年間ずっと切望していた新庄剛志氏の球界復帰が実現し、今僕の胸の高鳴りはとどまることをしりません。

しかも「監督」として、いえ「BIG BOSS」として球界に戻ってくるなんて夢のような話です!

でも、これはもう夢ではない現実なんですね。

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去る4日に行われた就任会見は、SHINJOらしさが満載に織り込まれ、やっぱり彼は「スターの中のスターなんだな~」ということを改めて感じさせられました。

彼の言葉1つ1つからは、大好きな野球に対する情熱と、そしてやや盛り上がりにかけている今のプロ野球界全体に対する変革というものが、あらゆるところに感じられ、一字一句聞き逃すことができない会見でした。

僕猫男爵は47歳で、「BIG BOOS」は49歳(来年1月で50歳)ですから、学年でいえば3つ違い、年齢的にはそんなに離れてはいないのですが、僕の中では彼は「永遠のスーパースター」であり「憧れ」でもあります。

大学を卒業して社会人となった22歳から始めた朝野球で僕は、リストバンド(※)は新庄が日本球界時代に使用していた赤、そしてメジャー時代(メッツ時代)に使用していたオレンジにして、背番号も新庄と同じ「1」を選び、憧れの「SHINJO」になりきりました。ただし僕の場合はポジションはピッチャーでしたが(笑)

※野球に詳しい方もいると思いますので補足ですが、ピッチャーのリストバンドは禁止ですので、僕の場合は打席の時のみ使用、もしくはピッチャーでないポシションの時にリストバンドを使用していました。

彼が何かパフォーマンスをするたびに、僕もそれを朝野球で真似をして(できる限りの範囲で)楽しみました。

そんな憧れのスーパースターが来シーズンから北海道日本ハムの監督としてグランドに立つのですから、今、正直、僕の中で「ジャイアンツ愛」が少しだけ揺らぎつつあります・・・

「北海道日本ハム愛」というよりは「SHINJO愛」がグングンと上昇し、「ジャイアンツ愛」を脅かしそうです・・・

そんな「BIG BOSS」は先日まで沖縄で行われている秋季キャンプを視察に行っていました。

彼が動くだけで報道陣が殺到し、連日トップニュースで報道されました。早速、新庄効果発揮です。

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選手たちも「BIG BOSS」にアドバイスをもらえるだけでモチベーションが上がり、目の輝きが今までとは全然違うように見受けられました。

「メンタル的なことに関しては、僕はものすごく引き出す力があるんです。」

会見で述べた「BIG BOSS」のあの言葉は嘘でないことが即座に証明されました。

就任からまだ10日ぐらいしか経っていないのに、これだけ日本中が注目して盛り上がる、それはやはり彼が15年経った今もスーパースターであるという証です。

選手としての当時の新庄剛志の活躍を知っている人も、まだ新庄剛志をそれほど知らない若い世代の人も、これからどの世代の方も必ず彼の虜になることは間違いないと思います。

まだ日本シリーズも終わっていないので大変申し訳ありませんが、今から既に来シーズンの開幕が待ち遠しくて仕方ありません。

ちなみに我が家では、やはり今このポーズが大流行です(笑)

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まあ、といっても流行っているのはいつものごとく僕だけなんですけどね(笑)

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の誕生日三人衆)

①パトリック・エムボマ【元カメールーン代表のサッカー選手で、Jリーグでもガンバ大阪などでプレーし、その身体能力の高さに度肝を抜かされました】(51歳)

②渋野日向子【女子プロゴルファーで、2019年の全英女子オープンでは日本人選手として42年ぶり史上2人目の海外メジャー優勝という快挙を達成し、一躍有名になりました】(23歳)

③平良海馬【埼玉西武ライオンズ所属のプロ野球選手で、今シーズンは連続登板無失点記録39試合という日本プロ野球記録を樹立し、東京五輪にも出場しました】(22歳)

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