かたや。
こんばんにゃ~北の猫男爵です。
いや~ついに雪が降っちゃいましたね・・・
僕的にはまだまだ雪はいらないのですが、まあ北海道の冬に雪がないとそれはそれで困りますからね。
ただ、できることならこの雪が根雪にならずにとけてしまって、そして雪のないお正月を迎えるのが僕の儚い夢です。
そして気が付けば明日で11月も終わり、いよいよ明後日からは師走に突入です。
ここからは一気に年末へと向かっていきます。
本当に1年はあっという間ですね。
2024年、やり残したことのないようにあと1ヶ月を過ごそうと思います。
さて、そんな今日は先日見た「気になる夢」の話です。
先日、僕は汽車に乗っている夢を見ました。
そしてその汽車がとある駅に停車し、僕はその駅で降車しました。
降りた場所で目にした駅名の看板には、ひらがなで「かたや」と書いてありました。
僕は聞いたことも、見たこともない駅名です。
目が覚めてからも、なんか不思議な感覚でちょっと気になったので調べてみました。
ただ、全国にある駅名で「かたや」という場所はヒットしませんでした・・・
では地名ではどうか?と思い調べてみました。
すると埼玉県に「加田屋」(かたや)という地名が存在しました。
ただし、ここは地名というか町名といった感じの場所です。
埼玉県さいたま市見沼区にある町名で、現行の行政地区名は加田屋一丁目と加田屋二丁目と大字加田屋新田というところだけみたいです。
この3つの行政地区名に居住する人口は2021年4月1日時点で合計8人となっています。
この小さな限られた場所が夢の中に出てきた駅名と何か関係があるのか?
僕は色々と頭の中で考えてみましたが、特に手掛かりは思い浮かびません。
ただどうしても気になるので、さらに深掘りしてネットで色々と調べてみました。
すると、この加田屋地区の歴史は、1675年に紀伊国の加田村というところ出身の坂東助右衛門尚重により開拓され新田開発が行われ、入江新田と称されたそうです。
しかし、2代目当主の時にこの沼を水源として利用していた下流の村々の反対に遭い、1718年に元の溜井に戻されたのですが、8代将軍徳川吉宗が新田開発を奨励したこともあり、3代目当主の坂東助右衛門尚常が幕府の公認を得たことにより、新田として再開発をされたそうです。
この時に屋号をとって加田屋新田と名付けられたそうです。
これが現在の加田屋という地名の前身となっているそうです。
この歴史を調べていく中で気づいたことがあります。
実は僕は昔、父から我が家の先祖をたどっていくと徳川吉宗に繋がっているということを聞いたことがあります。
そして今回調べた中で知った、加田屋の生みの親である坂東家の名前には、ある字が入っています。
僕の本名を知っている方であれば、お気づきですよね。
徳川吉宗と新田開発、そして坂東家の歴代当主の名前の一部分を合わせると・・・
何か解決した気がしました。
今回の夢で見た「かたや」は何かしら僕というか、僕の先祖に関係する場所なのかもしれません。
ただ、この夢が何を意味するのかまではわかりませんが、いつか機会があれば僕はこの場所を訪れてみたいと思いました。
というか、訪れなければならない使命があるように感じました。
きっとその時、そこに答えがあるのかもしれませんが、それがわかったときは必ずこのブログでご報告をしたいと思います。
いつのことになるのかは、わかりませんが。
それにしても、夢が持つ力って不思議というか、何か奥が深いものがありますね。
それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)
(今日の昭和の有名人しりとり)
「ジャッキー佐藤」→「うじきつよし」
元々はバンドマンとして活躍していましたが、活動休止後は俳優やタレントとしてマルチな活躍をしています。
最近のコメント