思い出

2025年4月12日 (土)

思い出のアルタ。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

4月も半ばに差し掛かり、新年度の新たな生活にも徐々に慣れてくる頃ですね。

この春から中学生になった我が家の娘も、中学生としての生活がスタートし、真新しい制服に身を包み、慣れない自転車登校にも徐々になれてきました。

昨日からはジャージ登校になり、部活動の体験入部活動も始まりました。

全てが今までの小学校生活とは違い、楽しかったりする部分もあるのと同時に、不安な気持ちも抱えながらの毎日です。

まだしばらくは、このドキドキとワクワクが交錯する時期だと思いますが、それも成長への大切な過程なので、今しかないこの時間を有意義に過ごして欲しいと思います。

今から35年前に僕にもそういう時期があったのかと思うと、とても懐かしく感じるとともに、35年という歳月の経過にちょっと驚いてしまう今日この頃です。

さて、今日の話題は少し前の話になってしまいますが、2月28日で東京の新宿にある「新宿アルタ」が閉館したことを皆さんご存知でしょうか。

ニュースなどで報道もされていましたのでご覧になった方もいるかと思いますが、アルタといえば真っ先に思い浮かぶのが、何といっても『笑っていいとも』ですよね。

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1982年から2014年の32年間に渡ってお昼の時間帯に生放送されていた人気長寿番組でしたが、その番組がこのアルタ内のスタジオを使って放送されていました。

放送は一般の方も観覧できるので、僕も一度は生で見てみたいと思い、何度か観覧希望のハガキを送ったことがありましたが、結果は一度も当たりませんでした。

僕には東京の中野区に住む姉夫婦がいるので、東京に遊びに行った際には必ず新宿に行き、そしてアルタを見に行っていました。

特に『笑っていいとも』の放送時間前後には芸能人を結構見ることができるので、東京に行った際はそれも楽しみの1つでした。

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結婚してからは、妻と旅行で東京に行った際にもアルタには行き、『笑っていいとも』のオープニング映像にも何度か映り込むことにも成功しました。

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2枚の写真に僕と妻がどこにいるか、わかる人にはわかります(笑)

今になって振り返れば、この画面上に字に隠れないで映っているのってかなりの奇跡ですよね。だって、カメラ向けられている時には、字がどのへんにくるのかなんてわからないですから。特に2枚目なんて、本当に良いところに映り込んでますね(笑)

12時になると同時に、カメラに写っているのかどうかドキドキしながらも、カメラに向かってみんなで手を振るあのドキドキ感はとても楽しかったです。

もうそんな楽しい時間も味わうことができないのかと思うと残念な気持ちになりますが、思い出のアルタはしっかりと僕の胸の中で良い思い出として永遠に忘れることはありません。

また今度、東京に行った際には、そのアルタのあった場所を懐かしみながら妻と見に行きたいと思います。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の気になるワード)

「アルタ」→今日はやはりこの言葉ですね。アルタとはサンスクリット語で「実利」や「富」の意味を持ち、古代インド哲学では生きていくために必要な力として、人生の目的のひとつとされています。ちなみに、ノルウェーにアルタという都市があり、世界遺産でもあるアルタの岩絵があるそうです。

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2025年1月11日 (土)

プロ野球12球団対抗新春リレーマラソン。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

2025年がスタートして10日あまりが経ちました。

お正月気分もすっかり抜け、日常生活がいつも通りスタートしていますが、今日からは3連休という方も多いのではないでしょうか。

13日が「成人の日」ですので成人式があったり、冬のイベント等が各地で催されていることでしょう。

全国的に大雪などの被害が出ていますので、お出かけの際はくれぐれもご注意ください。

さて、話を少しお正月に戻しますが、僕が子供の頃はお正月といえばテレビっ子の僕にとっては、普段とは違うお正月ならではの特別番組を見るのが楽しみの1つでもありました。

例えば、芸能人による『新春かくし芸大会』や『プロ野球VS大相撲の歌合戦大会』、さらには『新春特別長時間時代劇』など、お正月はとにかくいつも以上にテレビにかじりついていました。

そして、その中でも地味に好きだった新春特別番組が『プロ野球12球団対抗新春リレーマラソン』という番組です。

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この番組はプロ野球各12球団から足の速い選手が集まり、12球団対抗で駅伝をするという番組です。

僕と同世代で野球好きの方であれば、ご存知の方もきっといると思います。

確か舞台は名古屋で、運動公園みたいなところでそのコースを周回する感じだったと思います。

もちろんその頃から巨人ファンだった僕は、巨人が優勝するようにいつも応援していたのですが、強いのはいつもパリーグで、巨人はいつも下位の方に沈んでいた記憶があります。

そんな中、僕の記憶に一番残っているのが、西武ライオンズの羽生田という選手です。

当時はまだそんなに名は知られていなかったのですが、この『新春リレーマラソン』になると必ず出てきて、そしてとにかく足が速かったです!

