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2012年12月12日 (水)

「練習の虫」と呼ばれた男。

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です

12月も中盤へと差し掛かり、僕の大好きな「プロ野球」はシーズンオフということで、この時期は来年へ向けてのの契約更改などが各球団で行われています

今シーズンは僕にとっては愛する巨人軍が日本一を奪還し満願成就の一年でした。欲を言えば、慎之助(阿部)に「三冠王」を取らせたかったですが、本当に最高の一年でした

そんな中で、オフシーズンとはいえ、来年3月に開幕する「第3回WBCへの盛り上がりも徐々に目立ってきました

また、日本ハムからドラフト1位指名を受けていた花巻東高校の大谷君が、「メジャー挑戦」から一転して日本ハムへの入団を発表し、世間を驚かせています

この大谷君の問題については、現在の「ドラフト制度」そのものを見直す必要があるのではないかと、各方面から声があがっているのも事実です

この問題については非常に奥が深く、簡単にはお話することができないので、このブログ上ではあえて詳しくは触れませんが、僕個人的の意見としては、大谷君には「メジャー挑戦」を表明したからには、日本ハムの指名を丁重に断り、メジャー球団との交渉を進めて欲しかったです

僕は高校生が日本のプロ野球に行かずに、直接メジャーへ挑戦することには、そもそも大反対です。ただ、「メジャー挑戦」ということを大々的に表明した以上は、その若者の意思を尊重してドラフト会議で指名を断念した球団もたくさんあるわけですから、それを覆して入団するという事は、他の球団に対して非常に失礼な話だと思います

もちろん強行指名した日本ハムに否はありませんし、日本ハムに入団を決めた大谷君もルール上は全く違反しているわけではありません

ただそこは「モラル」の問題だけだと思います。これからもこういうケースが多発するようでは、「ドラフト」というものの存在価値は全く無いに等しいと言えるでしょう

このことについては今度暇をみて、野球好きの仲間とじっくりと議論してみたいと思っています

さて、大谷君のようにプロの扉を開き、夢と希望を抱きながらプロデビューを目指す若者達がいれば、それとは逆に今シーズン限りで、ユニホームを脱ぐ選手達もたくさんいます

特に今年は、長きに渡り日本のプロ野球を支え、そして盛り上げてくれた名選手達の「引退」が目立ちました

「平成の鉄人」と言われ数々の記録を残した金本知憲(阪神)、全盛期は日本最強捕手と言われた城島健司(阪神)、阪神の中軸として活躍した今岡誠(ロッテ)、長きに渡り大洋・横浜で活躍した職人・石井琢朗(広島)などなど、数多くの名選手がその記録と記憶を残して去っていきました。

その中でも僕が一番、ユニホームを脱ぐことが残念でならない選手が一人います

彼は球界でも1、2を争う「練習の虫」と呼ばれた男で、とにかく一に「練習」、二に「練習」、三、四がなくて、五に「練習」というほど、ひたすら練習に汗を流した男です

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彼の名は小久保裕紀、ダイエー、巨人、ソフトバンクで活躍した日本球界を代表するホームランバッターです

彼がプロの世界に飛び込んできたのは1994年のことです

当時、青山学院大学で活躍していた彼は、大学生で唯一1992年のバルセロナ五輪野球代表に選出され、チームの中心打者として「銅メダル」獲得に貢献しました

僕が初めて彼の打撃を見たのもこのバルセロナ五輪です。当時はアマチュアだけのチーム編成でしたが、「大学生なのに凄い柔軟性のあるバッティングをするな~」と思った事を今でも憶えています

小久保がダイエーホークスに入団した翌年には、世界のホームラン王である恩師・王貞治を監督に迎え、若手中心の非常に楽しみなチームが徐々に形成されていきました

高卒ながらも捕手としてチームを牽引した城島、当時の球界NO・1ショートストップだった井口、後に三冠王を獲得した松中と、小久保を加えたこの“カルテット”は当時の相手チームにとっては脅威の打線でした

小久保は1995年に「本塁打王」、1997年には「打点王」を獲得し、名実ともにパリーグをそして日本を代表するスラッガーに成長し、1999年には悲願のリーグ制覇、そして日本一にも大きく貢献しました

しかし彼の野球人生はケガとの戦いでもありました・・・

1998年には右肩関節唇損傷、2002年には背筋痛と肉離れ、2003年には右膝前十字靭帯断裂、内側靭帯損傷、外側半月板損傷、脛骨・大腿骨挫傷という、言葉だけでも非常に痛々しいと分かる「重傷」を負いました

そして2003年のシーズンを丸々1年棒に振ったその年のオフに、巨人への「無償電撃トレード」が発表されました

巨人ファンの僕としては、「小久保が巨人に来る!」ということで大喜びでしたが、プロ野球ファンとりわけダイエーファンにとっては、「何で?嘘でしょ?」というのが本音ではなかったでしょうか。

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2004年~2006年の3年間ではありましたが、小久保はジャイアンツの背番号「6」に袖を通し、中軸として大きな活躍をしました

