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2013年3月 2日 (土)

ゴジラの夢は終わらない~第2章~

こんばんにゃ~night 北の猫男爵ですcat

昨晩から降り続いた雪snowの影響で、今朝は早朝から早出出勤となりましたが、思ったよりは降雪が少なくホッと胸を撫で下ろしていますconfident

さあ今夜nightは、というかまもなく、いよいよ「ベースボール世界一」を決める第3回WBCが開幕しますsign03

注目の「侍ジャパン」の初戦の相手は「ブラジル」です。

「ブラジル」といえば、サッカーやバレーボールが世界トップクラスなのは有名ですが、野球の方もここ数年で一気に力をつけており、決して侮れない相手ですpaper

日本のプロ野球や社会人野球に所属している選手も多数おり、日本の野球にも精通していることから油断は禁物ですdanger

順当にいけば日本が勝つのはもちろん揺るがないところでしょうが、スポーツでは何が起きるか分かりません!そこがスポーツのおもしろいところでもありますし、同時に怖いところでもあります。

今大会は世界の強豪国各国が、メジャーリーガーなどを出場させ、本気で挑んできている大会でもあります。日本は残念ながらメジャーリーガーが1人も出場しませんが、現在の日本プロ野球を代表する選手達が集結したチームですので、日本国民をあげて熱い声援を送りましょうup

既にもう僕の心臓は緊張感でドキドキしていますheart02。今宵はテレビの前から、離れられませんhappy02

さて、そんな「WBC」という大イベントにこれまでどうしても出場して欲しかった選手が、僕個人的には1人だけいますpaper。これは僕だけでなく、きっと多くの野球ファンが願っていたことだと思いますが、その選手とはsign02

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松井秀喜ですshine

メジャーに在籍していた過去2大会は、チームの事情やケガの具合などもあり、出場が見送られましたが、今大会は最後のチャンスなので、ぜひ出場して欲しいsign03そう願っていた矢先に飛び込んできた、昨年末の引退の知らせでした・・・

本当に残念でありませんweep。松井が「JAPAN」のユニホームを着て、世界相手に豪快なホームランをかっ飛ばすところを見たかったですbaseball

スポーツの世界に「たられば」は禁物ですが、もしも松井が「侍ジャパン」に選ばれていれば、もっと違う楽しみもあったでしょうし、チームとしての雰囲気も違ったのではないでしょうかpaper

夢に終わった「松井秀喜WBC出場」は胸の奥にしまって、今日はその松井秀喜特集の第two弾をお送りしたいと思いますpaper

松井秀喜ファンの方、大変長らくお待たせしましたね。第1回をお送りしたのが1月14日でしたから、1ヶ月半もお待たせしてしまいましたcoldsweats01。今日はその分、思う存分満喫してくださいgood

前回は松井秀喜が甲子園で活躍した高校3年間と、運命のドラフト会議のところまでお送りしまたので、今日はその続きからお話させていただきますhappy01

1992年秋、運命に導かれ、松井秀喜は巨人軍へと入団することになりましたscissors

契約金は1億2000万円、年俸720万円と当時の高卒ルーキーとしては破格の金額でしした。背番号は「55」と決まり、ゴジラのプロ生活がスタートしましたup

松井は当時の入団会見でこう言っています。

「サッカーや相撲に小さい子供たちの関心が傾きつつあります。その中で僕は、子供たちに夢を与え、球場に直接見に来てもらえるような選手になれるように頑張ります。」

この言葉通り、松井は多くの子供たちに夢を与えることになりましたshine

1993年春、キャンプやオープン戦には連日、松井の姿を見ようと数多くの観衆が球場を埋めつくしましたshine

松井は高校時代は内野手(主にサード)を務めていましたが、体格の割には100m11秒台という俊足と、遠投110mという強肩を活かすために、長嶋監督の提案により外野手へとコンバートされました。

誰しもが松井の華やかな活躍を期待する中、松井はオープン戦でプロの投手の球に手こずり、三振と凡打の山を築き、打率は.094に終わり、結局、開幕を2軍で迎えることになりましたbearing

その後、2軍で結果を残した松井はいよいよ満を持して1軍デビューを果たすことになりましたshine

1993年5月1日、東京ドームで行われた対ヤクルト戦、7番レフトで先発出場を果たしたのが松井秀喜の「プロ」としての第一歩でしたfoot

迎えた翌5月2日、当時札幌の大学に通っていた僕はこの日、ゴールデンウィークを利用して実家に帰省するために夕方の汽車に乗っていましたbullettrain

今のように、携帯電話mobilephoneやネットpcがある時代ではなかったので、松井の情報を知ることはできませんでした。

夜になり汽車を降りた僕は、駅に迎えに来てくれていた家族と一緒に近くのお寿司屋さんに夕食を食べに行きましたrestaurant

そこでちょうどテレビで野球中継tvを放送していたので、僕は「お寿司」そっちのけで松井のプレーに注目していましたeye

そんな中、遂にその瞬間が来ましたsign03

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9回裏、ヤクルト・高津臣吾からライトスタンド中段へと運ぶ、プロ第1号ホームランを放ったのですbaseball

この瞬間、僕は思わず拍手をしたのですが、お寿司屋さんの他のお客さんたちからも大きな拍手と声援が送られ、松井の人気の高さを改めて感じた、そんな思い出がありますconfident

しかしその後、松井は各球団のマークに遭い、6月に2軍に降格する事になりますdown

そんな中、巨人の2軍が「帯広の森野球場」でイースタンの試合をするという知らせが僕の耳に飛び込んできましたear

ちょうど8月ということで、僕は大学の夏休みを利用して札幌から再び実家に帰省し、と一緒にその試合を観戦しに行きましたeye

生で見る松井はやっぱり凄い迫力でしたsign03。当時、僕と同じ19歳のはずなのに、体の大きさとその風格は他の先輩選手を遥かにしのぐものでしたcoldsweats01