次から次へと他の選手を抜いていき、西武を優勝に導くのです。

とにかく僕の記憶では羽生田が一番速かったという記憶があります。

番組の司会とナレーションをしていたのが、みのもんたで『おっと、羽生田が来ました、羽生田が抜きます、速い、速い!』と実況していたのを今でも憶えています。

そして羽生田はその後、本職の野球の方でも、その俊足と強肩を武器に当時「常勝西武」と呼ばれていた最強チームで外野手として活躍を見せます。

ある試合でライトからもの凄い返球で捕殺したシーンを見て、『あっ!この選手は羽生田だ!』と僕はすぐにわかりました。

それはあの『新春リレーマラソン』で見慣れた顔でしたから。

この『新春リレーマラソン』は1983年から1996年まで行われていましたが、その後1997年からは『プロ野球12球団対抗新春ランニング王座決定戦』という番組に変わり、さらに2001年からは『プロ野球12球団スーパーバトル』という番組に変わり、駅伝という形から運動会的な感じに変化していったようです。

僕的にはあの『新春リレーマラソン』が一番おもしろかったですし、各球団のトップ選手というよりは、まだ無名ではあるが今後の活躍が期待される俊足たちが登場するので、野球好きにとってはとても見ごたえのある番組だったと僕は思っています。

あれから30年近く経ちますが、ぜひ、令和版『新春リレーマラソン』が復活してくれないかなあと願っています。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の昭和の有名人しりとり)

「柴俊夫」→「大木凡人」

1980年代に司会やレポーターで一躍有名になり、その特徴的なヘアスタイルやコミカルは芸風が印象的なタレントです。一方で身長が180cmもあったり、元プロ野球選手の古田敦也が従弟であったりと意外な一面もあります。

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2024年11月14日 (木)

十三湖のばば。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

11月も半ばに差し掛かり、寒さが徐々に冬の寒さへと変わりつつある今日この頃です。

昨日11月13日は、キムタクこと木村拓哉さんの誕生日でした。

昨日でキムタクも何と52歳になったんですね!

僕は彼の2歳年下で50歳なのですが、やっぱりキムタクはどうみても52歳には見えませんね。本当に驚きです。

さて、そんなキムタクの誕生日でもある「13」にちなんだ話題を今日はお話したいと思います。

「13」という数字ですぐに思い浮かぶのは、やはり僕ら世代であれば1980年代を代表するホラー映画『13日の金曜日』ですが、僕の中で小学生時代の記憶として、今も凄く印象に残っている1冊の本があります。

その本の題名は『十三湖のばば』という本です。

確か、以前もこのブログ内でこのお話は少し触れたことがあります。

たぶん、毎年「ブログ開設〇〇周年」という記事を更新している中で、「13周年」の時に今日と同じく「13」にまつわるエピソードを話した時だと思います。

その時は、詳しくは『十三湖のばば』については触れなかったと記憶しています。

そこで今日は少し触れてみたいのですが、まずは皆さんはこの『十三湖のばば』という本をご存じでしょうか?

僕は子供の頃は、どちらかといえば、そんなに読書をする子供ではなかったのですが、なぜか小学校の図書室にあったこの本のことだけは凄く印象に残っています。

おそらく題名がインパクトがあったためだと思いますが、僕の記憶では何度か借りて読んだ記憶があります。

ただ、記憶が非常に曖昧で、とても寂しく切ないお話だったという薄っすらとした記憶しかありません。

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今回、ネットでこの本を調べて表紙を見て、『おーーこれ、これ、懐かしい!』と一人で興奮してしまいました。

調べてみると、『十三湖のばば』は1974年に出版された本で、青森県津軽半島にある十三湖というところが舞台です。

大変貧しい農村で生きる主人公のばば(おばあちゃん)が語り手となって、自分が嫁に来た20歳の頃から今までのあったことをお話しするという内容です。

腰切り田と言われる深い泥田に生きるばばは、男5人、女6人、計11人の子供をもうけるのですが、赤子が溝に沈んだり、長女が田んぼで、次男が水車で、夫も不慮の事故で、そして長男も戦争でと、次々と家族が死んでいきます・・・