2004年には巨人の右打者としては史上初の「40本塁打以上」を記録しました

そして2007年、小久保は自分の野球人生の最後の場所を探すように、古巣の「ソフトバンク」(元のダイエー)にFA宣言で入団しました

福岡のファンが温かく迎える中で彼は以前に増して練習量を増やし、年齢による衰えをカバーしようと必死に汗を流しました

ソフトバンクに戻ってから引退するまでの6年間は、ダイエー時代と比べれば、その打棒は影を潜めはしましたが、チームにおける彼の存在感は大きなものがありました

彼の素晴らしいところは、プレーはもちろんですが「精神面」で若手のお手本となることです

どんなに年齢を重ねても、その練習量は人の何倍もこなします。その練習こそが小久保が長きに渡り、一流選手でいれた証なのです

それともう1つ、彼にはチームをまとめる「リーダシップ」があることです。特に若手に対しては、試合後に一緒に食事に行き、言葉と言葉で思う事を話し合うことに向き合う選手でした

そういう兄貴肌なところに、多くの選手が尊敬の念を抱いていたことも事実でした

「苦しい時は私の背中を見なさい」これはあのなでしこジャパンの選手が言ったことでも有名な言葉ですが、小久保はチームリダーとして、「苦しい時は俺の背中を見ろ!」それを無言で語りかけていた選手でした

今年5月には「2000本安打」にあと1本と王手をかけたところで、椎間板ヘルニアで1ヶ月間離脱を余儀なくされましたが、復帰した6月に見事に「2000本安打」を達成しました。最後の最後までケガがつきまとうあたりが、小久保らしいといえば、らしいです

そして8月14日、突然行った「引退会見」にファンは再び驚かせられました

シーズン途中にしての「引退発表」は、今思えば彼らしかったのかもしれません

チームの成績が下降線を辿り、優勝争いから脱落していたソフトバンクは、この小久保の引退発表以降、見事に息を吹き返し、その後何と首位に立ったわけですから、きっと小久保が選手に伝えたかった「最後まで諦めるな!」そのことはしっかりと伝わった証だと思います

現役生活19年間の中で手術した回数は何と7回、その度重なる大ケガの中でも常に第一線で活躍できたその影には、努力を怠らなかった不屈の精神力があったと僕は思っています。

「練習の虫」と呼ばれた男、小久保裕紀、彼はただ純粋に野球が好きで、好きな野球に真正面から向き合っていた、そんな男だったのだと僕は思います

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僕は彼に最後にこの言葉を送り、今日のブログを終わりにしたいと思います

「あなたのフルスイング、全力疾走、そして最高の笑顔、それは僕たち野球ファンにとっては最高の思い出でもあり、宝物です。本当に夢をありがとう、小久保裕紀、そしてお疲れ様でした。」

彼ならきっと、これから良い指導者になると僕はそう信じています

今日は久しぶりに愛娘の光希のネタなしで、大好きな野球に関するネタで長々とお話させていただきました

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

<今日の誕生花> 12月12日

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「青木」(あおき)

花言葉は「不老長寿」です。

「青木」はミズキ科の常緑低木で、暖地の照葉樹林に自生しています。葉は火傷の薬として利用されます。園芸品種が多く、庭木として人気があります。

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コメント

久々の野球ネタですな。
私はドラフトは完全ウェーバー制にすべきだと思います。そしてメジャーではよくあるようにドラフト終了後すぐに新人と主力選手のトレードをすれば良いと思います。つまり巨人が長野、沢村、菅野を欲しければ、その代わりに坂本、内海、山口といった主力を放出すればいいんです。そうすれば万年最下位のチームも即戦力を獲得でき、戦力の均衡が計られるのではないでしょうか?
日本の歴史でいえば江川卓と小林繁のトレードがこれですね。悪い歴史のように語られますが、私はこれかバランスを取る一番の方法だと思います。もっと早くこれをやってれば、もっと凄い江川卓をもっと長く見られたと思うと残念です。菅野にしても一年のブランクは勿体ない。元木もそう。プロの選手生命は短いものなのだから、選手としての旬な時期は大切にして欲しいです。
では次回WBCネタを楽しみにしてます!

投稿: 29 | 2012年12月13日 (木) 11時15分

29さん
久しぶりの野球ネタに、早速のコメントありがとうございます
確かに「チーム力の均衡」をはかるには、やはり29さんの言う通り「完全ウェーバー制」がベストだと思います。
そして江川と小林のようなトレードをするという方法も確かに良いのかもしれません。
ただ、僕としては小林のその時の心情を考えると、そういうシステムには少し抵抗があります
だからといって他に代替案があるわけではないのですが、いずれにしても全ての人が納得できる方法は無理だと思うので、多くの人が賛同できるような、そんなドラフト制度を球界全体をあげて考えていかないと、プロ野球の人気は下がる一方のような気がします。

投稿: 猫男爵 | 2012年12月13日 (木) 22時41分

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