こんばんにゃ~
北の猫男爵です
先週末にプロ野球
が開幕し、明日は選抜高校野球大会
が決勝戦を迎えます。まさに「球春到来」ともいえるこの時期ですが、昨日、野球界にとってとても素晴らしい朗報が届きました
既に皆さんご承知のことと思いますが、あの「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄氏と、昨年末に現役を引退した「ゴジラ」こと松井秀喜氏の両氏に、国民栄誉賞が授与される方針が政府より発表されました
史上初めての同時受賞、さらには「師弟関係」ということで、野球ファンのみならず、多くの国民から喜びの声が上がっています
国民栄誉賞は、過去にプロ野球界からはホームランの世界記録を作った王貞治氏、連続試合出場の世界記録(当時)を作った衣笠祥雄氏に次ぐ快挙です
ただ、正直な話を今日は言わせていただきます。
ミスターに国民栄誉賞、これはおそらく日本中の国民が両手を挙げて賛同してくれると思います。
というか、なぜ今までミスターが国民栄誉賞を貰ってなかったのか?その方が疑問です。昭和の野球界だけでなく、今もなお野球界に大きな影響力を与えてくれるミスターは、本来からいけば、野球界で真っ先の受賞されるべき人だったのではないでしょうか
なぜ、このタイミングかというと、おそらく先日の大鵬さんへの国民栄誉賞授与が、亡くなった後での授与になったために、「元気で健在なうちにミスターに国民栄誉賞を!」という話が浮上したのだと思います。
そこで、どうしても気になるのが「なぜ松井も受賞なのか?」というところです。
前もっていっておきますが、既に皆さんもよくご存知の通り、僕は松井秀喜の大ファンでして、松井が我が巨人軍に入団してからというものの、彼のことは毎日応援してきた、それほどの熱狂的なファンでもあります
その僕から見ても、松井への「国民栄誉賞」は時期尚早です
確かに日米で活躍したその実績はもちろん素晴らしいものがあります。しかし、日米で活躍という点からいえば、イチローや野茂英雄という名前がまず挙がるべきではないでしょうか?
イチローは2001年と2004年に国民栄誉賞の話がありましたが、「まだ自分は現役なので」ということで辞退した経緯があります。
もちろん、イチローが引退した後には、再び国民栄誉賞の打診はあると思いますが、果たして松井が今、国民栄誉賞を貰うことは妥当なのか?ということです。
おそらくこれが松井秀喜1人に対してのものであれば、松井は受賞を辞退していたと僕はそう思います。
しかし、恩師であるミスターと同時の受賞、ミスターがそれを凄く喜んでいることを考えれば、松井は辞退することはできないでしょう・・・
一番、かわいそうだし困惑しているのは松井自身だと思います
せっかくの名誉ある賞を心から喜んで受賞できるとは到底思えません。
「国民栄誉賞」はこれまで20個人1団体に贈られてきました
その選考規程には「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものに、その栄誉を讃えること」とありますが、その受賞者を決めるのは首相の“ひと声”といっても過言ではありません。
その時の首相が「○○にあげよう!」と言えば、よっぽどのことがない限り、それで決まりなのです。
あまりこんなことは言いたくはありませんが、今回の国民栄誉賞のW受賞には、何か政治的思惑が隠されているような気がして仕方ありません
国民栄誉賞というものは本来、国民誰しもがその人の残した業績を讃えてあげたいという主旨でなければいけないと思います。
そのことを、もう一度よく踏まえなければ「国民栄誉賞」というものの意義が非常に軽薄なものになってしまいそうで、僕は心配です
松井秀喜ファンの僕だからこそ、あえて僕はそんな苦言を申したいです
それと、ここ数年の傾向からみるとスポーツ選手に少し集中し過ぎです。もちろん、受賞された方は素晴らしい実績や功績があるのはわかりますが、もっと文化、芸術、医学などの様々な分野にも目を向けて欲しいです。
いずれにしても、今回のミスターと松井の同時受賞には、心から喜ぶことはできませんが、もちろん野球を愛する一ファンとして、大きな拍手を送りたいとは思います
授賞式当日、この2人の晴れ晴れとして笑顔を見る事を楽しみにしています
さて、前置きがだいぶ長くなってしまいましたが、「国民栄誉賞受賞」が決まった松井秀喜の特集を、僕は年明けから2回(1月と3月)に渡ってお送りしてきました
昨年末に松井が現役を退いたことを機に、松井の高校時代から現役引退までを振り返るというこのシリーズ企画ですが、今日はその「最終章」をお送りしたいと思いますので、どうぞ最後まで楽しんでください
