こんばんにゃ~
北の猫男爵です
遂にきましたね、今シーズン一番の大雪
が・・・
ここまで例年に比べると少ない降雪でしたので、「いつか来るな・・・」とは思っていましたが、やはり来ちゃいました
。それでも、40cmや50cmのドカ雪にはならかったのでひと安心です
関東・甲信越では週末にかけて記録的な大雪に再び襲われ、大きな被害が出ているようです。暦の上では「立春」を過ぎているというのに、本当に雪はもう勘弁ですね。
これからは大雪もそうですが、春が近づくにつれ雪崩などの問題も生じてきますので、スキー場や冬山登山などに行く方はくれぐれも注意してくださいね
さて、そんな今日も五輪関連の話題です
今から16年前の1998年長野五輪、その中でも日本中が歓喜で沸いた「スキージャンプ団体の金メダル」、おそらく皆さんの記憶の中にも鮮明に焼きついているのではないでしょうか
しかしその歓喜の中、日本選手の「ジャンプの失敗」を願っていた日本人がいたことを皆さんはご存知ですか?
実はその人は、本来であれば長野五輪ジャンプ団体のメンバーに選ばれ、その歓喜の輪の中心にいたはずの人物です
五輪代表に選ばれながらも直前のケガでメンバーから外れ、1人、歓喜に背を向けていた人物、彼は後にジャンプ界で「レジェンド」と呼ばれることになりました
そうです、その人物とは葛西紀明です
皆さん、見ましたか?やりましたね、遂に葛西がやってくれました
見事な「銀メダル」獲得です
ジャンプ界最年長の41歳という年齢を全く感じさせない、素晴らしいそのジャンプには本当にカッコイイという言葉がピッタリです
ちょうど今朝の大雪
で仕事が早出出勤になり、おかげで仕事に行く寸前にこの葛西の活躍をリアルタイムで観戦することができました
着地のテレマークも見事に決まりましたが、金メダルの選手とは僅か1.3ポイント差での銀メダルでした
スポーツに“たられば”は禁物ですが、正直、1本目のテレマークがきちっと決まっていれば、間違いなく金メダルだったでしょう
「獲りたかっただろうな~金メダル」本当に悔しかったと思います。
飛び終わった後の葛西のこの笑顔は、これまでの苦労が報われた証拠です
他の日本選手も、飛び終わった葛西のところにすぐに駆け寄り、みんなでこの喜びを分かち合っていました
とても素晴らしい光景でした。
日本の選手だけでなく、他の外国人選手も葛西のもとにかけより握手を求めてきています。彼が「レジェンド」として慕われている証です
表彰台に昇った葛西の表情は本当に素敵な笑顔でした
16年前のあの「屈辱」、今でも思い出すだけで悔しくて悔しくて夜も眠れないという、あの「悔しさ」を払拭する価値のある銀メダルです
そのレジェンドの笑顔には、辛い過去と向き合い、そしてそれに打ち勝ち、今もなお進化を目指す、1人の男の想いが現れたように僕には見えました
先程も冒頭でお話しましたが、葛西は日本が長野五輪で団体金メダルを獲得した時、「失敗すること」を願っていたそうです。
それはあるテレビ番組
でそう本人が語っていました。スポーツ選手ですから、当然自分が活躍することが目標ですし、自分が選ばれず他の人が活躍したらおもしろくないと思うのも分かります。
でも、それを自分の心の中に閉まっておくのではなく、テレビの前で堂々と言ってのけたその裏には、他人には想像することもできない程の「悔しさ」があったのだと思います。
僕が初めて「葛西紀明」というジャンパーを見たのは、彼が東海大四高校の1年生の時だったと思います
当時僕は中学生でしたが、幼い頃からスポーツ観戦が大好きで、もちろんジャンプも冬になるとテレビでいつも観戦していました
1970年代後半~1980年代中盤にかけて日本ジャンプ陣を支えてきた、八木弘和と秋元正博という2人のエースが一線を退き迎えた1988年カルガリー五輪、日本チームは惨敗に終わり、「世代交代」が急務という状況でした
そんな中に現れた葛西はまさに「救世主」でした
