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2012年1月15日 (日)

1月15日の国立。

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です

今日は1月15日です。「1月15日」といえば昔は「成人の日」でもあり、僕自身も20歳になった時はこの日に「成人式」に参加しました

今は法律の改正で「成人の日」が第2月曜日になり、日にちが固定したものから流動的になったので、日にちに対する思い入れというものが薄れつつあるのも確かです

しかし僕らの世代やもっと年上の方々にとっては、この「1月15日」という日には特別な「思い出」がある方もきっといるのではないでしょうか

そしてもう1つ、「1月15日」という日で忘れてはいけないのが「どんど焼き」です。「どんど焼き」は正月飾りなどを御神火で焼き、「無病息災」や「家内安全」を祈る神事です。

僕は毎年この行事に足を運んでいるわけではありませんが、今年は休日で予定も無いということもあり、両親と4人で「どんど焼き」に行ってきました

1月15日の国立。

次々に神社に持ち込まれるお正月の「飾り物」たちが、火の中にどんどんと投げ込まれ、燃え上がっていきます

1月15日の国立。

燃え上がる火に近づき、煙をかぶりながら手を合わせてきました。今日も外は非常に寒さが厳しい一日でしたので、この燃え上がる炎が凄く暖かくて、なかなか火の側を離れることができませんでした

1月15日の国立。

地元の神社には今年は初詣に来なかったので、今日はお賽銭を入れてお祈りをした後、「おみくじ」を引いてみました

僕も妻も2人とも「吉」でした。お正月に引いた「おみくじ」は2人とも「小吉」でしたから、また仲良く同じものを引き当てちゃいました

昔の「成人の日」、そして「どんど焼き」、それぞれ1月15日の“風物詩”ですが、実は僕にとってはもう1つ「1月15日」に関する風物詩があります!正確には「あったのです」が正しいかもしれません

というのも、こちらも昔とは日にちが変わり現在は「1月15日」に行われていませんが、実は昔は「ラグビー日本選手権」は必ず「1月15日」に開催されていました

ラグビーに興味のない方にはどうでも良い話かもしれませんが、「スポーツ好き」な僕はこの日はいつもテレビにかじりついて観戦していました

僕は冬にテレビ観戦するスポーツの中で一番好きなのが、ウインタースポーツと呼ばれる「アイスホッケー」や「スキー」ではなく、実はこの「ラグビー」なんです

そこで今日から全3回に渡り、「ラグビー」に関するシリーズ企画を不定期にお送りしたいと思います

その第1回が今日ですが、今日は「1月15日の国立」と題しまして、僕の思い出を蘇らせていきたいと思います

1994年度の日本選手権までは、1月15日になると国立競技場には数多くの熱心なラグビーファンが集まり、日本一をかけて戦う選手達に熱い声援を送っていました

それは、当日そこに駆けつける事のできないテレビの前のファンも同じ気持ちで、僕もその中の1人でした

僕の中では「ラグビー日本選手権」を語る上で、絶対に欠かすことのできない選手が2人います

1月15日の国立。

まず1人は松尾雄治、彼は新日鉄釜石の選手として「日本選手権7連覇」に貢献した日本を代表する偉大なプレーヤーです

明治大学でも日本一に輝き、卒業後に新日鉄釜石の「赤いジャージ」に袖を通した彼は、その華麗なステップワークと強いリーダーシップ、さらには「SO」としてのゲームメイク力を発揮し、日本ラグビー史に残る成績を残しました

1月15日の国立。

そしてもう1人は平尾誠二、1980年代後半~1990年前半を代表する選手で、その甘いマスクと天才的で卓越されたテクニックで、「ミスター・ラグビー」と称賛された名選手です。彼は神戸製鋼を「日本選手権7連覇」に導いた原動力です

この「2人のスター選手」と「2つのチーム」には、実は奇妙な“因縁”がありました

1980年代前半の日本ラグビー界は、松尾率いる新日鉄釜石の話題で持ちきりでした。1978年度に初の日本一に輝くと、連覇を積み重ね1984年度まで「日本選手権7連覇」を達成しました

ちょうどその頃、もう1人のスター平尾は伏見工業という高校で「高校日本一」を成し遂げていました。皆さんもよくご存知の『スクール☆ウォーズ』というドラマ、あのドラマは何を隠そうこの平尾を率いて優勝した伏見工業のことを描いたドラマです