前回は松井が巨人軍にそして日本の野球に別れを告げ、名門ヤンキースへの入団を決意したところまでご紹介してきましたが、今日はいよいよ、松井秀喜が夢のメジャーの舞台に立つというとこから始めたいと思います
2002年オフ、メジャー挑戦を決めた松井はその記者会見でこう語りました。
「何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか、松井はメジャー行って良かったな、と言われるように頑張りたい。」そう決意を述べる松井の表情は、今まで見たことのない、厳しく真剣な表情でした。
このメジャー挑戦には、恩師であり巨人軍終身名誉監督である長嶋茂雄氏が背中を押してくれた事があってのことは、後にわかりました。
松井とミスター、その2人には誰も近づけないスパースターだけの固い絆がそこにはあるのだと思います
僕自身の心境としては、松井だけにはメジャーには行って欲しくはありませんでした
。松井は巨人軍で骨を埋めるものだと信じていましたし、松井のいない巨人、もっといえば、松井のいない日本プロ野球には魅力を感じなかったからです。
それを証明するかのように、松井が去った後は、巨人の人気は低迷する一方で、視聴率、観客動員数は激減
、4年間もリーグ優勝からも遠ざかってしまいました。いかに、松井秀喜という存在が大きいものだったかが、それを見てもわかります
2003年3月31日、松井は名門ヤンキースの一員として、背番号「55」のユニホームに袖を通し、メジャーデビューを果たしました
本拠地ヤンキースタジアムでのデビューは2003年4月8日のツインズ戦、ここで松井は自らがスーパースターであることを証明したのです
松井が魂を込めて振ったバットはボールをとらえ、そのボールはライトスタンドへと飛びんでいったのです
メジャー初本塁打は満塁本塁打という華々しいデビューでした
メジャー1年目はオールスター戦にも出場し、シーズン終盤にはヤンキースの新人としては67年ぶり3人目となる100打点を記録し、ワールドシリーズにも出場して本塁打も記録するなど、その活躍は目覚しいものがありました
しかし、本塁打は日本で前年に記録した50本から激減し
わずか16本に終わり、いかにメジャーで本塁打を打つことが難しいことなのかを、日本のファンに教えてくれました。
2年目の2004年シーズン、松井は進化を遂げます
。前年の経験からパワー不足を痛感した松井はオフに筋力アップをはかり、その結果シーズンでは安定した結果を残し、シーズン後半には4番に定着もしました
松井秀喜が「日本の松井」から「世界の松井」へと進化したことの証でもありました
。結局この年は、前年の倍近い31本の本塁打を記録し、日本人野手でもメジャーで通用するということを証明してくれました。
本塁打王のタイトルを狙ったシーズン3年目の2005年は、本塁打こそ23本という不本意なものに終わったものの、打率はイチローを上回る.308(リーグ7位)、打点は116(リーグ8位)と、いずれもメジャーでの自己最高の数字を残したシーズンでした
順調な3シーズンを過ごした松井でしたが、メジャー4年目の2006年に悪夢が起きてしまいました・・・
2006年5月11日、守備についていた松井がレフトへの浅いフライを捕球しに行った際に、グラブが芝生に引っ掛かり左手首を骨折してしまったのです・・・
どんなことにも動じない、そして頑丈な体を持つ、あの松井が苦悶の表情で痛がる光景は、今でも僕の記憶から忘れる事はありません
巨人時代から続けていた連続試合出場は「1768」で途絶え、シーズンを棒に振ると、そう誰しもが思いました・・・
しかし、松井は驚異的な回復力でグランドに戻ってきました
シーズンも終盤に差し掛かった9月12日、124日ぶりに先発出場を果たすと、満員の観衆からはスタンディング・オベレーションが起きたのです
いかに松井がファンから愛されているかということがよくわかる光景でした。
結局、このシーズンはケガの影響もあり、本塁打も8本という結果に終わりましたが、この手首の骨折の辺りから、古傷の膝の状態も悪化し、松井の体は徐々に全盛期の輝きを失っていくこととなります・・・
2007年には日米通算2000本安打、メジャー通算100本塁打を記録するなどの活躍をみせ、25本塁打、103打点と、チームに大きな貢献をしました。
2008年の開幕前には元OLの日本人女性との結婚を発表しました
似顔絵を持参しての結婚会見は当時、話題を呼びましたよね
プライベートも充実し、さらなる活躍が期待されたこの年でしたが、度重なる膝の故障で離脱を余儀なくされ、この年は松井にとってメジャーで最低の数字しか残せなかったシーズンでした。