そして生き残ったのはたった3人の子供です・・・

特に作物が育ちにくいこの地方で、食べるものもなく毎日を必死に生きる姿が書かれ、食べるものがなくなった五男は、村の人から「毒だから食べれない」と言われていた植物にまで手を出してしまい、そして死んでしまう・・・という本当に切ないお話です。

なんとなく僕の幼き記憶がよみがえってきましたが、何かこのあらすじを少し聞いただけでも凄く心が締め付けられる本なのかもしれません。

僕が読んだのは、たぶん小学5年生ぐらいだったと思いますから、あれから40年という時が経ち、あの頃とはまた違う感性でこの本を読むことができるかもしれないので、もしもまだ小学校の図書室にこの『十三湖のばば』があるのなら、娘か王子に頼んで借りてきてもらおうかと思っています。

皆さんにも、子供の頃に読んだ本で忘れられない本はあると思いますが、久しぶりにその本をもう一度読んでみるのもありかもしれませんね。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の昭和の有名人しりとり)

「宮尾すすむ」→「村田兆治」

「マサカリ投法」で昭和の時代に活躍したプロ野球・ロッテオリオンズの元投手です。当時としては稀な肘にメスを入れる手術をして、その後見事な復活を果たし、日曜日に必ず登板し勝利するところから「サンデー兆治」とも言われました。引退後は指導者や解説者などを務めましたが、晩年はトラブルなどもあり、最後は自宅の火災で焼死するという痛ましい最期となってしまいました。

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2024年2月28日 (水)

SAYONARA

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

更新がおよそ10日間程、滞ってしまって大変申し訳ありませんでした。

この間、一時雪解けが進み春の気配を感じた十勝地方でしたが、ドカ雪によりまた冬の光景へと逆戻りです。

春は遠しです・・・

さて、そんな今日は長年利用させてもらったある店舗の閉店についての話題です。

その場所は、TSUTAYA西帯広店です。

先日、2月25日をもちましてTSUTAYA西帯広店は閉店してしまいました・・・

先月の28日には隣接する岡書西帯広店も閉店し、どちらのお店もよく利用していた僕としては何か寂しい気持ちでいっぱいです。

特にTSUTAYA西帯広店は独身時代の20代の頃からCDやビデオ(当時)やDVDのレンタルや、書籍の購入などで頻繁に利用し、結婚してからも子供達もTSUTAYAでDVDを借りるのが大好きだったので、よく子供達を連れて利用していました。

しかし、昨今のデジタル化で本やCDは売れず、ドラマや映画などもネット配信で見れる時代です。

当然、レンタル業界の業績は下降を辿るばかりだったと思います。

でも、そんな中では我が家は結構レンタルして見るのが好きだっただけに、とても残念な思いです。

特に子供たちの気持ちを思うと、より切ないです。

閉店の知らせを知り、先日最後にお店を訪れました。

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店内は在庫一掃セールで、ほぼ品物はなくなり、閑散とした状態でした。

最後は、およそ30年近く通い続けたお店に感謝の気持ちと惜別の思いを告げ、店を後にしました。

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本当に長い間、ありがとう、お世話になりましたTUTAYA西帯広店・・・

SAYONARA・・・・

これからは子供たちのために、次なるレンタル店へ行くことにします。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の昭和の有名人しりとり)

「奈美悦子」→「小比類巻かほる」

1980年代後半から1990年代にかけて活躍した女性ミュージシャンで、ソウルフルな歌声が特徴的でした。僕の印象は「カッコイイ歌手」でした。

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2022年11月17日 (木)

黄色い上靴。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

今日は僕の子供の頃の思い出話です。

僕が小学生の頃、たぶん4年生か5年生ぐらいだったと思いますが、学校で履いている凄くお気に入りの上靴がありました。

それは色鮮やかな「黄色い上靴」でした。

正確には「レモン色」に近い色です。

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今から40年近く前の靴なので、全くものは違いますが、イメージとしてはこんな感じの靴です。

たぶん僕の記憶では、僕自身が親に『黄色い上靴を買って』とお願いした記憶はないので、母親が自ら黄色い靴を選んで買ったのだと思います。

実は以前そのことを母に聞いたのですが、僕の予想通り「黄色い靴」じたい全く記憶していませんでした。

たぶん僕は小学生の頃、靴だけでなく服とか帽子とかも黄色いものをそんなに身につけていた記憶がないので、それだけにあの「黄色い上靴」が鮮烈に印象に残っているのだと思います。

