思い出

2024年2月28日 (水)

SAYONARA

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

更新がおよそ10日間程、滞ってしまって大変申し訳ありませんでした。

この間、一時雪解けが進み春の気配を感じた十勝地方でしたが、ドカ雪によりまた冬の光景へと逆戻りです。

春は遠しです・・・

さて、そんな今日は長年利用させてもらったある店舗の閉店についての話題です。

その場所は、TSUTAYA西帯広店です。

先日、2月25日をもちましてTSUTAYA西帯広店は閉店してしまいました・・・

先月の28日には隣接する岡書西帯広店も閉店し、どちらのお店もよく利用していた僕としては何か寂しい気持ちでいっぱいです。

特にTSUTAYA西帯広店は独身時代の20代の頃からCDやビデオ(当時)やDVDのレンタルや、書籍の購入などで頻繁に利用し、結婚してからも子供達もTSUTAYAでDVDを借りるのが大好きだったので、よく子供達を連れて利用していました。

しかし、昨今のデジタル化で本やCDは売れず、ドラマや映画などもネット配信で見れる時代です。

当然、レンタル業界の業績は下降を辿るばかりだったと思います。

でも、そんな中では我が家は結構レンタルして見るのが好きだっただけに、とても残念な思いです。

特に子供たちの気持ちを思うと、より切ないです。

閉店の知らせを知り、先日最後にお店を訪れました。

Picsart_240228_125259881

店内は在庫一掃セールで、ほぼ品物はなくなり、閑散とした状態でした。

最後は、およそ30年近く通い続けたお店に感謝の気持ちと惜別の思いを告げ、店を後にしました。

Picsart_240228_125246059

本当に長い間、ありがとう、お世話になりましたTUTAYA西帯広店・・・

SAYONARA・・・・

これからは子供たちのために、次なるレンタル店へ行くことにします。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の昭和の有名人しりとり)

「奈美悦子」→「小比類巻かほる」

1980年代後半から1990年代にかけて活躍した女性ミュージシャンで、ソウルフルな歌声が特徴的でした。僕の印象は「カッコイイ歌手」でした。

| | コメント (0)

2023年12月20日 (水)

記憶の扉②~心に残る女性デュオ~

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

今日は先月からスタートした新シリーズ企画「記憶の扉」の第2弾をお送りしたいと思います。

僕の心の中に眠る記憶を思い出し、懐かしさと思い出を呼び起こす企画です。

一応、不定期ではありますが、月に1回ぐらいのペースでできればと思っています。

前回は『スケバン刑事のリリアンの由真』をご紹介しましたが、今日お送りするのは僕が今も心に残っている女性デユオです。

そのデユオの名前はズバリ!

「MANISH」(マニッシュ)です!

06c9f4371f5946f6c69386b41101959c

皆さんの中にも懐かしいと思った方もいるかと思いますが、MANISHは1990年代半ばに活躍した女性デユオです。

元々はDALI(ダリ)という4人組アイドルグループとしてデビューしたメンバーの中から、高橋美鈴と西本麻里が選抜され結成されたのが、MANISHです。

今でも僕は鮮明に憶えています。高校3年生の冬休みに見ていた音楽番組に登場した2人の女性、圧倒的な美しいビジュアルと、ボーカルの高橋美鈴の透き通った歌声、僕は一瞬で虜になりました。

その時、聞いた曲がデビュー曲『恋人と呼べないDistance』でした。

その後は、WANDSの上杉昇と織田哲郎が作った楽曲『声にならないほど愛しい』や、大黒摩季が作詞した『素顔のままKISSしよう』、大黒摩季作詞、織田哲郎作曲の『君が欲しい全部欲しい』などヒット曲を連発し、あっという間に人気を得ることに成功しました。

大学生になった僕はほぼ毎日、MANISHの歌を聞いていた記憶があります。

アップテンポなポップロック調、そして抜群の歌唱力は本当に聞いていて気持ちが良かったです。

10枚目のシングル『煌めく瞬間に捕われて』は、当時人気絶頂だったアニメ『スラムダンク』のエンディングテーマとしても使われており、さらにMANISHの人気に拍車をかけました。

しかし、そんな彼女たちは1998年に突然解散・・・

僕はMANISHの歌が聞けなくり、凄く残念な気持ちになったことを今でも覚えています。

現在は2人とも音楽業界とは一切関わりをもっておらず、一般人として普通に暮らしているようですが、僕としてはもう1度、2人の姿をテレビで見たいような気もしますが、そこはそっーとしておいてあげたほうがいいかもしれませんね。

