« ユーベの決断・・・ | トップページ | 7年目の始動! »

2012年5月 9日 (水)

我が青春の恩師。

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です

今日はようやく、待ちに待った太陽に再会する事ができました。まだ「快晴」とまではいきませんが、ここ数日間に比べれば非常に良い天気の一日でした

この天気が長く続けば良いのですが、明日と明後日はまだ曇りがちの天候が続くようです。太陽が燦々と照り、そして夏を愛する僕を早くタンクトップにさせて欲しいです

そんな今日は週の真ん中「水曜日」という事で、週に一度のミニバレーの日でした。今日こそはミニバレーで汗を流そうと、意気揚々と体育館に向かいましたが、今日も集まったのは僅か2名・・・

今日のメンバーはHこ、そして猫男爵といういつもの顔ぶれでした。2名ではどうする事もできないまま、結局ロビーで談笑した後、撤退する事にしました

なかなかミニバレーをする事ができず困っています・・・MVDメンバーが都合をつけて来てくれるのをひたすら待つか、またあるいは新メンバーを募るか、色々と考えてはいますが、週に一度みんなが体育館に集えるこのスタイルだけは崩したくないと、僕個人的には思っています

いずれにしても「MVDは永遠に不滅です!」どこかで聞いた事のある言葉ですが、来週こそ多くのMVDメンバーの参加を祈っています

そんなこんなで、撤退を余儀なくされた僕は帰路へと向かいました。家に着き、食事を食べて、今日の夕刊(勝毎)を読んでいると、懐かしい名前と顔写真入りの記事を見つけました

その記事は「十勝管内の小中学校の教頭会という会の新会長を紹介する」という内容の記事でしたが、そこで紹介されていた新会長という人物は、何を隠そう僕の中学時代の恩師でした

その先生の名前はK先生と言います。恩師といっても担任だったわけではないのですが、僕が所属していた野球部の顧問だった先生です

僕が青春の全てを注いだ「野球部での3年間」には色々な思い出がありましたが、まだ当時20代半ばだったK先生は、授業中はもちろん「教師」なのですが、部活の時間になると「教師」というよりは「良き兄貴」といった存在でした

僕は主将だった事もあり、K先生には何度も殴られたり蹴られたりしましたが、それが“愛のムチ”だという事をわかっていた僕には、痛くも何ともありませんでした

K先生には全幅の信頼を置いていましたし、そんな僕らの想いは先生にも届いていたと思います。その証拠に、いつも僕達を優しく包んでくれるような、愛情溢れる先生でした

時には怒り、時には優しく、良いプレーをした時は褒め、悪いプレーをした時は叱責する、当たり前の事のようでなかなか真似のできない事を、先生は身を持って僕らに示してくれました

K先生との思い出の中で、今でも忘れない出来事があります

ある練習試合で、僕達は勝てる試合をちょっとした油断から負け試合にしてしまいました。帰りのバスの中で、反省する事なく笑って過ごしていた僕らに、K先生の大きな怒鳴り声が響きました

「お前ら、何で笑っていれるんだ!」

その声にみんなの顔は一瞬にして凍りつきました・・・

「負けた事をどうこう言っているんじゃない、どうして勝てた試合が負けになったのか、それをみんなちゃんと考えているのか?笑ってる場合か?」

その言葉に誰一人返す言葉はありませんでした・・・

練習試合だからこそ、何が原因だったのか、どうして負けたのか、それをどう本番で活かすのか、それを先生は僕達に考えて欲しかったのだと思います。

先生の言葉が響き渡ったその後のバスの中は、まるでお通夜のようでした・・・誰も口を開く事なく、重苦しい雰囲気がバスの中を漂いました

バスが学校に到着し、みんな降りる準備をしていると、先生が再び口を開きました。

「お前ら荷物降ろしたら、俺が良いって言うまでグランド走ってろ!」

僕ら先生の言うように、ただひたすらグランドを走り続けました。今の時代なら「体罰」と言われるのかもしれませんが、僕達は文句ひとつ言わず、とにかく走り続けました

きっと1時間以上は走り続けたと思います。陽も西に沈み始めた頃、ずっとベンチに座っていたKた先生は「もういいぞ、走るのやめろ。」と言いました。

そして集合した僕らに、「いいか、今日のこの辛さ、絶対に忘れるなよ!よし、それじゃ、みんなでラーメン食べに行くぞ、先生のおごりだ!」と言って、20名以上いる部員を引き連れて近所のラーメン屋さんでラーメンをご馳走してくれたのです

まるでドラマの世界の熱血教師のようなお話ですが、それがK先生と言う先生でした

先生の言った言葉のように、20年以上経った今でも僕はあの日の1時間かけてグランドを走り続けた事を忘れていません。でもそれは決して苦い思い出ではありません、どちらかというと先生の心の温かさを感じられた良い思い出のひとつです

僕らが3年の夏に部活動を引退すると、先生との思い出のグランドとも離れ離れになりました。

卒業式の日、先生と別れるのが凄く辛かった事を思い出します。「先生の前では泣かない・・・」そう決めていた僕でしたが、やっぱり熱いものが込みあげてきて、泣いてしまいました。泣きながら握手を交わした先生の手は凄く温かったですし、ゴツゴツしていました。

その時、僕は初めて気づきました先生が血豆を作ってまでしてバットを振り、僕らにノックをしてくれていた事を・・・

あれから22年、先生とは一度も再会する機会はありませんでしたが、今日新聞で久しぶりにその顔を見る事ができました

22年も経てば、当然あの頃のような若い頃の面影はありませんでしたが、それでもその顔を見ていると、あの頃の楽しい思い出が頭の中をかけ巡りました

不思議な事にK先生は今、HこRえや、AっけNおMさSっさなどMVDメンバーの多くが卒業したO中学校の教頭を勤めています

今年2月のブログでもお話したと思いますが、これも僕の中学時代の英語の教師だった今は亡きO先生も、偶然にも最後はO中学校で教師生活にピリオドを打っています。

何か僕の中学時代の恩師とO中学校には不思議な縁を感じます

今日は22年ぶりにK先生の懐かしい顔を、新聞の中とはいえ拝見できて嬉しかったです

僕は知っています

1989年の夏、僕らの中学生活最後の試合、試合に負けた僕らが悔し涙を流しながら、ベンチの中を片付けていた時、K先生が1人ベンチの外に出て、僕らに背を向けながら涙を浮かべていた事を・・・

きっと先生も悔しかったのだと思います。そして僕らともう野球ができない事が寂しかったのだと思います。

そんな我が青春の恩師に、この場を借りて御礼を言いたいです

「K先生、僕はあなたから野球だけでなく、それ以外の事をたくさん学びました。あの時のご恩は一生忘れません。これからも体に気をつけて少しでも長生きしてくださいね。まだ、そんな事を言うような歳ではありませんけどね。本当にありがとうございました。」

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

<今日の誕生花> 5月9日

0509

「クレチマス」

花言葉は「精神的な美しさ、旅人の喜び」です。

「クレチマス」はキンポウゲ科の観賞用蔓性多年草で、葉は複葉で、初夏から夏にかけて大きな車輪のような花を咲かせます。

世界中の温帯に約250種が分布し、丈夫で堅い“つる”を持つために、「ブドウの枝」というギリシャ語からこの名が付けられたそうです。昔、ヨーロッパでは宿の玄関に飾って、旅人を出迎えたそうです。

|

« ユーベの決断・・・ | トップページ | 7年目の始動! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 我が青春の恩師。:

« ユーベの決断・・・ | トップページ | 7年目の始動! »