でも、その靴が本当にとても大好きで、毎朝登校して下駄箱から黄色い上靴を取って履くのが楽しみだった記憶があります。

僕以外に黄色の上靴を履いている子はいなかったので、下駄箱でもその黄色の上靴がひときわ目立っていた記憶があります。

小学生の頃は成長の頻度が激しいので、足のサイズもすぐに大きくなり、同じ靴をそんなに長くは履けないものです・・・

なので、凄く気に入っていただけに、サイズが合わなくなって黄色い上靴を履けなくなった時は、お別れするのが凄く寂しかったことを今でも憶えています。

そんな僕のDNAを継いでるからかどうかは分かりませんが、王子(僕の息子)はとにかく「黄色」のものが大好きです。

どんな黄色いものにも反応します。

もちろん今、保育園で履いている上靴も黄色です。

黄色い上靴で僕と王子は時を超えて繋がっているんですね。

ただ、最近は以前のように黄色一色依存状態ではなく、オレンジ色にも興味を持ってきました。

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その理由はアニメ『ポケットモンスター』に出てくる「リザードン」というキャラクターにハマっているからです。

『なぜゆえに、今頃ポケモンなの?』という思いもありますが、ポケモンって世代を超えて息の長い人気のアニメなので、そうなることもまんざら理解できないわけではありません。

王子だけでなく、10歳の娘までもがポケモンに今ハマっているのですから、凄い力ですポケモンは。

僕自身は全くポケモンに興味が無いし、ピカチュウ以外ほとんどよくわからないので、いつも子供達に教えてもらっています(笑)

話を黄色に戻しますと、黄色一色依存に変化が生じ、今は王子の中での好きな色は、黄色70%、オレンジ30%ぐらいの比率になっているような気がします。

今日は僕の思い出の「黄色い上靴」のお話をさせていただきましたが、こんな話をしていたら何だか急に黄色い靴を履きたくなってきました。

これから季節は冬なので、さすがに黄色い冬靴というのは難しいので、来春になったら黄色いスニーカーでも買ってみようかと思います。

40年ぶりぐらいの黄色い靴、どんな出会いが待っているのか、今から春が楽しみです。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の名曲しりとり)

『ハイウェイに乗る前に』→『西新宿の親父の唄』(長渕剛)

長渕ファンであれば誰しもが知っている名曲です。1990年に発売されたアルバム『JEEP』の中に収録されている曲で、僕は何度も何度もこの歌を聞き、今でもカラオケでは歌わせていただいています。もちろんモノマネ付きで(笑)

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2022年4月29日 (金)

昭和回顧録~生活用品編~

おはようにゃ~北の猫男爵です。

今日は4月29日「昭和の日」という祝日です。

少し前までは「みどりの日」という呼称でしたが、僕ら昭和世代にとっては子供の頃から「天皇誕生日」です。

昭和天皇の誕生日だったこの日、子供達にとっては大型連休になるためには欠かせない存在で、とても重要な祝日でした。

ということで、今日はその「昭和天皇誕生日」にちなんで、僕らが生まれ育った昭和という時代を振り返る「昭和回顧録」の第3弾をお送りします。

第1弾は「思い出のアニメ編」、第2弾は「懐かしアイス編」でしたが、今回お送りするのは「生活用品編」です。

昭和という時代を象徴する、色々なアイテムや生活用品をご紹介していき、その頃の思い出を振り返ってみたいと思います。

まずご紹介するにはこれ!

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昭和の食卓でよく見た光景です。

食べ物をハエなどから守る網です。「食卓カバー」っていう名前なのかな?

網のせいで、匂いはするが食べものに近づけないハエたちが網に止まっている光景もよく目にしました。

そのハエを退治するのにあったアイテムが2つ。

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まずはその1、「ハエたたき」。これは今も健在で、僕の職場でも夏場はたまに活用しています。

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続いてその2、これは「ハエ取り紙」っていうんですかね。粘着力のある紙みたいなところにハエがとまれば一網打尽。ハエは身動きが取れなくなる優れものです。ただ、ハエが無数にくっついているので見栄えがね・・・令和のこの時代では全く見ることはありません。

続いてはこれ!