25年間も音楽をしていなければ当然ブランクもあるでしょうし、MANISHはあの時のMANISHのままで僕の記憶の中に眠らせておくことにします。

MANISHは2人とも年齢的には僕と同じぐらいなので、きっと家庭を持ち平穏に暮らしていることでしょう。

そんな彼女たちを思い浮かべながら、今日は久しぶりにMANISHの歌を聞いてみようと思います。

ちなみに今日12月20日は、MANISHのデビュー曲『恋人と呼べないDistance』(1992年)がリリースされた記念すべき日です。

あれから31年、MANISHの歌声は僕の中で全く色褪せることなく心に響いています。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の珍地名)はお休みします。

| | コメント (0)

2022年11月17日 (木)

黄色い上靴。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

今日は僕の子供の頃の思い出話です。

僕が小学生の頃、たぶん4年生か5年生ぐらいだったと思いますが、学校で履いている凄くお気に入りの上靴がありました。

それは色鮮やかな「黄色い上靴」でした。

正確には「レモン色」に近い色です。

1609414340

今から40年近く前の靴なので、全くものは違いますが、イメージとしてはこんな感じの靴です。

たぶん僕の記憶では、僕自身が親に『黄色い上靴を買って』とお願いした記憶はないので、母親が自ら黄色い靴を選んで買ったのだと思います。

実は以前そのことを母に聞いたのですが、僕の予想通り「黄色い靴」じたい全く記憶していませんでした。

たぶん僕は小学生の頃、靴だけでなく服とか帽子とかも黄色いものをそんなに身につけていた記憶がないので、それだけにあの「黄色い上靴」が鮮烈に印象に残っているのだと思います。

でも、その靴が本当にとても大好きで、毎朝登校して下駄箱から黄色い上靴を取って履くのが楽しみだった記憶があります。

僕以外に黄色の上靴を履いている子はいなかったので、下駄箱でもその黄色の上靴がひときわ目立っていた記憶があります。

小学生の頃は成長の頻度が激しいので、足のサイズもすぐに大きくなり、同じ靴をそんなに長くは履けないものです・・・

なので、凄く気に入っていただけに、サイズが合わなくなって黄色い上靴を履けなくなった時は、お別れするのが凄く寂しかったことを今でも憶えています。

そんな僕のDNAを継いでるからかどうかは分かりませんが、王子(僕の息子)はとにかく「黄色」のものが大好きです。

どんな黄色いものにも反応します。

もちろん今、保育園で履いている上靴も黄色です。

黄色い上靴で僕と王子は時を超えて繋がっているんですね。

ただ、最近は以前のように黄色一色依存状態ではなく、オレンジ色にも興味を持ってきました。

36d12013db9d62d263f9f55c112b22a33a894b5f

その理由はアニメ『ポケットモンスター』に出てくる「リザードン」というキャラクターにハマっているからです。

『なぜゆえに、今頃ポケモンなの?』という思いもありますが、ポケモンって世代を超えて息の長い人気のアニメなので、そうなることもまんざら理解できないわけではありません。

王子だけでなく、10歳の娘までもがポケモンに今ハマっているのですから、凄い力ですポケモンは。

僕自身は全くポケモンに興味が無いし、ピカチュウ以外ほとんどよくわからないので、いつも子供達に教えてもらっています(笑)

話を黄色に戻しますと、黄色一色依存に変化が生じ、今は王子の中での好きな色は、黄色70%、オレンジ30%ぐらいの比率になっているような気がします。

今日は僕の思い出の「黄色い上靴」のお話をさせていただきましたが、こんな話をしていたら何だか急に黄色い靴を履きたくなってきました。

これから季節は冬なので、さすがに黄色い冬靴というのは難しいので、来春になったら黄色いスニーカーでも買ってみようかと思います。

40年ぶりぐらいの黄色い靴、どんな出会いが待っているのか、今から春が楽しみです。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の名曲しりとり)

『ハイウェイに乗る前に』→『西新宿の親父の唄』(長渕剛)

長渕ファンであれば誰しもが知っている名曲です。1990年に発売されたアルバム『JEEP』の中に収録されている曲で、僕は何度も何度もこの歌を聞き、今でもカラオケでは歌わせていただいています。もちろんモノマネ付きで(笑)

| | コメント (0)

2022年4月29日 (金)

