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2014年1月 8日 (水)

100年越しの夢。

こんばんにゃ~night 北の猫男爵ですcat

2014年がスタートして今日で8日目となり、ようやく僕は仕事のリズムも戻り、以前のような日常生活に戻りつつありますhappy01

気がつけば「元旦」からちょうど一週間が経ったのですから、本当に時の経過の早さにはいつも驚かされますpaper

さて、「お正月」といえば僕は毎年「箱根駅伝」を見るのが楽しみの1つでもありますtv

今年は東洋大学が見事な完全優勝を果たし、その素晴らしい走りを見せてくれましたが、もう既に各大学の視線は来年2015年のお正月へと向いていますshine

来年は果たしてどの大学が、およそ220kmにも及ぶ東京~箱根間の戦いを制するのか、僕自身も今から期待で胸が膨らんでいますup

僕の「夢」の1つに、いつか一度は「箱根駅伝を生で観戦したい」というものがありますshine

それは老後になるのかもしれませんが、と2人で箱根の温泉spaに泊まりながら、箱根路を走る学生たちに声援を送れれば、そんな幸せな「お正月」はないと思っていますconfident

そんな「箱根駅伝」を僕が初めて見たのは、おそらく小学低学年の頃だったと思います。何気なく見ていたテレビtvの中で、必死に仲間に襷をつなげようと激走するお兄ちゃんたちのその姿に、胸を強く打たれたことを今でも憶えていますconfident

その当時一番印象に残った早稲田大学が僕は今でも大好きで、必ず箱根駅伝で応援するのは早稲田大学ですscissors

突然ですが、皆さんは金栗四三という方をご存知でしょうか?

知らない方は「まず何と読むのか?」というところから始まると思いますが、「かなぐり・しそう」と読みますpaper

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彼は日本における「マラソンの父」と呼ばれる人で、日本マラソン界の発展に大きく貢献した人物ですpaper

1983年11月13日、彼は92歳でこの世を去りました。僕が「箱根駅伝」を見るようになったのは、偶然にもちょうどその頃だと思いますconfident

実は「箱根駅伝」がスタートした1920年、その開催に向けて尽力したのが何を隠そうこの金栗四三氏なのですpaper

彼の力が無ければ、日本中が毎年楽しみにしている「お正月の風物詩」である箱根駅伝は存在しなかったのかもしれません。

金栗は1911年、当時20歳の若さで翌年(1912年)に開催されるストックホルム五輪に向けた予選会に出場しrun、当時の世界記録を27分も縮める大記録crownを出し、日本人初の五輪選手となりましたshine

そして迎えた五輪本番、この日のストックホルムの気温は40℃に迫る記録的な暑さとなりup、レースへの参加者68名中、半数が途中棄権し、完走したのはわずか34名でした。

金栗もこの暑さの影響を受け、26km付近で日射病で意識を失って倒れdown、沿道で観戦していた近くの農家の人に助けられ農家で介抱を受けたそうです。

実は金栗が倒れた背景には、もちろん「暑さ」というものもありましたが、日本からストックホルムまでの移動に当時は18日間という長旅を要しており、それによる疲労と睡眠不足があったのも事実です。

さたには競技当日に、宿舎に迎えにくるはずだった車が来なくて、彼はやむを得ず競技場まで走っていったrunという信じられないハプニングもあり、それが倒れた要因の1つではなかったかとも言われています。

そんな金栗が農家で目を覚ましたのは、既に競技が終了した翌日の朝のことでしたeye彼は農家の人に上着を借り、近くの駅から列車に乗って宿舎に戻ったそうです。

こうして金栗のストックホルム五輪は、「途中棄権」という結果で終わることになりましたbearing

ところがスウェーデンでは、「金栗が途中で行方不明になり森で彷徨っているのではないか?」という憶測が飛び交い、「消えた日本人shadowとしてその名が刻まれたそうです。

その後の金栗はというと、4年後のベルリン五輪(1916年)は第一次世界大戦の勃発で開催中止となり出場を果たせず、1920年のアントワープ五輪、1924年のパリ五輪ではマラソン代表で出場したものの、成績はそれぞれ16位と途中棄権という決して納得のいくものが残せませんでしたdespair

こうして一線を退いた金栗でしたが、75歳になった1967年3月に思いも寄らぬ招待状が届きましたticket

それはスウェーデン五輪委員会からのもので、「ストックホルム五輪開催55周年」を記念する式典への招待状でしたpaper

実は1912年のストックホルム五輪の際、金栗自身の口から「棄権」の意志が五輪委員会に伝わっておらず、記録上は「競技中に失踪し行方不明」という扱いになっていたのです。

記念式典開催にあたり、当時の記録を調べていた委員会がこのことに気づき、「ぜひとも金栗選手にゴールをしてもらおう!」と企画したのですgood

招待を受けた金栗は55年ぶりにストックホルムの地を訪れ、直線距離にして100m程を走りrun、競技場内に用意されたゴールテープを切りましたshine

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これが当時の実際に写真ですcamera

金栗がゴールをした瞬間、「日本の金栗がただ今ゴールしました。タイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3です!これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました。」とアナウンスされたそうですkaraoke

何と感動的で、そして“粋”なはからいなんでしょうhappy02この話を聞いただけで僕は思わずウルっときちゃいましたweep

およそ100年前、日本から初めて五輪に参加した金栗四三という名は、今も「消えた日本人」としてストックホルムの人々の間にしっかりと息づいているそうですconfident

箱根駅伝では2004年から、その大会の最優秀選手に対して「金栗四三杯crownという彼の名前が入った賞が贈られています。

彼の名が100年経った今でも「マラソンの父」として受け継がれているのも、彼が残したその偉大な功績と足跡の証だと僕は思いますshine

今年で90回目を数えた箱根駅伝では、これまで幾多の学生が襷に思いをこめて、ただひたむきに前を向いて走ってきましたrun

しかし、いまだにこの箱根駅伝に出場した選手の中から、五輪でのメダリストは誕生していませんpaper

2020年、東京で五輪が開催されることが決まりました。奇しくもその年は、箱根駅伝が開催されてからちょうど100年ですshine。その記念すべき年に、金栗が叶えたかった「箱根から世界へ!」という言葉を実現できれば素敵なことだと思いますhappy01

金栗四三が叶えることのできなかった世界の頂き、その100年越しの夢を東京で実現できることを僕は願っていますconfident

何だか6年後の東京五輪がとても楽しみになってきました。そして、その「夢物語」に挑戦する学生ランナーの活躍を心から祈念し、これからも僕は箱根駅伝を応援し続けますscissors

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ちなみにこれは余談になりますが、皆さんご存知のこの「グリコ」のマーク、この走っている男性のモデルは複数人いるらしいのですが、その1人が今日ご紹介した金栗四三だそうですgood

今日は僕の大好きな「箱根駅伝」と、そして日本において「マラソンの父」と呼ばれる偉大な選手について、長々とお話させていただきましたpaper

皆さんももし興味があれば、来年のお正月は箱根駅伝をぜひ観戦してみてはいかがでしょうかtv少し気が早いですけどcoldsweats01

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

<今日の誕生日birthday2> 1月8日生まれ

森英恵(88歳)、小泉純一郎(72歳)、角川春樹(72歳)、デヴィット・ボウイ(67歳)、もんたよしのり(63歳)、蛍原徹〔雨上がり決死隊〕(46歳)、ブル中野(46歳)、井岡弘樹(45歳)、種馬マン〔モリマン〕(44歳)、田村亮〔ロンドンブーツ1号2号〕(42歳)、市川染五郎(41歳)

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