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出ました「黒電話」!実に懐かしいですが、実際僕が生まれた頃はまだ僕の家にもあったので記憶にあります。小学生の頃からプッシュ型の電話に変わったと思います。「黒電話」は0とか9を回すと戻りがなかなか遅いのを憶えています。昭和世代の方には通じますよね(笑)

さてさてどんどんといきます。

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これも懐かしい!「米びつ」です。今はオシャレな「米びつ」などがあると思いますが、昭和を感じさせるデザインです。

次はこれ!

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男子トイレの便器必須アイテムの丸い「カラーボール」みたいなやつです。

男子はみんなこのボールめがけて用をたしたものです(笑)

それでは次はこれ。

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「すだれ」でいいのかな、これもなかなかの確率でどの家庭にもありましたよね。ここを通るときに顔にぶつかって邪魔なんですよね(笑)

そして最後にご紹介するアイテムはこちら。

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これも最近あまり見なくなりましたが、昭和の家庭にはあった「透明なガラスの灰皿」。

昔はタバコを吸うお父さんが多かったので、だいたいの家庭にはありましたね。

さあ、いかかでしたか昭和のことを皆さん思い出してくれましたか?

いずれにしても、何事にも便利になったこの時代も良いですが、昭和の懐かしき時代も「古き良き時代」です。

年に1度の「昭和の日」、懐かしき昭和の日のことを思い出すのも良いではないでしょうか。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の名曲しりとり)

『泣かないで』→『DESIRE』(中森明菜)

実にインパクトのある画期的な曲でした、最初に歌番組で中森明菜が歌った時に衝撃は今でも憶えています。

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2022年2月28日 (月)

サヨナラ、4プラ。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

今日で2月も終わり、明日からはいよいよ3月です。

3月という響きを聞くと、春が近づいてきたことを確実に感じます。

と同時に3月は「卒業」そして「別れ」の季節でもあります。

「春になる喜び」と「別れの寂しさ」が同居する、何ともセンチメンタルな時間です。

さて、そんな別れの季節ですが、ちょうど1ヶ月前の1月31日に札幌のとある商業施設が50年間という歴史に幕を閉じ、閉館したことを皆さんご存じでしょうか?

それは「4プラ」の愛称で親しまれた札幌・大通地区の商業ビル「4丁目プラザ」です。

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1971年(昭和46年)9月に開業した「4プラ」は、最新の流行を取り入れた衣料品や雑貨を中心に若者文化を発信し、札幌の中心である大通地区の賑わいに大きく貢献し続け、ピーク時の1990年代には年間125億円を売り上げ、札幌の象徴的存在として多くの人に愛され親しまれました。

僕は札幌で4年間の大学生活を過ごしましたが、もちろん僕も「4プラ」には何度も足を運びました。

とにかく、衣類、雑貨、日用品、小物アクセサリーなどなど、見るところが多くて何度行っても飽きることのない場所でした。

待ち合わせの場所にもよく利用して『4プラ前に何時ね』みたいな感じで活用しました。

余談になりますが、他にも待ち合わせ場所でいえば、「ヨーク下」や「パルコ前」が当時は多かったです。

「ヨーク下」とは当時はススキノに「ヨークマツザカヤ」という商業施設があり、その建物の地下がススキノ地下鉄駅の出口にあったので、地下鉄を降りてすぐの「ヨーク下」を待ち合わせ場所にしていました。

ただ、僕が大学1年生の時に「ヨークマツザカヤ」がすぐになくなり、「ロビンソン」と名前が変わったので今度は「ロビンソン下」あるいは「ロビ下」に変わりましたけどね(笑)

「パルコ」は「4プラ」とスクランブル交差点を挟んで近かったので、どちらかで待ち合わせした後はどちからの店にも必ず行っていた記憶があります。

あと、田舎から札幌の大学に来た僕にとって、あのスクランブル交差点には最初戸惑いました(笑)

『えっ?これ渡っていいの?みんな全方向から歩いてきてるけど・・・』ってね(笑)

どれもこれも今思えば、30年近く前の良き思い出です。

いずれにしても、半世紀に渡り札幌市民のみならず北海道の多くの若者に楽しみと思い出を残してくれた「4プラ」には感謝しかありません。

来月からは建物の解体工程にも入るということで、もちろん寂しさはありますが、札幌の象徴として長きに渡り開館されたことに改めて感謝します。

「サヨナラ、4プラ、そして、ありがとう。」

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の名曲しりとり)

『虹の都へ』→『部屋とYシャツと私』(平松愛理)