昭和回顧録~生活用品編~

おはようにゃ~北の猫男爵です。

今日は4月29日「昭和の日」という祝日です。

少し前までは「みどりの日」という呼称でしたが、僕ら昭和世代にとっては子供の頃から「天皇誕生日」です。

昭和天皇の誕生日だったこの日、子供達にとっては大型連休になるためには欠かせない存在で、とても重要な祝日でした。

ということで、今日はその「昭和天皇誕生日」にちなんで、僕らが生まれ育った昭和という時代を振り返る「昭和回顧録」の第3弾をお送りします。

第1弾は「思い出のアニメ編」、第2弾は「懐かしアイス編」でしたが、今回お送りするのは「生活用品編」です。

昭和という時代を象徴する、色々なアイテムや生活用品をご紹介していき、その頃の思い出を振り返ってみたいと思います。

まずご紹介するにはこれ!

97bc8914e34326f20898948897d9d87f500x500

昭和の食卓でよく見た光景です。

食べ物をハエなどから守る網です。「食卓カバー」っていう名前なのかな?

網のせいで、匂いはするが食べものに近づけないハエたちが網に止まっている光景もよく目にしました。

そのハエを退治するのにあったアイテムが2つ。

61cbmfsfuel_ac_sx466_

まずはその1、「ハエたたき」。これは今も健在で、僕の職場でも夏場はたまに活用しています。

Img_0927

続いてその2、これは「ハエ取り紙」っていうんですかね。粘着力のある紙みたいなところにハエがとまれば一網打尽。ハエは身動きが取れなくなる優れものです。ただ、ハエが無数にくっついているので見栄えがね・・・令和のこの時代では全く見ることはありません。

続いてはこれ!

6bde4288402b40569a71da15d6ca0f01

出ました「黒電話」!実に懐かしいですが、実際僕が生まれた頃はまだ僕の家にもあったので記憶にあります。小学生の頃からプッシュ型の電話に変わったと思います。「黒電話」は0とか9を回すと戻りがなかなか遅いのを憶えています。昭和世代の方には通じますよね(笑)

さてさてどんどんといきます。

B1cf2823e6943d41ee5985b50500a9e06315a674

これも懐かしい!「米びつ」です。今はオシャレな「米びつ」などがあると思いますが、昭和を感じさせるデザインです。

次はこれ!

Dsc0377

男子トイレの便器必須アイテムの丸い「カラーボール」みたいなやつです。

男子はみんなこのボールめがけて用をたしたものです(笑)

それでは次はこれ。

M37547629880_3

「すだれ」でいいのかな、これもなかなかの確率でどの家庭にもありましたよね。ここを通るときに顔にぶつかって邪魔なんですよね(笑)

そして最後にご紹介するアイテムはこちら。

M54623368465_1

これも最近あまり見なくなりましたが、昭和の家庭にはあった「透明なガラスの灰皿」。

昔はタバコを吸うお父さんが多かったので、だいたいの家庭にはありましたね。

さあ、いかかでしたか昭和のことを皆さん思い出してくれましたか?

いずれにしても、何事にも便利になったこの時代も良いですが、昭和の懐かしき時代も「古き良き時代」です。

年に1度の「昭和の日」、懐かしき昭和の日のことを思い出すのも良いではないでしょうか。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の名曲しりとり)

『泣かないで』→『DESIRE』(中森明菜)

実にインパクトのある画期的な曲でした、最初に歌番組で中森明菜が歌った時に衝撃は今でも憶えています。

| | コメント (0)

2022年2月28日 (月)

サヨナラ、4プラ。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

今日で2月も終わり、明日からはいよいよ3月です。

3月という響きを聞くと、春が近づいてきたことを確実に感じます。

と同時に3月は「卒業」そして「別れ」の季節でもあります。

「春になる喜び」と「別れの寂しさ」が同居する、何ともセンチメンタルな時間です。

さて、そんな別れの季節ですが、ちょうど1ヶ月前の1月31日に札幌のとある商業施設が50年間という歴史に幕を閉じ、閉館したことを皆さんご存じでしょうか?

