野球

2026年3月 6日 (金)

西大立目永。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

3月に入り、湿った重い雪が降り、うんざりしている方も多いかと思いますが、気温がだんだんと高くなってきたので、雪が解けるのも時間の問題だと思います。もう少しの辛抱です、春はもうすぐそこです。

そして、そんな春の到来を告げるのが、阪神甲子園球場で開催される選抜高校野球大会です。

今年も全国から選ばれた32校により、3月19日から12日間に渡り、熱き球児たちの戦いが幕を明けます!

既に開幕しているWBCと重なり、今年は春から野球で盛り上がりそうです!

そんな選抜高校野球大会の組み合わせ抽選会が今日行われ、いよいよ相手も決まり初戦へ向けて各校が本番モードに突入です。

僕も開幕が今か今かと待ち遠しく感じています。

そんな今日は高校野球の話題に触れてみたいと思います。

まず、今日のブログの題名を見て、皆さんは『何だろう?』と思ったはずです。

もしかすると、高校野球マニアの方であれば気づいたとは思いますが、「西大立目永」これは人の名前です。

正確には「西大立目」までは姓で、「永」が名です。

読み方は「西大立目(にしおおだちめ) 永(ひさし)」と読みます。

僕は幼少の頃から高校野球観戦が大好きでしたので、もちろん春と夏の高校野球もテレビで毎日見ていました。

そして試合の中で、変わった名前の審判がいることも気づていました。

それがこの西大立目さんです。

昔の甲子園球場は今のようにスコアボードが電光掲示ではなく、字を書いた看板を取り換えるようなシステムだったので、看板に縦書きで「西大立目」と枠いっぱいに書かれていたのを今でも鮮明に憶えています。

そして、当時の実況アナウンサーも審判の紹介で西大立目さんを紹介する際に、なかなか言いづらそうに喋っていたのも記憶にあります。

その西大立目さんですが、名前のインパクトだけが目立ってしまいますが、あっ!「目立」っていう字、西大立目さんの二文字が入っていますね。

西大立目さんって、逆から読めば「目立つ大西」だ!

まあ、どうでもいいことですけどね(笑)

すいません、話が脱線してしまいました。

話を戻しますが、その西大立目さんですが自身も野球を経験者で、早稲田大学でも野球部に所属していたそうです。

卒業後は早稲田大学の教授を務める傍ら、六大学や社会人野球の審判員を務め、1968年に日本高等学校野球連盟全国大会審判委員に就任しました。

教授としては大変礼儀に厳しく、容赦なく学生に「不可」を言い渡す厳格な教授だったそうです。

それは審判員としても同様で、球児たちにも厳しく接し、攻守交代時にゆっくりしている選手には『早く守備に着きなさい!』と言ったり、牽制球の多い投手には『何回も無駄な牽制をするな!』と注意をしたこともあったそうです。

有名なエピソードとしては、1980年代の国民的スーパー球児だったKKコンビの桑田、清原がいたPL学園対東海大山形の試合で、大差がつき投手として登板した清原が初球にカーブと投じた際に、『真ん中、真っ直ぐを放りなさい!』と言ったそうです。

これは清原がルール上、何かに違反していることは一切ないのですが、「大差で勝っているのだから堂々と真ん中直球で勝負しなさい」という西大立目さんなりの、相手に対する礼儀を重んじた発言だったのかもしれません。

この他にも、サイズが大きめの帽子を被って投球していた投手が、投げるたびに帽子が脱げるのを見て、『帽子にあご紐をつけなさい!』と発したというエピソードもあります。

いずれにしても、今だと選手に対する問題発言と受けとられても仕方のないことも多々ありますが、当時はこのように厳格さも持つのが審判として当然の威厳だったのかもしれませんね。

ただ、西大立目さんは審判員としての技量はとても高く評価されており、審判員としてゲームをコントロールすることには非常に長けていたそうです。

それを示すように、西大立目さんが審判を務めた試合には

①怪物・江川卓が雨の中でサヨナラ四球を与えた1973年夏の甲子園2回戦「作新学院VS銚子商」(3麗塁審)

②池田高校が水野を擁し、夏春連覇を成し遂げた1983年春の選抜決勝戦「池田VS横浜商」(球審)

③その池田高校が桑田・清原の1年生コンビで活躍したPL学園に負けた1983年夏の甲子園準決勝「PL学園VS池田」(1塁塁審)

④桑田・清原が2年生時に取手二高に敗れた1984年夏の甲子園決勝戦「PL学園VS取手二高」(3塁塁審)

⑤そして桑田・清原の最終年に優勝を果たした1985年夏の甲子園決勝戦「PL学園VS宇部商業」(球審)

と、1980年代に燦然と輝く名勝負で審判を務めあげました。

西大立目さんは、1986年に50歳で審判員を引退して後進の指導にあたり、東京六大学野球連盟審判技術顧問、日本アマチュア野球規則委員会委員長、日本野球規則委員会委員長、全日本野球会議審判技術委員会委員長など、数多くの役職を歴任し、2002年に66歳でこの世を去りました。

耳を澄ませば、甲子園球場に西大立目さんの『プレーボール!』という凛々しい声が響き渡っていそうです。

僕の人生の中で忘れることのできない、「西大立目永」という偉大な1人の審判について今日はお話させていただきました。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の誕生日DX)3月6日

高橋真梨子(77歳)、柳沢慎吾(64歳)、りんたろー(40歳)、松下洸平(39歳)、岩田剛典(37歳)、あいみょん(31歳)、サニブラン・アブデル・ハキーム(27歳)

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2025年6月 5日 (木)