その後、平尾は関西の名門同志社大学に進学し「大学選手権3連覇」という栄光を手に入れたのです。それがちょうど、松尾が新日鉄釜石を率いて日本選手権を勝ち続けていた時期なのです

そんな日本を代表する2人のスターは何度か対戦をしています。1982年度~1984年度の3年間、同志社大学と新日鉄釜石は日本選手権で対戦しています

しかし、1982年度は「21-8」、1983年度は「35-10」、平尾が最終学年となった1984年度は「31-17」でいずれも松尾が勝利しています

この平尾が4年生となった1984年度の日本選手権は、当時「学生最強チーム」と呼ばれていた「同志社大学」が「新日鉄釜石」に勝てるのではないかと騒がれた年でしたが、いざ蓋を開けてみれば社会人の底力を見せ付けさせられた試合でした。

しかし今だにこの1985年1月15日に国立で行われた「新日鉄釜石VS同志社大学」の試合は、日本ラグビー史に残る名勝負として語り継がれています

その翌年、新日鉄釜石は「社会人選手権準決勝」で神戸製鋼に破れ、日本選手権の連覇記録は「7」でストップしました。この時の神戸製鋼に平尾はまだ所属してはいませんでしたが、1987年にイギリス留学を終えて帰国した平尾は神戸製鋼に入社し、その翌年1988年度から神戸製鋼を新日鉄釜石に並ぶ「日本選手権7連覇」に導いています

僕としては、どちらかというと松尾よりも「平尾世代」なので、この神戸製鋼というチームの印象が強く残っています

平尾に加え、同志社大学の先輩である大八木を中心とした強力なFW陣、さらには当時の大学スター選手だった、堀越(早大)、増保(早大)、元木(明大)、伊藤(法大)なども続々と入社し、攻守にバランスの取れた素晴らしいチームを形成していました

僕は平尾が大好きで、よく学校の廊下とかで平尾の真似をして、普通に歩いている友達の間を、平尾のようにステップを踏みながらかいくぐって走って遊んだりしていました

そんな平尾も年齢的なものから体力にも衰えが見え、それに伴い神戸製鋼も1994年度の優勝で「日本選手権7連覇」を達成したのち、翌年はその記録が途絶えたしまいました

奇しくも平尾が最後まで倒すことのできなかった松尾の記録と肩を並べたまま、平尾は現役を引退する事となったのです。何かこれには“因縁”を感じますね

神戸製鋼が「7連覇」を達成した1994年度の試合は、学生王者の「大東文化大学」と対戦したのですが、スコアが「102-14」と圧倒的な大差になったために、『あまりにも実力差のある「社会人チーム」と「学生チーム」の間で日本一を競うのは無理がある』ということで、この年を最後に日本選手権は「社会人王者VS大学生王者」という当時の対戦方法が廃止になってしまいました

と同時に1月15日開催もこの年が最後となり、1月15日の“風物詩”である「ラグビー日本選手権」はこの日に観戦することはなくなってしまいました

現在、松尾雄治は58歳、平尾誠二は48歳、歳を重ねて共に指導者としてラグビーには携わっていますが、あの頃の輝きは今もなお僕の中では色褪せることなく光り輝いています

スポーツの世界に“たられば”は禁物ですが、『もしも彼ら2人の全盛期が同じ時代だったとすれば、日本のラグビーは変わっていたのでしょうか?』

彼ら2人だけでなく、新日鉄釜石の全盛期と神戸製鋼の全盛期、これが“融合”したとすれば、いったいどれだけ強い「日本代表」が結成されたのでしょうね。考えただけでも凄くワクワクしてしまいました

夢の中でも良いので、その映像を見てみたいです

今日は「1月15日」にちなんで、ひと昔前の“風物詩”でもあった「1月15日の国立」で行われたラグビー日本選手権の思い出について、お話させていただきました

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

<今日の名字しりとり> 篠沢(しのざわ)さん→渡瀬(わたせ)さん、お兄さんは「鮪」や「大門」で有名なあの方という、「渡瀬恒彦さん」で有名な「渡瀬さん」というお名前ですが、全国には「渡瀬さん」という方は7200名程いるそうです。

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