それは「4プラ」の愛称で親しまれた札幌・大通地区の商業ビル「4丁目プラザ」です。

2022012800010003doshin0002view

1971年(昭和46年)9月に開業した「4プラ」は、最新の流行を取り入れた衣料品や雑貨を中心に若者文化を発信し、札幌の中心である大通地区の賑わいに大きく貢献し続け、ピーク時の1990年代には年間125億円を売り上げ、札幌の象徴的存在として多くの人に愛され親しまれました。

僕は札幌で4年間の大学生活を過ごしましたが、もちろん僕も「4プラ」には何度も足を運びました。

とにかく、衣類、雑貨、日用品、小物アクセサリーなどなど、見るところが多くて何度行っても飽きることのない場所でした。

待ち合わせの場所にもよく利用して『4プラ前に何時ね』みたいな感じで活用しました。

余談になりますが、他にも待ち合わせ場所でいえば、「ヨーク下」や「パルコ前」が当時は多かったです。

「ヨーク下」とは当時はススキノに「ヨークマツザカヤ」という商業施設があり、その建物の地下がススキノ地下鉄駅の出口にあったので、地下鉄を降りてすぐの「ヨーク下」を待ち合わせ場所にしていました。

ただ、僕が大学1年生の時に「ヨークマツザカヤ」がすぐになくなり、「ロビンソン」と名前が変わったので今度は「ロビンソン下」あるいは「ロビ下」に変わりましたけどね(笑)

「パルコ」は「4プラ」とスクランブル交差点を挟んで近かったので、どちらかで待ち合わせした後はどちからの店にも必ず行っていた記憶があります。

あと、田舎から札幌の大学に来た僕にとって、あのスクランブル交差点には最初戸惑いました(笑)

『えっ?これ渡っていいの?みんな全方向から歩いてきてるけど・・・』ってね(笑)

どれもこれも今思えば、30年近く前の良き思い出です。

いずれにしても、半世紀に渡り札幌市民のみならず北海道の多くの若者に楽しみと思い出を残してくれた「4プラ」には感謝しかありません。

来月からは建物の解体工程にも入るということで、もちろん寂しさはありますが、札幌の象徴として長きに渡り開館されたことに改めて感謝します。

「サヨナラ、4プラ、そして、ありがとう。」

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の名曲しりとり)

『虹の都へ』→『部屋とYシャツと私』(平松愛理)

押しも押されぬ、バブル期そして平成初期の代表曲です。

| | コメント (0)

2022年2月15日 (火)

落とし物の御礼。

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

昨日は2月14日「バレンタインデー」でした。

小学3年生になる我が娘は、今年も同級生の男の子に渡すチョコを作って渡す予定でしたが、今はコロナが少し蔓延している状況なので今年は少し状況が落ち着いてからチョコを渡すことにしました。

僕が子供の頃は小学生でも高学年ぐらいにならないとチョコを貰った記憶がないのですが、今は男の子にあげるだけでなく、女の子のお友達同士で贈り合う「友チョコ」が小学生の間でも流行りのようです。

さて、そんな今日はバレンタイン時期に起きた昔の出来事をふと思い出したのでお話してみたいと思います。

今から25年以上も前の昔話になります(笑)

あれは僕が20歳の頃、まだ大学生の頃のことです。

とある冬の日、僕は大学の講義を終え、家路に着くために雪が積もる道を歩いていました。

すると、少し前方に何かが落ちているのを発見しました。

近づいてみると、それは何と財布でした!

近くには誰もいなかったので、誰が落としたのかはわからない状況でした。

とりあえず、もしかしたら中に身分証明書のようなものがあるかもしれないので、財布を開けてみることにしました。

でも、特にそのようなものは入っていませんでした。

その時、財布の中身も目に入ってしまったのですが、申し訳ありませんが、現金は本当に僅かしか入っていませんでした。

とりあえず、僕は近くの交番に財布を届けることにしました。

無事に交番で財布を引き渡し、拾った場所や時間、そして自分の連絡先などを教えて交番を後にしました。

そして数日後、自宅の電話がなりました。

それは交番からの電話で、「落とし主が見つかり、その方が直接御礼が言いたいので電話番号を教えても良いですか?」という内容でした。

僕は少し迷いましたが「良いですよ」という返事をしました。

それからまた数日後、自宅の電話がなりました。

電話に出ると、それは財布の持ち主でした。

僕はその電話の声に少し驚きました。

実は拾った財布の感じから相手は男性だと思っていたのですが、何と電話の声は女性だったのです。

僕は少し戸惑いましたが、その女性から御礼のお言葉をいただき、僕は電話を切ろうとしましたが、女性が僕と同じ大学に通う学生だということがわかり、しかも何か御礼をさせて欲しいと言われたのです。