若干16歳にしてW杯に史上最年少出場を果たすと、1992年には19歳9ヶ月でW杯初優勝を成し遂げました
これは当時の最年少記録でした。
その頃の僕の葛西の印象は、とにかくダイナミックで怖れを知らない凄いジャンパーだな~という印象でした。
彼の最大の特徴である、着地点近くまで保つ空中での深い前傾姿勢は「カミカゼ」と称され、「カミカゼ・カサイ」と言われ世界中から恐れられました。
1992年のアルベールビル五輪から数えて今回のソチ五輪まで、7大会連続で五輪代表に選ばれた葛西ですが、実はその影には数多くの「苦難」がありました
もちろん長野五輪のメンバー漏れや大ケガもその1つですが、それ以上に彼には「悲運」があったのです。
「将来僕はオリンピックの選手になりたいと思います。」これは葛西が小学6年生の作文で書いた言葉だそうです。
幼い頃から病弱で、いつも病院
に通っていたという葛西は、家が貧しかったこともあり、ジャンプをすることを初めは拒んでいた両親を説得し、ジャンプをすることになったそうです。
母親は息子のために、朝昼晩と3つのパートの掛け持ちして必死に働いていたそうです
作文の中で葛西はこう書いています
「僕が生まれてお母さんは凄く喜んだそうです。お母さんのおっぱいを飲んで、お母さんのおっぱいが足りなくなって・・・」
葛西にとって一番の「応援者」だったそんな母親は、長野五輪が開催される前年の1997年、火事で負った大火傷が原因で48歳という若さでこの世を去りました・・・
「母親に金メダルを見せてあげれなかったこと」が、葛西選手の胸には今も大きく残っているのではないでしょうか
葛西には姉と妹がいますが、実は妹は高校生の時に難病にかかり、今も闘病中だそうです
いつも励まし支えてくれる妹は、今回も病床から励ましのメッセージを送ってくれているそうで、「いつかメダルを獲って妹に恩返しがしたかった、これで妹も元気になってくれるかな。」と葛西は今日語ったそうです。
家族の身に次々と起きた不幸、しかしそれを糧にして葛西は「ジャンプ」という競技で世界一になることだけを目指し、絶え間ない努力を積み重ねてきました
そして、16歳という若さで世界の舞台に立ってから25年という歳月を経て、ついに五輪で個人としては初めてのメダルを獲得したのです
競技後のインタビューの第一声で、「やったぁ!」とまるで少年のような笑顔で答える彼の姿を見ていると、本当に僕は朝から目頭が熱くなりました
きっとこれまで涙が枯れ果てるほどの苦労を経験してきたからこそ、あの素敵な笑顔を見せられるのでしょうね
その笑顔はまさに「レジェンドの笑顔」でした
葛西には大事な大会の前に必ず読み返す手紙があるそうです
それは亡くなった母親が病院で書いた「手紙」だそうです。
手を握ることもままならない程の、ひどい状態の中で書いた母の「手紙」にはこう書かれていたそうです。
「今のこの時を頑張れ。絶対にお前は世界一になれる。お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみにしているよ。」
銀メダルを獲った後のインタビューで葛西は、「また目標が出きました」と語りました。
まだ金メダル(世界一)を獲っていない、それは亡くなった母との約束だから、僕には葛西がそう言っているように聞こえました
彼がその約束を果たすその日まで、「ジャンプ界の伝説」はまだ終わりません
葛西選手、今日は本当に銀メダルおめでとうございました!そして必ず世界一になってくださいね
その日が来ることを僕は願っています。
それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)
<今日のキーワード> レジェンド→今日はこの言葉に尽きます。また男泣きしてしまいました。やっぱりスポーツって良いですね。
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