固めるテンプル事件!
こんばんにゃ~ 北の猫男爵です
今日は今年最後の3連休の最終日でした
「クリスマス」を目前にして、色々と忙しい時間を過ごした方も多かったのではないでしょうか
僕は今日ちょっと用事がありまして、妻と娘と3人で少しの時間出かけてきたのですが、市内は道路もお店もどこも混雑しており、年末の慌ただしさを実感しました
今年も残すところあと1週間です。いよいよ2014年へのカウントダウンが始まっています
まだ気持ちはそんな感じにはなりませんが、あと1週間もすれば「2014年」の幕が明けるわけですから、残りの「2013年」を思いっきり楽しみましょうね
さて、明日は「クリスマス・イヴ」 、そして明後日は「クリスマス」ということで、子供にとっても大人にとっても非常にウキウキする2日間です
皆さんの家庭でも色々と「クリスマス」の計画はたてられているでしょうが、1年に1度のイベントですから、思い出に残るような素敵な日にしたいですよね
「クリスマス」に欠かせないものといえば、やっぱり「クリスマスプレゼント」や「クリスマスケーキ」、そして豪華な「ご馳走」が思い浮かびます
中でもやっぱり「クリスマス」といえば、チキン(鶏肉)がその主役です。「ローストチキン」「フライドチキン」「焼き鳥」「唐揚げ」と、その種類は様々だと思いますが、皆さんはどれをお好きですか?
そんな「鶏肉」にまつわる、僕のちょっと伝説的なエピソードを今日はお話したいと思いますただし、この話は「クリスマス」とは一切関係はございませんので、あしからず
あれは、僕が高校を卒業して大学へ進学した18歳の春のことでした
札幌での生活をスタートさせた僕は、色々と「事情」がありまして、当時ちょうど札幌で務めていた僕の義兄(当時はまだ姉の婚約者)と一緒にマンションで暮らす事になりました
「事情」というのは、実は当時はまだ姉が帯広で働いていており、5月に札幌に転勤してくるので、それまでの期間ということを条件に義兄と2人で暮らすことになったのです
いくら義兄とはいえ、2人で生活するのは色々と気を遣いました。でも、そこで僕なりには勉強になることがたくさんありました
まだ僕は高校を出たばかりで社会のことも良く分かっていませんでしたし、札幌という見知らぬ土地での生活にも不安な面もありましたが、6つ年上の義兄の存在は本当に心強かったです
一緒の生活といっても、義兄は朝早く仕事に出かけ、夜も帰りは遅かったですし、僕は学生ですから昼間は講義があり、時には夜もサークルなどの用事で出かけることもあったので、一緒にいる時間はごく限られていました。
それでも夕食はいつも義兄が作ってくれていましたし、時間のある時は朝食も用意してくれました。
義兄は料理は得意で、食事を作ることには何の抵抗もなかったようです味も本当に美味しくて最高でした
そんなある日のことです。僕はいつも食事を用意してくれる義兄に「何かお返しがしたい!」と自分なりに思いました
大学の講義が午後から休みなのを利用して、仕事から帰ってくる義兄に夕食を作って「驚かせてやろうと」計画したのです。
そして考えた末に選んだメニューは「唐揚げ」でした
もちろん、僕はそれまで家で料理などしたことはありませんでした。母親に教えてもらい、簡単なものは作ったことがありましたが、「唐揚げ」は初挑戦でした
今のように、携帯電話やパソコンですぐにレシピなどを検索できるような時代ではないので、自分が知っている情報と、あとは“想像”で作るしかありませんでした
ちょうど家には「唐揚げ粉」があり、「サラダ油」もありました。「鶏肉」を近所のスーパーに買いに行き、準備は整いました
「唐揚げ粉」の袋に書いてある作り方を参考にして下ごしらえをして、あとは油で揚げるだけでした。
その時、ふと僕の目にキッチンの棚の中の“あるもの”が目に入ったのです
それは何と
「固めるテンプル」でした
僕はこれがいったい何なのか、その存在を全く知りませんでした
中身をきちんとよく読めば、どういうものなのかは理解できたのでしょうが、「油」と書いてあるところに気をひかれ、「きっとこれは揚げものをする時に入れるものかな」と思い、何とこの「固めるテンプル」を下ごしらえしてある鶏肉にまぶしたのです
“無知”とは怖ろしいものです。「固めるテンプル」は通常はこのように、使い終わった油の中に入れて油を固めるのが用途です。
それをまさか、料理の調味料代わりに使うとは今考えたら、もの凄い怖ろしいことを僕はしたんですね
何も知らない僕は、順調に「唐揚げ」を揚げ、無事に料理が完成しました
「よし、完璧だ!きっと義兄もビックリして喜んでくれるはずだ!」僕は満足感でいっぱいでした
そして夕方になり、義兄が仕事から帰ってきました
テーブルに並べられた「唐揚げ」を見て、義兄は驚き、そして喜んでいました
「じゃ、早速いただくか!」と嬉しそうに義兄は唐揚げを口に運びました
「美味しいじゃないか!」と義兄は喜びましたが、「でも、何かちょっと変わった味するな。」とも言っていました
まあ、初めて料理に挑戦した僕のことなので、多少の味の違いはやむを得ないと思ったのでしょう。
「唐揚げ」は見事に2人で完食されました
そして「後片付けは俺がやるよ。」と義兄がキッチンへ行った時、義兄は声を荒げました。
「おまえ、これ何に使った?」と「固めるテンプル」の箱を指差したのです。
「えっ?唐揚げ揚げるのに使ったけど?」と答えた僕の言葉に義兄は絶句しました・・・
その後、僕は義兄にこんこんと「固めるテンプル」のことを説明され、ようやくそれが何に使うものだったのかを理解しました。
確かに「唐揚げ」を揚げた油を見ると不自然に固まっていました。きっと「唐揚げ」にまぶしたものが油の中で固まっていたのでしょう・・・
「固めるテンプルを食べてしまっても大丈夫なのか?」
僕は義兄からそれを製造会社に問い合わせて確認することを命じられ、すぐにフリーダイヤルに電話をしましたが、時間が夜だったために既に受付は終了しており、僕と義兄は不安を抱えたまま、とりえずその日は眠ることにしました
翌日、僕はすぐさま問い合わせセンターへ連絡を入れて状況を説明すると、「それじたいを直接食べたりしていない限り、体に極端な害は無い。」という回答でした
「もしも心配であれば病院へ行って診てもらってください」ということでしたが、僕も義兄も体に異変はなかったので病院へは行かずに終わりました
これが伝説の「固めるテンプル事件」です
18歳の無知な僕が起こしてしまったこの事件をきっかけに、僕はしばらく「唐揚げ」を食べるのが怖くなる時期がありましたが、今では普通に食べれるようになりました
「失敗は成功のもと」という格言もありますが、決してこれは真似をしたくはない失敗の1つです
僕にとっても、そしてきっと義兄にとっても、一生忘れることのできない事件「固めるテンプル事件」を今日はお話させていただきました。
それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)
<今日の誕生日2> 12月23日生まれ
今上天皇〔天皇陛下〕(80歳)、水森亜土(74歳)、笑福亭鶴瓶(62歳)、原田悠里(59歳)、カムストック(58歳)、宮部みゆき(53歳)、武藤敬司(51歳)、山崎まさよし(42歳)、Nか(39歳)、柴田倫世(39歳)、柏原収史(35歳)、矢田亜希子(35歳)、倉科カナ(26歳)
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