僕は迷いましたが、断るのも申し訳ないと思いOKしました。

日にちと時間を決め、学校の掲示板の前で待ち合わせをすることにしました。

何となく僕の妄想は膨らみ、これはもしかして何か恋の予感?と勝手に想像してみました。

しかし当時僕には彼女がいたので、もしもそういう感じになられても逆に困るな・・・と勝手に自分本意の妄想を膨らませていました。

一応、隠し事は嫌だし、あとで変な誤解を生んでも嫌なので、彼女にも事情を説明しておきました。

そして待ち合わせの日となり、僕は掲示板の前にいました。

すると、財布の持ち主が現れました。

一応、僕の中では「どんな子なのかな?キレイ系?カワイイ系?」などと妄想が膨らんでいたのですが・・・

現れたその女性は、ちょっと地味な感じで想像とはかなり違いました。

同じ大学の学生といっても、一度も見たこともない人でした。

僕の中では「御礼ということは、もしかしたら食事とかに誘われるのかな?」と勝手に想像していたのですが、女性は手にした小さな袋を僕に差しだし「ありがとうございました」と手渡してくれました。

そして僕とその女性はそこで会釈をして別れました。

僕はいただいた袋を下げて、ちょうど僕の彼女も大学構内にいたので彼女のところにいきました。

彼女に財布の持ち主と会ってきたことを話し、その袋の中身を見てみることにしました。

そして開けてみると、そこにはお菓子のチョコの箱が1箱入っていました。

「うん?これだけ?」

僕は思わず目を見開いてしまいましたが、あくまでも御礼ですから「文句を言ってはいけない」そう言い聞かせました。

しかし「チョコのお菓子だけか・・・」と僕は何度も何度も思いました。

よくよく考えると、たまたまその時、バレンタインデーが近づいていたので、だからチョコだったんじゃないかと僕の中では整理することにしました。

その後、その女性とは大学内で一度も会うことはありませんでしたが、バレンタインデーが来ると思い出す「落とし物の御礼」の話を今日はさせていただきました。

この出来事から得た教訓は『人は善意の見返りを求めてはいけない』ということです。

皆さんも財布などを拾ったご経験などはもしかするとあるかもしれませんが、決して見返りを求めないで、当然のことではありますが、まずはとにかく交番に届けましょう。

善意の行動はきっと後になって、何かしら自分を助けてくれることになると思います。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao)

(今日の名曲しりとり)

『言えないよ』→『夜明けのブレス』(チェッカーズ)

チェッカーズの中でもバラード調の名曲で、僕は良くカラオケで歌わせてもらっています。

| | コメント (0)

2021年12月23日 (木)

家族写真?ポスター?カレンダー?

こんばんにゃ~北の猫男爵です。

12月も終盤に差し掛かり、いよいよ明日は「クリスマス・イブ」、そして明後日は「クリスマス」です。

我が家では娘と王子が、サンタさんからの贈り物を待ちわびて、毎日毎日「クリスマス」が近づくたびにテンションが徐々に上がってきています。

既にサンタさんからのプレゼントを貰えるように長靴を準備し、そこに「サンタさんとトナカイがお腹を空かしてやってくるだろうから」と、お菓子と飴を入れてサンタさんのお腹の好き具合までも心配しています(笑)

きっと「クリスマス」の朝は、子供達の素敵な笑顔を見れることでしょう。

さて、そんな今日は「クリスマス・イブイブ」でもありますが、3年前まで祝日だったことを皆さん憶えていますか?

現在は上皇となられた平成天皇の誕生日が12月23日で、天皇陛下になられてからは「天皇誕生日」として祝日となっていたのです。

そんな上皇様は今年で88歳、いわゆる「米寿」のお祝いです。

そこで今日はちょっと皇族の話題に少し触れさせていただきます。

今年は何かと世間を騒がることになった皇族ですが、そのことは今日は一旦忘れることにしまして、皆さんは皇族の家族写真のようなものをお家で見たことありますか?

実は僕は実家に、昔、僕が子供の頃からなぜか壁に貼ってあり、その記憶があります。

もちろん今は自宅にはありませんし、実家にも貼ってありませんが、たぶん僕の記憶では僕が中高生ぐらいになるまではあったと思います。

それも毎年、新しいものに変えて、僕も中学生ぐらいに張り替えの手伝いをした記憶があります。

どんなものかと言いますと、こんなものです。

Iimg1200x120016214691135fxolh157756

我が家はこんな金の額縁などにはいれないで、そのまま壁に貼っていました。

上のものはネット画像から添付させてもらいましたが、昭和天皇のお姿がありますね。後列に平成天皇や現在の天皇陛下、前列には秋篠宮殿下もいらっしゃいます。非常に懐かしい写真です。

こういった皇族の家族写真、皆さんのお家にはありませんでしたか?