僕と父は松井をより近くで見るために、レフト後方の外野の芝生席を陣取りました。当然、ファンの多くはみんな同じ事を考えていたので、そこはかなりの混み具合でしたがfull、僕は結構前の方に座れたので、松井の姿を間近で見ることができましたscissors

「これが、松井か!デカいな!」と思った事を今でも鮮明に記憶していますconfident

その帯広での2軍戦が終わった数日後、松井は再び1軍に昇格しup、終わってみればセ・リーグ高卒ルーキー新記録となる11本塁打を記録しましたshine

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松井秀喜が日本でプレーした10年間で、打った本塁打の数は合計332本ですが、今日はその中でも僕が印象に残っている本塁打を「3本」ご紹介しましょうbaseball

まずone本目は、1994年4月9日の対広島戦です。

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プロ2年目を3番打者として迎えた開幕戦のこの日、第1打席でいきなり本塁打を打った松井は、続く第2打席でも見事に本塁打を放ち、2打席連続本塁打を記録しましたshine

この本塁打こそが、2年目の松井の大きな成長を確信した瞬間でしたgood。10代での開幕戦2発は、中西太以来の史上2人目の快挙でした。

続いてtwo本目は、1994年10月8日の対中日戦、俗に言う「10・8決戦」の日です。

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優勝がかかった大事なこの試合で、松井はシーズン20号となる本塁打を放ちますup。重圧のかかる中で放ったその本塁打には、近い将来間違いなく巨人の4番に座ることを確信したそんな本塁打でしたhappy02

その後の松井の活躍はこの場でご紹介するまでもありませんが、巨人の4番に定着した松井は、本塁打王3回、打点王3回、首位打者1回、最高出塁率3回、MVPに3度輝き、名実ともに日本球界を代表するスター選手になりましたcrown

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これは印象に残っている本塁打ではありませんが、1996年シーズンの最終戦、対中日戦を、松井は本塁打王争いで中日の山崎を1本差で追う展開で迎え、この日は「1打席でも本塁打のチャンスを与えたい」という長嶋監督の配慮で、初の1番打者として試合に出場しましたbaseball

しかし、中日が松井を全打席敬遠するという作戦に出て、松井の初の本塁打王獲得は夢と終わったという出来事がありましたbearing。このことは今でも僕の中で何とも悔しい思い出として残っています。

それでは最後に印象に残るthree本目の本塁打は、2002年10月10日、東京ドームでの本拠地最終戦、対ヤクルト戦です。

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ファンであればすぐに分かるこの1本、松井秀喜が日本で放った最後のアーチですbaseball

ヤクルト・五十嵐の150kmの外角高めの速球を、見事にレフトスタンドに放り込んだその貫禄ある一発は、自身初のそして史上8人目のシーズン50号本塁打でしたshine

これはセ・リーグではあのバース以来17年ぶり、巨人軍では王貞治以来25年ぶりの事でしたpaper

結局、首位打者のタイトルだけは逃し「三冠王」は夢と終わりましたが、日本プロ野球史に残るスラッガーは、遂にこのシーズンオフに「メジャー挑戦」を表明しましたsign03

長嶋監督が運命のクジを引いてから、毎日のように素振りに付き合い「1000日計画」という名のもとで育て上げた球界の宝「松井秀喜」は、長嶋監督の期待に応えて立派に成長し、そして世界へと飛び立っていきましたairplane

長嶋監督はこう語っていましたshadow

「多くの選手は最初は一生懸命に練習するが、少し結果が出るとすぐに手を緩めたがるものだが、松井君は結果に関係なく常に何年か先の自分の姿を想像して、長い目で物事を見つめながら練習のできる数少ない選手です。」と、そう語っていました。

松井秀喜自身、小学生の時に父親に言われた「努力できることが才能である」という言葉を胸に、きっとそおそらく野球に向き合っていたんでしょうねconfident。その真摯な姿が、長嶋監督にの目にはそう映ったのでしょう。

1993年~2002年の巨人在籍の10年間で松井秀喜が残したもの、それは成績以上に、選手やスタッフにそして何よりファンの心にいつまでも強く残る、「思い出」という大きな宝物だったのではないでしょうかconfident

さあ、いかがでしたか「松井秀喜特集第2弾」はpaper次回はいよいよ「最終章」です。ゴジラが海を渡ってからの10年間の歩みをお送りいたしますbaseball

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

頑張れ!侍ジャパン!!

<今日の誕生日birthday2> 3月2日生まれ

ゴルバチョフ(82歳)、三遊亭小遊三(66歳)、段田男(46歳)、豊田真奈美(42歳)、島崎和歌子(40歳)、優木まおみ(33歳)

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コメント

もう日本のプロ野球リーグで50本打つ選手は二度と出てこないのではないでしょうか?
まだまだ松井の後継者と呼べる選手は出てきそうにないですね。
次回はヤンキース松井特集かな。楽しみにしてます(^-^)v

投稿: 29 | 2013年3月 3日 (日) 16時21分

29さん
見たいですよね、50本打つ選手をconfident
現役で可能性あるとしたら「おかわり君」ぐらいですかね?まずはボールbaseballを元に戻すことですね。野球がつまらなさ過ぎる・・・
あと、大谷君が野手一本でいけば、将来はもしかすると50本打てるかもup
あともう1人、良い指導者がついて大成すればDeNAの筒香君も可能性はあるかもgood

投稿: 猫男爵 | 2013年3月 3日 (日) 20時46分

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