我がミスターは永久に不滅です。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

1974年10月14日、秋風が徐々に染みわたり晩秋へと季節が移り変わるその日、日本プロ野球界が誇る1人の国民的スーパースターがユニホームを脱いだ。

それは、僕がこの世に生を受けて71日目のことである。

『私は今日引退をいたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です』

その名言を残し、ミスタープロ野球「長嶋茂雄」はバットをおいた。

無論、生後2ヶ月の僕にはその記憶はなく、物心がついた頃からテレビで流れるミスターの選手としての過去の映像、そして監督としてユニホームを着ているミスターの姿を目にした。

子供ながらにも、そのスターとしての輝きとオーラはしっかりと感じることができた。

その影響もあってか、僕は幼少期から野球が大好きで、ミスターが活躍していた読売巨人軍の大ファンである。

それは今も変わらず、現在も強いジャイアンツ愛を持ち、声援を送り続けている。

それもこれも、根本にはミスターという大きな存在があったからこそであり、おそらく僕らよりも上の年代においては、野球が好き、巨人が好きというよりも、長嶋茂雄が好きという方が多くいるのではないかと思う。

そして、そのミスターの存在のおかげで日本野球界全体が大きく発展したことは、まぎれもない事実であり、偉大な功績である。

そのミスターが一昨日、この世を去った・・・

頭の中で『いつかこの日が来てしまう・・・』という避けられない思いと、『ミスターにはそんな日は絶対に来ない、来るはずがない!』という現実逃避する自分がいた。

しかし、現実はそう甘くはない、ミスターも人間である、神ではない、遂にその日が来てしまった・・・

6月3日、午前6時39分、ミスターは天国へと旅立った。

見事に全て「3」で割り切れる数字だ。

そして満年齢は89歳、8(や)9(きゅう)だ。

これを偶然と言ってしまえばそれまでだか、本当に最後までミスターは野球が人生の全てだったのだと僕は確信している。

そしてこの6月3日は、次女である長嶋三奈さんの誕生日だというのだから、最後の最後までミスターらしい。

「自分の亡くなった日は決して悲しい日ではないんだよ、三奈が生まれたHAPPYな日なんだよ」という、常に後ろを振り返らず前を向くミスターのそんな思いが感じられるのは僕だけだろうか。

数々の記録と、数々の記憶や伝説を残してくれたミスターではあるが、僕にも忘れられない記憶がある。

あれは僕が中学生の時、僕の住んでいるところの隣町に、名球会のイベントの講演会のためにミスターがやってきた。

僕は父に連れられその会場を訪れたが、もの凄い数の人が殺到していた。

僕と父はなんとか会場に入り講演を聞くことができた。

初めて生で見る長嶋茂雄に、僕は心の底から感動したことを今でも覚えている。

話し方や身振り手振りを交えた動作、どれもテレビで見る姿と同じではあったが、その言葉や仕草の1つ1つに中学生ながら、もの凄い重みを感じた。

これが真のスーパースターなんだと強く感じた。

あれから40年近く経とうとしている今でも、あの時の心の衝動とミスターの姿は鮮明に目に焼き付いている。

僕がもう1度だけミスターを生で見たのは、1993年夏の札幌円山球場での公式戦の試合の時だった。

ミスターが2度目の監督に就任したその年、毎年恒例の北海道シリーズで訪れたジャイアンツの試合を、当時札幌の大学に通っていた僕は友人たちと観戦した。

外野の芝生席での観戦だったので、ベンチにいるミスターは双眼鏡でかろうじて見える程度だった。

しかし試合前に、ミスターは外野のところまできて、観衆に向かい手を振ってくれた。

ほんの些細な心遣いではあるが、ファンにとってはもの凄く嬉しいことだった。

それを自然にできるミスターはやっぱり凄いな、とその時改めて思ったことを今でも記憶している。

おそらくミスターのことを話し出すと、限りがない。

ずっと話ができてしまう。

なので、今日はこのへんにしておくが、最後に僕が好きなミスターの現役時代の写真を2枚だけご紹介したい。

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1枚目はこのバッターボックスでの豪快な空振りの写真。

バットを振った時にヘルメットがわざと落ちるように被っていたというのは有名な話ではあるが、打った瞬間の写真よりも空振りをした瞬間の写真がこれほど絵になる人はミスター以外いないのではないか、まさに華があるとはこのことだと思う。

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もう1枚は、守備での捕球後のスローイングの写真。

この投げ方、おそらく野球少年たちはみんな真似をしたと思う。

もちろん、ミスターの現役時代を知らない僕も真似をした。

でも、ミスターが見せる守備はまさに魅せる守備、それは観客を魅了する。

その点を僕は学ばせてもらった。

守備は一見地味で、野球をプレーする子供は守ることよりも打つことをやりたがる。

しかし、僕は小さい時から守備が好きだった。

それはミスターの影響があったからかもしれない。

守備で魅せる、常にそれを頭に入れて守っていた。

中学生の時に、部活のコーチから「カッコつけるな基本に忠実にやれ!」と怒られたことがあった。

でも、僕はそれを素直には受け入れず魅せる守備にこだわった。

結果、ミスをすることもなく僕は「守備が上手な子」と周りから言われた。

試合を見に来ている観衆からも、『おっー!』とか『うまいな、あの子!』と声が聞こえてきた。

ミスターの魅せるプレー、これを守備で僕は実践できたとその時、心の中で少し誇らしく思った。

現役を離れても、こうしてミスターの野球に対する思いや情熱は野球少年へと引き継がれている。

それは今も変わらず多くの世代を経て継承されていると僕はそう信じている。

ミスターは天国へと旅立っても、ミスターの思いはしっかりと野球人の中で受け継がれているはずだ。

だからこそ、僕は最後にこう言いたい

『我がミスターは永久に不滅です!』

長嶋茂雄氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2025年6月5日 ミスターを心より崇拝する50歳の野球少年より

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の気になるワード)はお休みします。

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2025年4月 5日 (土)

まだまだできる!