僕は子供の頃、自分の家の他にも、親戚のお家やお友達のお家でも見たことがあるので、特に違和感を感じたことは無かったのですが、先日職場の同僚と話をしていて、この皇族写真の話題になった時に全くその存在を知らない人がいたので、もしかするとこれはそんなに世間一般的には認知されていないものなのかもしれないと思いました。

たぶん、昔のおじいちゃんやおばあちゃんなどの世代のお家にはあったのかもしれませんが、世代によっては知らないものであることは間違いないでしょう。

ちょっと横道にそれますが、僕の家ではしていませんでしたが、昔よくお正月や祝日になると、家の玄関先に日の丸の旗をポールみたいのに挿して掲揚しているお家とかありましたよね。

あとこれもお正月ですが、車のボンネットのところに日の丸の旗を両サイドに挿して走っている車もいました、今ではどちらも皆無に等しいですが、昭和の懐かしさをちょっと感じます。

話を戻しますが、あの皇族の写真はどうやって手に入れていたのですかね?

何となく僕の記憶では、大晦日にまとめてくる大量の新聞の折り込みの中に、その年のお正月用の皇族写真が入ってきてたような気もするのですが、それも定かではありません。

そもそもこれが写真なのか、ポスターなのか、それともカレンダーなのか、いったい何だったのかも定かではありません。

今日は上皇様(平成天皇)の誕生日だったので、ちょっと記憶を探りながら、昔の思い出話をさせていただきました。

それでは、残り8日となった2021年を思う存分楽しみましょう。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の誕生日三人衆)

①笑福亭鶴瓶【言わずと知れた、日本を代表する落語家でもありお笑いタレントであります。その存在感は芸能界では大御所クラスです】(70歳)

②武藤敬司【1990年代に闘魂三銃士の1人として、プロレス一大ブームを作ったレスラーで、空中殺法や関節技などオリジナルの技を次々と編み出した人気レスラーです】(59歳)

③山崎まさよし【アコースティックギターを使い、独特の歌声で数々の名曲を世に送り出した男性シンガーソングライターで、歌のみならず俳優としても活躍しています】(50歳)

<特別枠>Nか【僕の高校時代の同級生で30年来の友人です、かつて泥姉妹と呼べれMVDを席巻しました】(〇〇歳)

| | コメント (0)

2021年12月18日 (土)

昭和回顧録~懐かしアイス編~

こんにちにゃ~北の猫男爵です。

先日妻との会話の中で、昔のアイスクリームの話題になりました。

そこで話の中に登場したのが、僕ら昭和世代にとってはたまらない懐かしい商品「レディーボーデン」と「リーベンデール」です。

87b05762d7494d819d9284ae8a6948ae

Ab9dabe6759f3da4fb3d7d956ad863cf

当時子供だった僕たちにとっては、あのバケツ型のちょっと大きめなパッケージに入った高級アイスクリームは憧れのアイスで、たまにしか食べれなくて、食べるとその美味しさにスプーンが止まりませんでした。

今でこそ、「ハーゲンダッツ」が人気商品で主流ではありますが、僕が子供の頃は「レディーボーデン」と「リーベンデール」は2大挙党で、そこに「ビエネッタ」も絡ませて、子供にとってはたまにしか食べれない高級アイスたちでした。

僕の住む北海道では冬に暖房で温めった部屋でアイスを食べるというのがごく当たり前の光景で、道外の方にとっては信じられないことかもしれませんが、小さい頃からそうやって育ってきたので何の違和感もなく今も冬のアイスは必需品です。

というか、もしかすると冬の方がアイスの消費が多いかもしれないくらいです。

そこで今日は冬ではありますが、ちょっと僕の記憶回路をフル稼働させて、昔懐かしい「昭和のアイス」を思い出してみたいと思います。

まず僕の中で真っ先に思い出すのが、何といっても「プロレスアイス」です。

Evxmvxwu0aeqmde

以前にもお話したことがあるかもしれませんが、当りクジ付きの棒アイスで、当りには「卍固め2本当たり」とか「サソリ固め1本当たり」など技と当りの本数が書いてありました。確か記憶では最高で3本まで当りがあったはずです。

1980年代のプロレスブームもあり、僕は友達といつも近所の駄菓子屋さんに行き、この「プロレスアイス」を買って食べてました。

その時に同じくらい好きだったのが、「ワンツースリー」というアイスです。

550ba235a78a9befc845ff79eb54acf7

これも棒アイスで、チョコバナナ味などもあり、名前の通り当りが1本、2本、3本あるというアイスでした。

3本当たった時もたまにあって、その時は凄い嬉しかったことを憶えています。

2020937ds

「クロキュラー」といって食べると口の中が真っ黒になるアイス、それの赤バージョンで「アカキュラー」というのもありました。

Detq_553805e168e611429734881

「メロンボール」といって、メロンの型をした中にアイスが入っているのも懐かしい商品です。

他にもどんどん思い出したのでいきますね。

20171006215748

「ホームランバー」!