チームも14年連続のプレーオフ進出を逃し、その責任から松井のトレードの話も浮上しましたが、それは結果的には消滅しました。
メジャー7年目となった2009年、松井は開幕戦で4番に座り、恩師であるミスターを超える日米通算445本塁打を記録しました。やっぱりスターはスターです
この年もケガの影響や不調などで、スタメンを外れることが増え「松井限界説」も飛び交いましたが、終わって見れば28本塁打、90打点という活躍で、チームをポストシーズンへと導きました。
ポストシーズンでも好調を維持した松井は、ヤンキース入団1年目以来となる自身2度目のワールドシーズンへと駒を進めました。
そしてここで松井は天性のスター性を開花させます
ワールドシリーズで、3本塁打8打点、特に勝負を決めた第6戦では1試合6打点を記録するなどの活躍で、チームの9年ぶりの世界一に貢献しました
日本人初のワールドシリーズMVPに輝いた松井は、名実ともに日米を股に掛けるスター選手になりました
しかしその年のオフ、松井はヤンキースとの契約満了に伴いFAとなりました。松井自身はヤンキース残留を希望したのですが、球団は松井と契約はせず、松井はメジャー移籍8年目にして違う球団へと移籍することになりました。
松井が2010年シーズンに袖を通したユニホームは、エンゼルスのユニホームでした。
シーズン序盤こそ4番に座り活躍はしたものの、調子の波が激しく、チームの成績も不振の中、シーズン後半には若手を起用するチームの方針もあり、松井は巨人に入団した1993年以来の代打を送られるという屈辱も味わいました
結果、このシーズンは21本塁打、84打点を記録したものの、1年契約満了で再びFAとなり、アスレチックスと1年契約を結ぶこととなりました。
37歳となる2011年シーズンもケガとの葛藤で、思うような成績を残せないままシーズンを戦っていました。
そんな中、7月には日米通算500本塁打を記録しました。しかし、シーズン終盤には調子を落とし、報道陣に対しても「どこからも必要とされなければ、引退するしかない・・・」と心境も吐露するようになり、松井の中で「引退」というものが徐々に脳裏をかすめるようになってきました。
シーズンが終わり、松井はプロ入り後初めて、所属球団未定のまま年を越すことになりました。
2012年開幕を所属球団未定のまま迎えた松井は、4月末にレイズとのマイナー契約を結び、5月にはメジャー昇格を果たします。
プロ入り後初めて、「55」以外の背番号を付けることになった松井が選んだのは「35」番でした。
恩師のミスターの「3」と「55」の「5」を合わせたその背番号を背負い、松井は純粋に1つのボールを打つことだけに集中しました
しかし、松井が残したメジャー最後のシーズンの成績は、34試合で2本塁打と7打点だけでした・・・
2012年12月28日、松井秀喜はニューヨークで記者会見を開き、現役引退を発表しました。
それは、ゴジラがユニホームを脱ぎ、一人の野球少年に戻った瞬間でした
記者会見の中で松井は、さかんに「引退という言葉は使いたくない」と述べていました。この会見はあくまでも「区切り」であり、自分にはまだ「夢の続き」がある。そういう風に僕にはとれました
きっとその「夢の続き」は、今度は「監督」として再びグランドに帰ってくることなのではないでしょうか
その夢が現実になることを、僕は本当に心から待っています。その瞬間が訪れるまで、ゴジラの夢は終わらない!
今年1月から全3回に渡り足早ではありますが、松井秀喜という1人の野球人にスポットをあてて特集をくんできましたが、楽しんでいただけでしょうか
僕と同年代の松井秀喜が現役を去り、寂しさがある一方で、コーチあるいは監督しての松井の姿を想像すると、それはそれで凄く楽しみです
それに加え、今回の国民栄誉賞受賞というサプライズもあり、僕達のヒーローだった松井秀喜という存在が、また1つ大きな存在になった、そんな気がします
まずは20年間の現役生活本当にお疲れ様、そしてこれからも僕らに大きな夢をたくさん与えてくださいね
頑張れ、ゴジラ!!
それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)
<今日の誕生日
2> 4月2日生まれ
坂井宏行(71歳)、レジー・スミス(68歳)、浅茅陽子(62歳)、岡本綾子(62歳)、坂本ちゃん(47歳)、カンニング・竹山(42歳)、ZEEBRA(42歳)
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