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

4月もスタートしてはや5日が経ちました。

春のポカポカ陽気で雪解けも進み、一気に春がやってきた感じがする今日この頃です。

そんな中、日本ではプロ野球が先週から開幕し、約7か月間に渡る熱きペナントレースの戦いが幕を開けました。

そして一昨日、我が巨人軍の歴史にまた1人、新たな選手の記憶が刻まれました!

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今シーズンから入団した田中将大投手がジァイアンツのユニホームに袖を通して、魂のこもった彼らしい投球を見せ、見事に2023年8月26日以来、実に586日ぶりの勝利投手になり、日米通算198勝目をあげました。

昨年12月25日に行われた入団会見の際も、このブログで話題にさせていただきましたが、僕はマー君が高校生だった駒大苫小牧高校時代からのファンの1人で、楽天入団後もそしてヤンキースへ移籍した際も、さらに日本球界復帰後もずっと応援し続けていました。

そのマー君が、僕が幼少時代から愛する我が巨人軍に来たわけですから、もう僕にとってこれほどに嬉しいことはありません。

しかし、野球ファンの間では「マー君が本当に復活できるのか?」これには正直、疑問を持つ方も多くいらっしゃいます。

でも僕は、一昨日の彼のピッチングを見て『まだまだマー君は活躍できる!』と感じました。

もちろん、球のスピードや球の質やキレは、全盛期に比べれば劣ることは間違いありませんが、36歳の彼の今できるベストピッチは十分通用すると思います。

彼が入団会見で語っていた『自分はまだまだできるということを証明したい』という言葉を、まさに一昨日の試合で有言実行できたのではないかと思います。

36歳になり、チームでも年齢的には上の立場のなったマー君は、チームの後輩には「マーさん」と呼ばれているようです。

その「マーさんのために、マーさんに何とか勝ち星を・・・」と、チーム一丸になって掴んだ勝利は、まさにチームの団結を強固にした結果だと思います。

まるで、ロンドン五輪で水泳男子チームが『康介さん(北島康介)を手ぶらで帰すわけにはいかない』と、リレーでメダルを掴んだ時を思い出します。

まだまだペナントレースはスタートしたばかりですが、マー君には1つ1つ勝ち星を積み上げて、それがチームの優勝に繋がっていくことを祈っています。

この『HYPER日記』がスタートしてまもなくの2007年2月、おそらくまだ5回目ぐらいの投稿記事で『マー君応援部隊!』というタイトルで、当時駒大苫小牧高校から楽天に入団し、初めてのキャンプに挑んでいた18歳のマー君のことを話題に取り上げました。

あれから18年、僕はあの時と同じような新鮮な気持ちで、今マー君の活躍を心から応援したいと思っています。

まだまだこれから幾多の困難が待ち構えているとは思いますが、きっとマー君なら「まだまだできる」と僕はそう信じています。

まずは残り2つに迫った200勝を達成し、そして少しでも長く巨人のユニホームを着て、多くの野球少年、多くの野球ファンに夢を与えて欲しいです。

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巨人軍の背番号「11」田中将大、彼の未来に幸あれ!

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の気になるワード)はお休みします。

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2024年12月26日 (木)

クリスマスの贈り物。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

昨日は12月25日、子供たちが待ちに待った「クリスマス」でした。

24日の夜、我が家の王子(息子)はサンタさんに手紙と絵を描き、遠くからくるサンタさんとトナカイさんが疲れているだろうからと、小さなプレゼントも用意して、サンタさんがやってくるのを心待ちにしながら眠りにつきました。

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これは王子が書いた絵です。

この絵を見た瞬間、僕も妻も驚きを隠せませんでした!

小学2年生の絵とは思えない、クオリティーの高さ!

『こんな絵、俺には絶対に描けない・・・』と僕はつぶやきました。

まあ、王子が3歳ぐらいの時点で既に僕は負けてましたけどね(笑)

6年生の娘もサンタさんに向けた手紙と絵を描きました。

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お姉さんらしい、とっても優しい気持ちになる絵です。

そしてクリスマス当時の朝、目を覚ますとサンタさんに描いた絵と手紙は消えており、代わりに贈り物と手紙が添えてありました。

子供たちは2人とも大喜びで、贈り物を手にしながらサンタさんからの手紙を読んでいました。

娘はお願いしていた「欲しかった本」をニコニコしながら見ていました。

そして、王子は前回のブログでもお話したように、お願いしていたアイスホッケーの「赤いグローブ」がサンタさんから届きました!

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早速、アリーナに行き、赤いグローブをつけて自主練習に汗を流しました。

この笑顔を見たら、きっとサンタさんも喜んでいると思います。

娘も王子も常日頃、一生懸命に頑張っていることは、きっとサンタさんもいつも見守ってくれているのだと思います。

これからも、スポーツにも勉強にもコツコツと日々頑張って欲しいと思います。

さて、そんなクリスマスの日に、実は僕にもサンタさんからビックな贈り物がありました!

それはこれです!

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なんと、マー君こと田中将大選手が、我が巨人軍に入団しました!

巨人ファン歴50年の僕にとって、これほど嬉しいニュースはありません!

そしてジャイアンツのユニホームがめちゃくちゃ似合ってる!