これに類似したもので「怪物くんアイス」というのもあり、僕はそれも好きでした。

Futabaerukon

「エルコーン」!

これは昭和を感じさせる懐かし商品です。

1210b3ac

「デリシャス」!

小さいアイスが3本、棒の先についていて、味がそれぞれ違い、味を3回楽しめる大好きな商品でした。

あとこれは番外編ですが、アスクリームの自動販売機で光が点滅してルーレットのようにグルグル回り、アイスのところで止まると当りでもう1個貰える自動販売機が昔ありましたよね。

1664383b0ee19fc326ba0c082f93cb72

僕の家の近所にもあり、よくそこで当たったことがありました。

懐かしい「昭和のアイス」たち、話だしたらキリがありませんね。

今ももちろん販売されている商品もありますが、既に商品化されていないものもあり、子供の頃の懐かしさを今日は思いだしました。

もう頭の中はすっかり「アイス」でいっぱいなので、今日はこれから「アイス」でも買いに行くことにします。

皆さんにとって、思い出に残る「懐かしの昭和アイス」は何ですか?

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日の誕生日三人衆)

①スティーブン・スピルバーグ【皆さんご存じの世界を代表する映画監督で、『ジョーズ』『E.T』『インディー・ジョーンズ』など代表作を挙げればキリがないほど、世に数多くの作品を残しています】(75歳)

②布施明【昭和を代表する男性歌手の1人で『シクラメンのかほり』は大ヒット作品です。その甘い美声に昭和の女性は虜になりました】(74歳)

③ブラット・ピット【「ブラピ」の愛称で今もなおトップハリウッドスターとして活躍し、数多くの作品が世界中で大ヒットしています】58歳

| | コメント (0)

2020年9月 3日 (木)

劇空間プロ野球。

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

ずっと続いていた猛暑はすっかり影を潜めて、連日ぐづついた天候が続いてます。

せっかく、残り少ない北海道の残暑を楽しもうとしていただけに凄く残念です。

何とかまた暑い日が戻ってくることを祈ります。

さて、4歳になった我が家の王子に、いよいよ満を持して野球を教え込もうと先日からバッティング練習をさせています。

練習と言っても、プラスチックのバットにピンポン玉でですけどね(笑)

やらせてみると意外と良いものを持っているみたいで、そこそこ芯でとらえて弾き飛ばしています。

王子の夢はプロ野球選手です(父である僕の勝手な夢)

ただし、メジャーには行かないで欲しい・・・なぜなら僕が飛行機が苦手なので観戦に行けないので(笑)

夢というか完全に親のエゴです(笑)

なので、王子には自分が本当にしたいことを見つけて、その夢に向かって邁進して欲しいと思います。

そこにプロ野球選手という選択肢が1%でもあれば、父親としては嬉しい限りです。

ちなみに僕は、もの心ついた時からプロ野球選手になること以外頭にありませんでした。しかも巨人にしか行かないつもりでした。

その目的に向かってずっと野球をしてきました。

結果は46歳になった今でも夢は叶ってはいませんが、その夢を追いかけてきたことに後悔は微塵もありません。

生涯、野球を愛する、生涯、巨人を愛する、この気持ちに変わりはないのです。

そんな僕が一番好きだったのが1990年代の巨人です。

いわゆる第2次長嶋政権時代です。

1992年オフ、ミスターが監督復帰を決め、その直後のドラフト会議で僕と同じ年の松井秀喜を引き当てた瞬間、僕のジャイアンツ愛はさらなる深みを増しました。

そしてこの頃の日本テレビのプロ野球中継を彩っていたのが、名曲揃いの主題歌たちです。

H193028235_1

当時の中継のタイトルは忘れしません!『劇空間プロ野球』です!