押しも押されぬ、バブル期そして平成初期の代表曲です。

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2022年2月15日 (火)

落とし物の御礼。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

昨日は2月14日「バレンタインデー」でした。

小学3年生になる我が娘は、今年も同級生の男の子に渡すチョコを作って渡す予定でしたが、今はコロナが少し蔓延している状況なので今年は少し状況が落ち着いてからチョコを渡すことにしました。

僕が子供の頃は小学生でも高学年ぐらいにならないとチョコを貰った記憶がないのですが、今は男の子にあげるだけでなく、女の子のお友達同士で贈り合う「友チョコ」が小学生の間でも流行りのようです。

さて、そんな今日はバレンタイン時期に起きた昔の出来事をふと思い出したのでお話してみたいと思います。

今から25年以上も前の昔話になります(笑)

あれは僕が20歳の頃、まだ大学生の頃のことです。

とある冬の日、僕は大学の講義を終え、家路に着くために雪が積もる道を歩いていました。

すると、少し前方に何かが落ちているのを発見しました。

近づいてみると、それは何と財布でした!

近くには誰もいなかったので、誰が落としたのかはわからない状況でした。

とりあえず、もしかしたら中に身分証明書のようなものがあるかもしれないので、財布を開けてみることにしました。

でも、特にそのようなものは入っていませんでした。

その時、財布の中身も目に入ってしまったのですが、申し訳ありませんが、現金は本当に僅かしか入っていませんでした。

とりあえず、僕は近くの交番に財布を届けることにしました。

無事に交番で財布を引き渡し、拾った場所や時間、そして自分の連絡先などを教えて交番を後にしました。

そして数日後、自宅の電話がなりました。

それは交番からの電話で、「落とし主が見つかり、その方が直接御礼が言いたいので電話番号を教えても良いですか?」という内容でした。

僕は少し迷いましたが「良いですよ」という返事をしました。

それからまた数日後、自宅の電話がなりました。

電話に出ると、それは財布の持ち主でした。

僕はその電話の声に少し驚きました。

実は拾った財布の感じから相手は男性だと思っていたのですが、何と電話の声は女性だったのです。

僕は少し戸惑いましたが、その女性から御礼のお言葉をいただき、僕は電話を切ろうとしましたが、女性が僕と同じ大学に通う学生だということがわかり、しかも何か御礼をさせて欲しいと言われたのです。

僕は迷いましたが、断るのも申し訳ないと思いOKしました。

日にちと時間を決め、学校の掲示板の前で待ち合わせをすることにしました。

何となく僕の妄想は膨らみ、これはもしかして何か恋の予感?と勝手に想像してみました。

しかし当時僕には彼女がいたので、もしもそういう感じになられても逆に困るな・・・と勝手に自分本意の妄想を膨らませていました。

一応、隠し事は嫌だし、あとで変な誤解を生んでも嫌なので、彼女にも事情を説明しておきました。

そして待ち合わせの日となり、僕は掲示板の前にいました。

すると、財布の持ち主が現れました。

一応、僕の中では「どんな子なのかな?キレイ系?カワイイ系?」などと妄想が膨らんでいたのですが・・・

現れたその女性は、ちょっと地味な感じで想像とはかなり違いました。

同じ大学の学生といっても、一度も見たこともない人でした。

僕の中では「御礼ということは、もしかしたら食事とかに誘われるのかな?」と勝手に想像していたのですが、女性は手にした小さな袋を僕に差しだし「ありがとうございました」と手渡してくれました。

そして僕とその女性はそこで会釈をして別れました。

僕はいただいた袋を下げて、ちょうど僕の彼女も大学構内にいたので彼女のところにいきました。

彼女に財布の持ち主と会ってきたことを話し、その袋の中身を見てみることにしました。

そして開けてみると、そこにはお菓子のチョコの箱が1箱入っていました。

「うん?これだけ?」

僕は思わず目を見開いてしまいましたが、あくまでも御礼ですから「文句を言ってはいけない」そう言い聞かせました。

しかし「チョコのお菓子だけか・・・」と僕は何度も何度も思いました。

よくよく考えると、たまたまその時、バレンタインデーが近づいていたので、だからチョコだったんじゃないかと僕の中では整理することにしました。

その後、その女性とは大学内で一度も会うことはありませんでしたが、バレンタインデーが来ると思い出す「落とし物の御礼」の話を今日はさせていただきました。

この出来事から得た教訓は『人は善意の見返りを求めてはいけない』ということです。

皆さんも財布などを拾ったご経験などはもしかするとあるかもしれませんが、決して見返りを求めないで、当然のことではありますが、まずはとにかく交番に届けましょう。

善意の行動はきっと後になって、何かしら自分を助けてくれることになると思います。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao)

(今日の名曲しりとり)

『言えないよ』→『夜明けのブレス』(チェッカーズ)

チェッカーズの中でもバラード調の名曲で、僕は良くカラオケで歌わせてもらっています。

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2021年12月23日 (木)

家族写真?ポスター?カレンダー?