僕の住む北海道の駒大苫小牧高校在学中に甲子園で全国制覇を成し遂げたあの頃から、僕はマー君の大ファンで、このブログでも度々その応援ぶりはお伝えしたと思います。

できれば2006年秋のドラフトで巨人に入団できれば良かったのですが、マー君は楽天に入団し、その後の活躍は言うまでもありません。

メジャーリグのヤンキースでも活躍した彼が今回、楽天を退団し我が巨人軍に入団したことは、ジャイアンツファンとしては感無量です。

18年越しの恋人が、遂に巨人軍に来てくれたのですから!

最近のマー君については、ネットでは色々と揶揄されてはいますが、僕は彼のことが好きですし、彼がマウンドで投げている姿にたくさんの勇気と感動をもらっています。

巨人軍の背番号「11」、平成の大エースと呼ばれた斎藤雅樹氏がつけていたこの背番号を背負い、マー君がマウンドで躍動する姿を想像すると、もう僕は開幕が待ち遠しくて仕方ありません。

僕的にはこの喜びは、おそらく1992年秋に松井秀喜選手が巨人軍に入団した時と同じくらいの、胸の高鳴りです。

少年野球時代の仲間である「坂本勇人選手との24年ぶりにチームメイト」、あと3勝となった「日米通算200勝が達成されるのか」など、何かとフォーカスされることが多いですが、僕はマー君には、これからまだ5年、10年先までこの巨人軍で活躍して欲しいので焦らずゆっくりと自分の実力を100%発揮して欲しいと思います。

サンタさん、クリスマスに最高の贈り物をありがとうございます。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の昭和の有名人しりとり)

「来生たかお」→「岡田奈々」

1970年代~1980年代に数多くの映画やテレビに出演した女優さんで、今も活躍中です。あの名作『スクール☆ウォーズ』では山下真司演じる滝沢先生の妻役を演じました。

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2024年8月22日 (木)

甲子園100年。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

8月も中盤から後半に差し掛かり、北海道は朝晩の空気が変わり、夏の終わりを徐々に感じるようになってきました。

しかし、全国的にはまだまだ暑さは厳しいものがありますし、これからの季節はそれに台風が加わる嫌な時期になってきますので、くれぐれもご注意ください。

さて、そんな中ではありますが、今年も「阪神甲子園球場」を舞台に全国の高校球児が集い頂点を競う「全国高等学校野球選手権大会」が開催されています。

今年で106回を数える伝統あるこの大会ですが、甲子園球場で開催されたのは第10回大会からです。

甲子園球場は1924年に開場したので、今年でちょうど100年という節目の年を迎えました。

甲子園で夏の大会が開催され97回目のこの大会ですが、これまでに幾多のスターたちが誕生し、その後はプロ野球やメジャーリーグの世界へと飛び立っています。

僕も幼少の頃から高校野球は大好きで、毎年夏休みは朝から晩までテレビにかじりついて中継を見ていました。

そして、これまで多くの感動や勇気をもらい、野球の素晴らしさを教えてもらったこの「甲子園」には強い思い入れがあります。

そんな甲子園で開催されている高校野球も、昨今の温暖化による猛暑などの影響により、「球児の健康を守る」ということを優先させ、試合方式や大会日程など様々な点でルール変更が行われてきています。

まだまだ問題点もあり、改善する要素は多々ありますが、これからはこのような柔軟な対応が求められる時代になってきたように思えます。

涼しいドーム球場等への開催地変更などの意見もありますが、やはり「甲子園」という存在は球児たちにとっては聖地、ここに来るために3年間汗を流すのが球児たちのモチベーションになっていますので、そこはなかなか難しい問題かもしれません。

ただ「甲子園100年」のこの機会にもっと多くの議論をしながら、今後の高校野球のあり方を話し合うのはとても良いことだと思います。

さて、そんな今年の大会は明日決勝戦を迎えます。

全国から集まった49の代表校の中から決勝に駒を進めたのは、東東京代表の関東第一高校と京都府代表の京都国際高校です。

どちらも勝てば初優勝という戦いになりましたが、明日は「甲子園」という夢の舞台で思いっきり悔いの残らないように全力でプレーをしていただきたいです。

高校野球でも今春から採用された低反発球の影響で、「打高投低」から「打低投高」へと高校野球の形態も変わりつつあります。

今までのようにホームランや長打の多い野球から、単打や足を絡めたいわゆる「スモールベースボール」へと高校野球もこのまま変わっていくのでしょうか・・・

まあ、高校野球の本来の野球の姿に戻ったと考えることもできますが。

いずにしても、どんな野球になったとしても僕の高校野球愛に変わりはないので、これからも高校野球を、そして高校球児を応援し続けていきます。

全国3441校の頂点に立つのは果たしてどちらの高校か、いよいよ明日「甲子園球場」でプレーボールです!

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僕も今から14年前の2010年に1度だけ、妻と甲子園球場に行ったことがありますが、またいつの日かあの場所を訪れる日が来ることを願っています。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の昭和の有名人しりとり)

「ラッツ&スター」→「たのきんトリオ」

1980年代前半にジャニーズ事務所のトップアイドルだった、田原俊彦、野村義男、近藤真彦の頭の文字をとって「たのきん」というトリオ名で活躍しました。

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2023年12月14日 (木)

赤から青に。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

既に報道されているので、日本中いえ世界中の方がご存知だと思いますが、日本が誇る偉大な野球選手、大谷翔平が来季からロサンゼルス・ドジャースでプレーすることが決まりました!

契約は10年契約で契約金は何と1015億円!

