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2011年10月 9日 (日)

思い出の「51位」。

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です

いよいよ、恒例になった「駅伝大会」のスタートが明日に迫ってきました。今夜もまた緊張感とワクワク感から、きっと僕は眠れない夜を過ごすことになることでしょう

そんな「大会前夜」ということで、今日は僕が学生の頃の「マラソン大会に関わるエピソードを1つお話したいと思います

あれは僕が高校に入学しておよそ1ヶ月、1年生の春に開催された「校内マラソン大会」での出来事です

高校に入学して早々、体育の授業はもっぱら「マラソン」でした。なぜかというと、5月上旬にある「マラソン大会」の練習のためでした

僕は幼い頃から「走ること」は嫌いではなかったので、授業でのマラソンは特に苦ではありませんでした。もちろん全力で走ることはありませんでしたが、仲の良い友達と並走しながら汗を流していました

僕の母校である帯広北高校は、その当時はまだ辺りは畑で囲まれた場所で、すぐ近くに養豚場があったことから、豚の何ともいえない“香り”がいつも校舎に漂ってきており、風のある日はみんな『臭っ!』と連呼していました

体育の授業でのマラソンの練習コースも、その養豚場の周辺を走るので、とても辛かった思い出があります

いよいよ大会当日が訪れました僕は小中学校を通じて「マラソン大会」では常に上位を走っていたので、ある程度の自信があり、緊張感というよりは、自分のレベルがどの程度通用するのかというワクワク感の方が大きかったです

そしてそのスタート前、僕は仲の良かったMとしという友人とある“賭け”をしました

その賭けの内容とは『マラソン大会で、もしも僕が50位以内に入ったら、Mとしが僕に昼飯をおごってくれる。そして50位以内に入れなかったら、僕がMとしに昼飯をおごる。』という内容でした

「50位」と言っても、当時の北高の生徒数は1学年で約350名、単純に半分が男子としても175名です。それが3学年あるわけですから、175×3=525名の男子がいるということです

その中の「50位」ですから、かなりハードルは厳しいものです。しかも「北高」と言えば、野球部やサッカー部を始め、管内でも有数のスポーツに力を入れている学校なために、部活動に所属する人も大多数を占めています

その中で「50位以内」に入るのは容易でないことは、僕ももちろん分かってはいました。でもまだこの当時の僕は、運動に関しては自信があったんでしょうね『50位どころか、20位ぐらいはいけるだろう』と内心思っていました。

そして緊張感の中、運命のスタートは切られました

スタートの合図のピストルの音と同時に、僕は今まで感じたことのないスピード感を肌で感じましたもの凄い勢いで、多くの人が走り抜けていくではありませんか

『えっ!この速さじゃ最後までもたないだろう!』そう思う僕の心をよそに、運動部に所属している人たちはグングンと加速していきました

僕も最初のうちは少し無理をして先頭集団にくらいついていこうとしましたが、とてもついていけるような次元のものではありませんでした

僕はすぐにペースを自分のペースに戻し、無理をせずに体力を温存しながらの後半勝負に気持ちを切り替えることにしました

確か当時の「マラソン大会」の距離は男子は10kmか15kmぐらいだったと思います。それだけの長丁場ですので、無理は禁物です。目指すは50位以内ですから

途中、僕は1つ学年が上の1人の2年生と並走していました。ジャージの色からすぐに2年生と分かりましたが、見た事もない誰だか知らないその2年生の背中にピッタリとつき、結構な距離を走りました

結果的にこの「並走」が僕に大きな力を与えてくれました。その2年生の走るスピードとリズムが僕にちょうど良く、とても気持ちよく走ることができました

その2年生は背後にくっつかれるのが嫌だったのか、何度か僕に前に行くことを促すような仕草をしましたが、僕はあえてそれを無視し、彼の背後について並走しました

そしてゴールまで残り僅かとなったところで、その2年生の前に出て、少し早めのラストスパートをかけました

その2年生にしてみれば、『ちくしょう、この1年め!』と思ったと思いますが、僕にとってはそんなことは関係ありませんでした。とにかく1つでも上の順位を目指さなければ・・・

そして黄色い歓声が聞こえる学校のグランドに僕は帰ってきました。既に数多くの生徒がゴールしており、僕は自分がいったい何位ぐらいなのか全く分かりませんでした。

そして残っている力をふりしぼり、僕は全力で走り切りゴールしました

ゴールして係りの生徒から「順位」が書かれた紙切れをもらいました。そして、そこには・・・「51位」と書かれていました

『えっ?51位・・・嘘だろ、そんな・・・』

現実とはこんなに残酷なものでしょうか・・・「50位以内」を目指していた者に対して「51位」って・・・

どこかであと1人を抜いていれば・・・僕は悔やんでも悔やみきれませんでした

僕はゴールしたあと、Mとしがゴールしてくるのを待っていました。しばらしくて、Mとしも無事にゴールしました

『どうだった?何位だった?』と僕に近寄ってくるMとしに対し、僕は順位が書かれた紙切れを見せました。

『51位!えっ、マジで!』と言ったMとしは爆笑していました

『あと1つじゃん、一番悔しいパターンでしょ。』その時のMとしの、にやけた嬉しそうな顔が今でも思い出されます

結局、その日の昼飯は友達数人で「Gルマン亭」というところに行き、Mとしに僕は昼飯をご馳走しました

僕にとっては忘れられない、思い出の「51位」というお話しでした

皆さんも学生の頃の「マラソン大会」で、何か思い出になるようなことが1つや2つあったと思いますが、今考えるととても懐かしい思い出ですよね

明日はそんな「思い出」を胸に、駅伝大会を走りたいと思います。あれから21年、37歳になった老体にムチをうってね(笑)

それでは今日はこのへんで。がんばろう、日本!

<今日の名字しりとり> 雀堂(すずめどう)さん→宇賀地(うがち)さん、今日のブログが「マラソン」のお話でしたが、駒澤大学の一員として「箱根駅伝」で活躍した選手に「宇賀地さん」という方がいました。現在は卒業してコニカミノルタで活躍しています。そんな「宇賀地さん」は全国には90名程いるそうです。

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