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

12月も終盤に差し掛かり、いよいよ明日は「クリスマス・イブ」、そして明後日は「クリスマス」です。

我が家では娘と王子が、サンタさんからの贈り物を待ちわびて、毎日毎日「クリスマス」が近づくたびにテンションが徐々に上がってきています。

既にサンタさんからのプレゼントを貰えるように長靴を準備し、そこに「サンタさんとトナカイがお腹を空かしてやってくるだろうから」と、お菓子と飴を入れてサンタさんのお腹の好き具合までも心配しています(笑)

きっと「クリスマス」の朝は、子供達の素敵な笑顔を見れることでしょう。

さて、そんな今日は「クリスマス・イブイブ」でもありますが、3年前まで祝日だったことを皆さん憶えていますか?

現在は上皇となられた平成天皇の誕生日が12月23日で、天皇陛下になられてからは「天皇誕生日」として祝日となっていたのです。

そんな上皇様は今年で88歳、いわゆる「米寿」のお祝いです。

そこで今日はちょっと皇族の話題に少し触れさせていただきます。

今年は何かと世間を騒がることになった皇族ですが、そのことは今日は一旦忘れることにしまして、皆さんは皇族の家族写真のようなものをお家で見たことありますか?

実は僕は実家に、昔、僕が子供の頃からなぜか壁に貼ってあり、その記憶があります。

もちろん今は自宅にはありませんし、実家にも貼ってありませんが、たぶん僕の記憶では僕が中高生ぐらいになるまではあったと思います。

それも毎年、新しいものに変えて、僕も中学生ぐらいに張り替えの手伝いをした記憶があります。

どんなものかと言いますと、こんなものです。

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我が家はこんな金の額縁などにはいれないで、そのまま壁に貼っていました。

上のものはネット画像から添付させてもらいましたが、昭和天皇のお姿がありますね。後列に平成天皇や現在の天皇陛下、前列には秋篠宮殿下もいらっしゃいます。非常に懐かしい写真です。

こういった皇族の家族写真、皆さんのお家にはありませんでしたか?

僕は子供の頃、自分の家の他にも、親戚のお家やお友達のお家でも見たことがあるので、特に違和感を感じたことは無かったのですが、先日職場の同僚と話をしていて、この皇族写真の話題になった時に全くその存在を知らない人がいたので、もしかするとこれはそんなに世間一般的には認知されていないものなのかもしれないと思いました。

たぶん、昔のおじいちゃんやおばあちゃんなどの世代のお家にはあったのかもしれませんが、世代によっては知らないものであることは間違いないでしょう。

ちょっと横道にそれますが、僕の家ではしていませんでしたが、昔よくお正月や祝日になると、家の玄関先に日の丸の旗をポールみたいのに挿して掲揚しているお家とかありましたよね。

あとこれもお正月ですが、車のボンネットのところに日の丸の旗を両サイドに挿して走っている車もいました、今ではどちらも皆無に等しいですが、昭和の懐かしさをちょっと感じます。

話を戻しますが、あの皇族の写真はどうやって手に入れていたのですかね?

何となく僕の記憶では、大晦日にまとめてくる大量の新聞の折り込みの中に、その年のお正月用の皇族写真が入ってきてたような気もするのですが、それも定かではありません。

そもそもこれが写真なのか、ポスターなのか、それともカレンダーなのか、いったい何だったのかも定かではありません。

今日は上皇様(平成天皇)の誕生日だったので、ちょっと記憶を探りながら、昔の思い出話をさせていただきました。

それでは、残り8日となった2021年を思う存分楽しみましょう。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の誕生日三人衆)

①笑福亭鶴瓶【言わずと知れた、日本を代表する落語家でもありお笑いタレントであります。その存在感は芸能界では大御所クラスです】(70歳)

②武藤敬司【1990年代に闘魂三銃士の1人として、プロレス一大ブームを作ったレスラーで、空中殺法や関節技などオリジナルの技を次々と編み出した人気レスラーです】(59歳)