中でも僕は1993年~1996年ぐらいが一番好きでした。

2e47f1ae

1993年はZYYG、REV、ZARD、WANDSがコラボした『果てしない夢を』です。

そして、皆さんご存じの通りこの名曲には監督であったミスターもfeaturingしていました。

Mqdefault

レコーディング風景ですが、左からZARDの坂井泉水、ミスター(長嶋茂雄)、WANDSの上杉昇です。

これは非常に貴重な楽曲ですし、ジャイアンツファンにはたまらない1曲です。

Staygoldziggy

続いて1994年の主題歌はZIGGYの『STAY GOLD』です。

この曲は僕は大好きな曲で、今でもちょくちょく聴いています。これを聞くと、頭の中に当時の華やかな巨人の多くのスター選手の姿が思い浮かんできます。

続いて1995年、この年は上半期と下半期で主題歌を2曲に分けてました。

R643779414192053608340_jpeg

上半期はDEENの『未来のために』

R444440713651111998260_jpeg

そして下半期はシャ乱Qの『空を見なよ』です。

どちらの曲も僕は大好きな楽曲で、カラオケに行ったらどちらも良く歌います。

Cij78090img473x2461486343021fspbr322403

そして最後の1996年の主題歌はSMAPの『はだかの王様~シブトクつよく~』です。

みんな若い(笑)そして森君がいる!実はこの曲は6人として最後のシングルでした。

中居君は大の巨人ファンですから、『劇空間プロ野球』の主題歌に決まった時はさぞかし嬉しかったことでしょう。

こうやって振り返ると、懐かしさと思い出が蘇ります。

ちなみに日本テレビの野球中継『劇空間プロ野球』というタイトルは、ミスターが退く2001年シーズンまで継続されていたようです。

僕の大好きだった1990年代の巨人にふさわしい『劇空間プロ野球』という番組のタイトルと、そしてそれを演出する主題歌たちを今日はご紹介させていただきました。

Picsart_0903024735

20年後の巨人軍に、果たして我が王子はいるのかな?

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)雷電湯沢→若生正廣(わこう・まさひろ)

東北高校、九州国際大付属高校、埼玉栄高校などで高校野球の監督として活躍し、ダルビッシュ有をはじめ多くのプロ野球選手を育てて名監督です。

| | コメント (2)

2019年7月31日 (水)

小学生にタイムスリップ!

こんばんにゃ〜北の猫男爵です。

いやー暑い、暑すぎる…

朝も昼も、そして夜も、とにかく暑すぎます。

どうなってるんでしょうね、日本列島は。

しかし、夏大好き夏男の僕にとっては待ちに待った至福の時間です。

北海道の夏はあっという間に過ぎ去っていきます。きっとこの暑さもお盆までです。なので、思う存分汗をかいて、熱帯夜を楽しみます!

さて、先日のブログで我が家にクワガタが来たことはお話したと思いますが、最初に飼い始めたクワちゃん(メス)に続いて、コクちゃん(コクワガタのオス)も新たに仲間に増えました。

しかし、コクちゃんは見つけた時から元気がなく、我が家に来て数時間で天国へと旅立っていきました。

そしてその翌日、元気に動き回っていたはずのクワちゃんまでもが、暑さのせいなのか、天国に旅立ちました。

クワちゃんを可愛がっていた娘はショックで落ち込んでしまいましたが、僕と妻と娘と王子、家族全員でクワちゃんとコクちゃんを、弔いました。

そんな悲しみに包まれていると、なんとすぐにまた家の前で小さな小さなクワガタ(メス)を発見しました。娘はそのクワガタをクノちゃんと名付け、飼うことにしました。

その数時間後、今度はノコギリクワガタのオスをまた発見し、飼うことにしました。

名前はマトくんと娘が名付けました。

暑さのせいなのか、今年はクワガタをよく見かけます。

僕が小学生の頃は自宅前の街灯に、無数のクワガタが集まってきていたので、夏には常に何十匹という数のクワガタを飼っていました。

中でもノコギリクワガタの歯が大きいタイプ、僕らは「水牛」と呼んでいましたが、その水牛の中でも1番強いのは誰の水牛かと、友達みんなで、闘わせて競いあっていたりもしました。

ミヤマクワガタやノコギリの小型、僕らはバルタンと呼んでいましたが、様々な種類のクワガタを飼っていました。

Dsc_7103

今日は今家にいるクワガタにスイカをあげましたが、2匹とも喜んで食べていました。

その光景を見ていると、何だか小学生にタイムスリップした感じになりました。

その小学生の時に、クワガタにスイカやキュウリを食べさせていたことで、スイカやキュウリは昆虫の餌だという固定観念が僕の頭に根付き、僕がスイカやキュウリを食べれなくことが始まったのです。

今年の夏は、娘と王子と一緒にクワガタを観察できることが、今とても幸せです。

それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)

(今日の色)→「黒」=クワガタの色は黒です。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