世界のスポーツ界を通じて史上最高額と言われている大型契約です。

契約の中身もオプトアウト契約が無しだとか、契約金の後払い式の契約だとか、色々な意味で話題の多いその内容が連日ワイドショーを盛り上げてくれています。

背番号もエンゼルスで慣れ親しんだ「17」に決まったことで、グッズ販売も始まり、その経済効果は相当なものが見込まれます。

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まだ12月とはいえ、野球ファンとしては大谷が実際にドジャーブルーのユニホームを着てプレーする姿を一日も早く見たいので、来年の開幕が今から待ち遠しいです。

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ちなみに、ドシャースには日本人選手のパイオニアである野茂英雄が初めてドジャーブルーのユニホームに袖を通して以降、これまでに9人の選手が在籍しました。

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斉藤隆、黒田博樹、前田健太、ダルビッシュ有などの日本が誇る豪華な投手陣たちが数多くプレーしています。

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中でも2002年~2004年にプレーしていた、石井一久(前楽天監督)は背番号「17」を付けてプレーしており、大谷にとってはドジャースの「17番」の先輩となります。

その「17番」を背負い、大谷がドジャースタジアムで活躍する姿を想像すると楽しみで仕方ありません。

肘の手術の影響で来シーズンは打者に専念ということになりますが、ナショナルリーグの並みいる強打者たちと競い合い、そして「大谷は、やっぱりスーパースターであった」ということを証明して欲しいと思います。

ユニホームは「赤」から「青」に変わります。

これは全く余談ですが、リトマス試験紙では赤→青はアルカリ性です(笑)

そんなことはさておき、これまでの赤一色のスタンドから青一色に染まったスタンドは、きっとこれまで以上の熱い声援によって球場は大きな盛り上がりをみせてくれることでしょう。

日本時間の明日12月15日午前8時から、大谷翔平の入団会見が開かれます。

大谷が公の場でコメントするのは、8月9日以来4ヶ月ぶりのことです。

大谷がどんな表情でどんな言葉を発するのか、日本のみならず全世界が注目です!

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ちなみに、ドジャースの監督のデーブ・ロバーツ氏はアメリカ人の父親と日本人の母親が持つハーフで、出生地は沖縄県那覇市です。

そして、顔が自民党の甘利さんに似ています。

そして、年齢がなんと51歳、僕の2個上(笑)

キムタクや中居君と同い年です(笑)

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao)

(今日の珍地名)

接待(せったい)→長野県小県郡長和町にある地名です。町中のみんなが接待が上手なのかも。

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2023年3月11日 (土)

12年前の思いを胸に。

こんにちにゃ〜北の猫男爵です。

いや〜昨日のWBCの韓国戦、興奮しましたね!

宿命のライバルであり、これまでWBCや五輪などの国際大会で幾多の名勝負を繰り広げてきた韓国との一戦には、いつもハラハラドキドキさせられますが、今回は13対4という思いもよらぬ結果での勝利でした。

序盤にダルビッシュが韓国打線につかまり、3点を先制された時はどうなることかと思いましたが、絶好調の近ちゃん(近藤健介)や、大谷翔平、吉田正尚など主軸が期待通りの活躍をして、打線爆発の13得点でした。

村上宗隆の調子がなかなか上がってこないのは心配ではありますが、きっとこのあと打ちまくってくれると信じています。

そんな中、昨日も大活躍をみせてくれたのがヌートバーです。

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攻守にファンを魅了させてくれましたし、すっかりチームにも溶け込み、お馴染みのペッパーミルのパフォーマンスも今日本中で大流行となっています。

巷では、ペッパーミルが品切れになるお店も出るなど、ヌートバーは経済効果をももたらしてくれています。

今日の試合も彼の活躍に大いに期待します。

そんな今日は3月11日、日本を襲ったあの悪夢のような出来事からちょうど12年という月日が経ちました。

そして12年前のあの日に震災に遭い、父親と祖父母を亡くした9歳の少年がいました。

その少年は計り知れない悲しみを背負い、母親と2人で支え合いながら、苦しみや辛さを乗り越えてきました。

そんな少年を支えてくれたもう1つのもの、それが野球でした。

『野球をしている時が一番楽しかった。夢中になれる時間というものがあったおかげで、大変な時も辛い時も頑張れた。本当に野球があって、野球が知れて良かった。』と、少年は当時を振り返り言っています。

そしてその少年は今、日本を代表するプロ野球選手になり、このWBCの舞台に今日デビューをします。

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そうです、当時9歳だったその少年の名は佐々木朗希。

あと数時間に迫った、今日のチェコ戦のマウンドに佐々木朗希は立ちます。

12年前にたくさんの人から勇気や希望をもらい、たくましく成長した少年は今、今度は逆にたくさんの人に勇気や希望を与える存在になりました。

12年前の思いを胸に今日、佐々木朗希はどんなピッチングを魅せてくれるのか、野球ファンにとって、そして日本中の方にとって、きっと今日は忘れられない一日になることでしょう!

佐々木朗希少年の光り輝く最高の笑顔を見たいです。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

今日の珍地名は今日はお休みします。

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2023年3月 8日 (水)

サブマリンと呼ばれた男たち。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

さあ!いよいよ待ちに待ったWBCの開幕が明日に迫りました!