③山崎まさよし【アコースティックギターを使い、独特の歌声で数々の名曲を世に送り出した男性シンガーソングライターで、歌のみならず俳優としても活躍しています】(50歳)

<特別枠>Nか【僕の高校時代の同級生で30年来の友人です、かつて泥姉妹と呼べれMVDを席巻しました】(〇〇歳)

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2021年12月18日 (土)

昭和回顧録~懐かしアイス編~

こんにちにゃ~北の猫男爵です。

先日妻との会話の中で、昔のアイスクリームの話題になりました。

そこで話の中に登場したのが、僕ら昭和世代にとってはたまらない懐かしい商品「レディーボーデン」と「リーベンデール」です。

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当時子供だった僕たちにとっては、あのバケツ型のちょっと大きめなパッケージに入った高級アイスクリームは憧れのアイスで、たまにしか食べれなくて、食べるとその美味しさにスプーンが止まりませんでした。

今でこそ、「ハーゲンダッツ」が人気商品で主流ではありますが、僕が子供の頃は「レディーボーデン」と「リーベンデール」は2大挙党で、そこに「ビエネッタ」も絡ませて、子供にとってはたまにしか食べれない高級アイスたちでした。

僕の住む北海道では冬に暖房で温めった部屋でアイスを食べるというのがごく当たり前の光景で、道外の方にとっては信じられないことかもしれませんが、小さい頃からそうやって育ってきたので何の違和感もなく今も冬のアイスは必需品です。

というか、もしかすると冬の方がアイスの消費が多いかもしれないくらいです。

そこで今日は冬ではありますが、ちょっと僕の記憶回路をフル稼働させて、昔懐かしい「昭和のアイス」を思い出してみたいと思います。

まず僕の中で真っ先に思い出すのが、何といっても「プロレスアイス」です。

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以前にもお話したことがあるかもしれませんが、当りクジ付きの棒アイスで、当りには「卍固め2本当たり」とか「サソリ固め1本当たり」など技と当りの本数が書いてありました。確か記憶では最高で3本まで当りがあったはずです。

1980年代のプロレスブームもあり、僕は友達といつも近所の駄菓子屋さんに行き、この「プロレスアイス」を買って食べてました。

その時に同じくらい好きだったのが、「ワンツースリー」というアイスです。

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これも棒アイスで、チョコバナナ味などもあり、名前の通り当りが1本、2本、3本あるというアイスでした。

3本当たった時もたまにあって、その時は凄い嬉しかったことを憶えています。

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「クロキュラー」といって食べると口の中が真っ黒になるアイス、それの赤バージョンで「アカキュラー」というのもありました。

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「メロンボール」といって、メロンの型をした中にアイスが入っているのも懐かしい商品です。

他にもどんどん思い出したのでいきますね。

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「ホームランバー」!

これに類似したもので「怪物くんアイス」というのもあり、僕はそれも好きでした。

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「エルコーン」!

これは昭和を感じさせる懐かし商品です。

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「デリシャス」!

小さいアイスが3本、棒の先についていて、味がそれぞれ違い、味を3回楽しめる大好きな商品でした。

あとこれは番外編ですが、アスクリームの自動販売機で光が点滅してルーレットのようにグルグル回り、アイスのところで止まると当りでもう1個貰える自動販売機が昔ありましたよね。

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僕の家の近所にもあり、よくそこで当たったことがありました。

懐かしい「昭和のアイス」たち、話だしたらキリがありませんね。

今ももちろん販売されている商品もありますが、既に商品化されていないものもあり、子供の頃の懐かしさを今日は思いだしました。

もう頭の中はすっかり「アイス」でいっぱいなので、今日はこれから「アイス」でも買いに行くことにします。

皆さんにとって、思い出に残る「懐かしの昭和アイス」は何ですか?

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の誕生日三人衆)

①スティーブン・スピルバーグ【皆さんご存じの世界を代表する映画監督で、『ジョーズ』『E.T』『インディー・ジョーンズ』など代表作を挙げればキリがないほど、世に数多くの作品を残しています】(75歳)

②布施明【昭和を代表する男性歌手の1人で『シクラメンのかほり』は大ヒット作品です。その甘い美声に昭和の女性は虜になりました】(74歳)

③ブラット・ピット【「ブラピ」の愛称で今もなおトップハリウッドスターとして活躍し、数多くの作品が世界中で大ヒットしています】58歳

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