まずは初戦の中国戦に勝って勢いをつけ、そして1次ラウンドを通過し、そのまま優勝へと突き進んで欲しいです。

そんな今日は、「WBC開幕記念特別編」として全3回でお送りする野球特集の最終回です。

第1弾は「足のスペシャリト」、そして第2弾は「スイッチヒッター」にスポットをあてましたが、今日の第3弾では「アンダースロー」という投手の投げ方に着目してみたいと思います。

アンダースローは時に「サブマリン投法」とも呼ばれます。

野球に興味のない方には何のことか全く理解できないと思いますが、野球のピッチャーの投げ方には大きく分けて3つの投げ方があります。

1つ目は腕を上から振り下ろす「オーバースロー」、まあこれが一般的に多く見る投げ方です。

次に腕を体のやや水平の位置から出して投げるフォーム、これを「サイドスロー」と呼びます。

そして、そのサイドスローよりもさらに低く、地面すれすれから投げるフォームを「アンダースロー」と呼びます。

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投げる際に体が沈むことや、ボールが下から上に浮き上がってくることから、潜水艦になぞらえて「サブマリン投法」と呼ばれるようになりました。

今日は日本のプロ野球界において、そんな「サブマリン」と呼ばれた男たちをご紹介したいと思います。

日本のプロ野球の歴史において、古くは皆川睦雄、杉浦忠、秋山登といった名立たる名投手が1960年代にサブマリンとして活躍しました。

彼らについては僕自身はリアルタイムでは見たことがなく、古い昔の映像などでしか拝見したことはありません。

僕が知っているサブマリンたちはその次の世代からで、中でも阪急のエースとして一時代を築いた山田久志が僕の中で「史上最高のサブマリン一」です。

小学生の頃は、よく彼のピッチングフォームのモノマネをして友達と野球で遊びました。

さらには、西武で活躍した「兄やん」こと松沼博久、彼も僕の中では非常に印象に残っている投手です。

そんな山田久志や松沼博久が引退した後、1990年代になるとサブマリンと言われたアンダースローの投手は球界からほぼ消え去るというじたいとなりました。

そんな中に登場したのが、ロッテの渡辺俊介です。

彼は歴代のサブマリンと言われた投手たちと比べても、最も低い位置からボールを投げる投手で、多くの打者がその投球に苦戦を強いられました。

そしてその武器はWBCという大舞台でも活かされ、彼はWBC日本代表として世界の強打者たちをきりきり舞いにしました。

2010年代になると、西武で活躍した牧田和久がサブマリン投法で活躍し、こちらもWBCの舞台で活躍しました。

そんな牧田も昨シーズンで現役を引退し、現役のサブマリンと呼ばれる男はソフトバンクの高橋礼、西武の興座海人、オリックスの中川颯の3人のみです。

※阪神の青柳晃洋は完全なるアンダースローではなく、どちらかというとサイドスローとアンダースローの中間なので、今回は除外します。

ちなみに巨人ファンの僕としては、2000年代に巨人にいた会田有志というアンダースローの投手を思い浮かべます。彼の父親はヤクルトで同じくアンダスロー投手として活躍した会田照夫なので、親子二代でサブマリンとしてプロ野球で活躍した珍しい例です。

アンダスローの長所はまずもってその絶対数が少ないので、相手バッターにとっては練習をすることができないことと、ボールの軌道が普通の投手とは違うので打ちにくいというところです。

短所としては、クイックモーションが難しいので盗塁をされやすい点や、球速がどうしても速くはないというところです。

しかし、シュートやシンカー、スクリューボールなど、サンダースロー特有の変化球を投げることができるため、打者にとってはなかなか打ちずらいことも事実です。

現在の現役3人のサブマリンには、ぜひとも山田久志や松沼博久、そして渡辺俊介のような先発完投型のエースと呼ばれるような投手に今後なって欲しいと願っています。

そして将来のWBCの舞台で、世界の強打者を手玉にとってくれることを祈っています。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の珍地名)

タットケー→ベトナム北部のランソン州トランデイン地区中心にある町です。なんか、お店や病院で待つ時も『立っとけ~』と言われそうな感じですね(笑)

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2023年3月 7日 (火)

器用な面々~左右両打~

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

いや~昨日のWBC日本代表の試合、大谷翔平の圧巻の2本の本塁打には本当に驚かされました。さすがはメジャーで本塁打王を争う技術ですね。

そしてヌードバーと吉田正尚も見事に活躍し、3人のメジャーリーガーが加わったことで、これまで不安視されてた打線もこれでひと安心といったところです。

WBCの開幕も2日後に迫り、いよいよ開幕モードに突入です!

そんな今日は先日からスタートした「WBC開幕記念特別編」の第2弾をお送りします。

第1弾では「足のスペシャリト」ということで「足」にスポットをあてて、過去のプロ野球で活躍した選手をご紹介しましたが、今日の第2弾でスポットにあてるのは、「左右両打」通称「スイッチヒッター」です。

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人間には必ず「利き手」や「利き足」というものがあり、生活する上では必ずその「利き手」や「利き足」が重要になります。

そしてそれはスポーツにおいてもそうであり、必ず「利き手」や「利き足」というものが存在します。

ただ、中にはどちらもバランス良く使えるという器用な人もいます。

あのダルビッシュ有はもともとは右利きですが、以前から練習で左でボールを投げたりしてキャッチボールしたりしています。

体の体幹やバランスのことを考えると、左右均等に筋力を使うことは非常に大切な事です。

そこで今日はプロ野球の中で「左右両打」ができる器用な面々をご紹介していきたいと思います。

僕が子供の頃は「スイッチヒッター」のプロ野球選手はたくさんいて、各球団に1人ぐらいはいたようなイメージがあります。

しかし、昨今の野球では「スイッチヒッター」が激減し、現役のプロ野球選手ですぐ浮かぶ選手といえば、西武の金子侑司、巨人の若林晃弘、楽天の田中和基ぐらいしか思い浮かびません・・・

野球のスタイルが20~30年前とは変わったということもあるのかもしれませんが、僕が思う1つの要因にはイチローというスーパースターの登場で右投げ左打ちの子供達が一気に増えたことも1つの要因ではないかと推測しています。

基本、子供と言うのは憧れの選手の真似をすることから始まりますからね。

というわけで、今日は僕が思い出に残っている過去のプロ野球選手の中から「スイッチヒッター」の器用な面々をご紹介したいと思います。

まず、僕が幼少の中で一番凄かったと思う「スイッチヒッター」の選手、それは松永浩美です。

1980年代に阪急で活躍した彼は、左右どちらでも広角に打ち分けるシュアなバッティングで打率も出塁率も高い中距離打者で、また守備力や走力もあったので、パリーグのスター選手としてプロ野球を盛り上げてくれた存在でした。

さらに、同じ年代の「スイッチヒッター」といえば、広島の高橋慶彦、山崎隆造、正田耕三、この3選手はいずれも足も速く、なおかつ打率も良いので、この「スイッチヒッタートリオ」が並ぶ広島の1番から3番は非常に相手チームにすると脅威でした。

この時代には大洋の屋敷要、巨人の松本匡史、ロッテの西村徳文、中日の平野謙など数多くの「スイッチヒッター」がいまいしたが、彼らに共通するのは足が速く小技も使えるということで、当時は「スイッチヒッター=足が速い」というイメージがありました。

そんな中、巨人にいた助っ人外国人のレジー・スミス、彼は長打力も持ち合わせた元メジャーリーガーで巨人の優勝に大きく貢献してくれました。

そして1990年代初期に来日し西武黄金期を支えた助っ人外国人のデストラーデ、僕の中では彼は外国人選手の中では「史上最強のスイッチヒッター」です。

外国人選手でいえば、日本ハムのセギノールや大洋のレイノルズも良いスイッチヒッターでしたが、デストラーデにはやっぱり敵わないです。

そして、1990年代後半~2000年代に入り、日本人選手の中でも素晴らしいスイッチヒッターが登場しました。

それが西武の松井稼頭央です!

西岡剛(ロッテ)も凄く良い選手でしたが、やはり総合的には松井稼頭央は頭1つ抜けた「スイッチヒッター」だったと思います。

走攻守と三拍子揃った松井稼頭央は、日本プロ野球の歴史の中で、唯一「スイッチヒッターでトリプルスリー」を達成した選手です。

今までの僕の見解を総合的に判断いたしまして、僕の中での歴代最強スイッチヒッターの順位をつけますと、

第5位 西岡剛

第4位 レジー・スミス

第3位 松永浩美

第2位 デストラーデ

そして第1位は!

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松井稼頭央です!

やはり、単打のみならず長打力も兼ね揃えたあの打撃、さらには抜群のスピードもあり内安打も量産できるあたりも「史上最高のスイッチヒッター」だと思います。

ちなみに彼はもともとは高校時代(PL学園)は投手であり打席も右打席で、プロに入ってからスイッチヒッターに転向したので、その適応力からみても非常に器用さをもった選手であることもわかります。

僕的には「スイッチヒッター」という存在は、野球の中では非常に重要なポイントであると思っているので、今回のWBCメンバーにスイッチヒッターがいないこと、というか、選ばれるようなスイッチヒッターが現代の野球界にいないこと、もっといえばスイッチヒッターの選手じたいの絶対数が少ないことに非常に寂しさを感じます。

もしもこれから野球を始めようとするお子さんがいるのであれば、ぜひ「スイッチヒッター」に挑戦させてみてはいかがでしょうか。

野球界では非常に貴重な存在ですので。

ちなみに、僕も幼い頃から野球をしていまして、もともとは右打ちだったのですが、中学の野球部の時に1年生の秋からスイッチヒッターにチャレンジしてみました。結果は数ヶ月で断念することになりましたが、その時にスイッチヒッターというものの難しさは身をもって痛感しました。

やはり人間には左右の癖というものがあり、それを無くすには幼い頃からの体幹が非常に重要だと思います。そのへんを踏まえて、お子さんのいる方にはまず体幹を鍛えることをお勧めします。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の珍地名)

トロントロン→日本の宮崎県児湯郡川南町というところにある地名です。その地名の由来は諸説ありますが、湧き水からの水の音が「トロントロン」と聞こえるので名前がついたという説もあります。

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2023年3月 5日 (日)

足のスペシャリスト。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

野球ファンにとっては待ちに待ったWBC2023の1次ラウンドの開幕が、いよいよあと4日後に迫ってきました。

今回の日本代表「サムライJAPAN」のメンバーは史上最強ともいわれ、大谷翔平やダルビッシュ有などの現役メジャーリーガーも参加し「世界一奪還」に向けて着々と準備が整っています。

もちろん、日本プロ野球界からも村上宗隆(ヤクルト)や佐々木朗希(ロッテ)をはじめ、日本トップの選手たちが集結し、世界の強豪相手にどんな戦いをするのか非常に期待に胸が膨らんでいます。

そこで今日は開幕を前に「WBC開幕記念特別編」として今日から全3回に渡り、ちょっとマニアックにはなりますが、コアな野球ファンに喜んでいただけるような企画をご用意いたしました。

エースや4番打者のようないわゆる「花形」とは違い、ちょっと目線を変えたポジションというか役割の存在にスポットを当ててお話していきたいと思います。

その第1弾である今日スポットを当てるのは「足」です。

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日本がこれまでWBCで戦ってきた中でも言われてきた、いわゆる「スモール・ベースボール」その基盤となるのが走力です。

足を使っていかに次の塁を奪っていくか、そこに日本の勝ちに結び付くポイントがあると思われます。

過去の戦いをみても盗塁はもちろんのこと、相手のわずかなミスにつけこむ走塁が勝利を導いているのも確かです。

今回のメンバーの中にも、周東佑京(ソフトバンク)といういわゆる「足のスペシャリト」がいます。彼が1点を争う試合終盤に代走として登場して、いかにその役割を果たせるかは非常に楽しみなところです。

過去の日本プロ野球には通算1065盗塁という偉大な日本記録を持つ福本豊や、セリーグの年間最多盗塁数を持つ松本匡史、5年連続盗塁王の赤星憲広、スーパーカートリオとして活躍した屋敷要など幾多の快足選手たちがいました。

そこで今日はそんな「足のスペシャリト」にスポットをあて、僕が「過去のプロ野球選手の中でこの選手は足がめちゃくちゃ速かった」と思う選手を7人厳選しましたので、僕の思い出とともにご紹介したいと思います。

僕の中では、これからご紹介する7選手のことを「足セブン(7)」と呼んでいます。

それでは早速ご紹介していきましょう。

まずは代走での通算盗塁数歴代最多を誇る巨人で活躍した鈴木尚広です。

「足のスペシャリト」という言葉から、まず真っ先に彼のことが思い浮かんだ方も多くいたのではないでしょうか。

現役15年間で積み重ねた盗塁数は228個、そのうち代走での盗塁は実に132個です。

また、通算盗塁成功率も通算200個以上の選手の中では歴代最高なので「盗塁で一番失敗をしない選手」ということです。

巨人ファンの僕としては彼がベンチに控えていて、大事な終盤に1点を取りに行く時に登場してくれると非常にテンションが上がったことを今でも覚えています。

続いて2人目の選手は、こちらも元巨人の選手になりますが栄村忠広です。

1軍で活躍したのは実働1年と非常に短いのですが、僕の中では背番号「66」のあの快足は鮮明に目に焼き付いています。

残念ながら札幌の円山球場で吉村禎章と交錯してしまい、結果として吉村が大怪我をしてしまったことがファンの記憶に強く残ってしまってはいますが、僕的にはあのことがなければ栄村はプロ野球界を代表する「足のスペシャリト」になっていたと思っています。

ちなみに彼は東京ドームでの公式戦初盗塁の選手であったり、代走の際に投手からの送球が頭部に当たり負傷し、それを機に走者へのヘルメット着用が義務化になるなど、プロ野球の歴史にしっかりとその爪痕を残しています。

巨人ファンの僕にとって栄村は大好きな選手でした。

続いて3人目の選手は、広島東洋カープで活躍していた今井譲二です。

古くからのカープファンにとっては、誰もが知っている名選手だと思います。

プロ生活11年間のそのほとんどが代走で起用され、通算打席数はわずか31打席という本当のプロ中のプロの代走です。

当時の広島には高橋慶彦や山崎隆造、正田耕三など足の速い選手がいたのにもかかわらず、その選手たちの代走として登場するほど彼の足の速さは凄かったです。

巨人ファンの僕としては、試合終盤に彼が代走として出てくると非常に嫌だったことを今でもよく覚えています。

続いて4人目の選手は、ヤクルトで活躍した青木実です。

若い頃は守備固めや代走が主な出番でしたが、主力の怪我などにより先発出場をするようになった1981年には盗塁王のタイトルを獲得する韋駄天ぶりでした。

僕の記憶ではただ速いだけでなく、盗塁のテクニックに非常に長けていた選手だと思います。

「ヤクルトの背番号50は足がめちゃくちゃ速い選手だった」というのが、当時小学生だった僕の記憶にしっかりと焼き付いています。

続いて5人目の選手は、こちらもヤクルトで活躍した城友博です。

彼については僕は習志野高校の1番打者として甲子園に出場した時から注目していた選手で、当時の甲子園での足の速さが忘れられなくて、絶対にプロでも「足のスペシャリスト」として活躍すると子供ながらに思っていました。

プロでもその自慢の快足は通用していたのですが、交通事故によるケガが選手生命に影響し球界を去ることになりました。

僕の中ではあの甲子園での足の速さ、そしてプロ入団当初の走力は「足のスペシャリト」にふさわしい走りでした。

続いて6人目の選手は、広島、西武、ヤクルトで活躍した福地寿樹です。

彼のことは野球ファンはもちろんご存じの通り、俊足好打の名選手でした。

プロ入り15年目にして初めて規定打席に到達したことから「遅咲きの星」とも呼ばれていました。

盗塁王を2度獲得したその足は相手チームにとっては本当に脅威でしかなく、相手が嫌がる選手でもありました。

通算盗塁数は251個ですが、僕の印象ではその数字以上にその足の速さが印象的な選手でした。

そして最後にご紹介する7人目の「足セブン」は、日本ハムで活躍した川名慎一です。

彼も代走として起用されることが多かった選手ですが、多くの評論家がその球界屈指の快足を絶賛していました。

あの屋敷要も『自分よりも足が速いと思うのは川名だけ』と言っていたほどで、打撃力なども伴い良い指導者に巡り合えていれえば、もしかするともの凄い選手になっていたかもしれません。

これが僕が思う「足セブン」の7人です。

振り返ると、どの選手にも懐かしい思い出があり、改めて『野球は良いな~』と思います。

野球は「打つ、投げる、守る」だけでなく「走る」ということも非常に重要なポイントのスポーツです。

まもなく開幕するWBCも、ぜひ、その「足」に着目してご覧になってみてください。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の珍地名)

クサイ島→グアムの南東に位置するミクロネシア連邦の一番東にある島です。現在はコスラエ島と名称が変わったようですが、なんかクサイ島と聞くと、行くのをためらってしまいますね(笑)

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