忘れられない夏~1987年夏~
こんばんにゃ~ 北の猫男爵です
6月も半ばに差し掛かり、徐々に暑い季節が近づきつつあります。今時期、僕は朝野球で大忙しの時期なのですが、少年時代から野球を志した者としては、プロ野球も当然気になるのですが、それよりも「夏」が近づくと高校野球が凄く気になってきます
今年はどんな高校が甲子園に出て来るのか、そしてどんなヒーローが誕生し、どの高校が頂点に輝くのか、そんなことをついつい考えてしまいます
そんな「夏の甲子園」出場をかけた地区予選は6月下旬から全国各地でスタートしますが、そんな夏の予選を前にして、今月初めに北海道では「春の全道高校野球大会」が開催されました
全道各地の地区予選を勝ち上がった高校が集い、春の全道一を競う大会ですが、その大会で我が十勝地区代表の白樺学園高校が初の決勝戦に駒を進めました
十勝勢としては実に24年ぶりの優勝を目指し、函館地区代表の函大有斗と戦いましたが惜しくも敗れ、24年ぶりの十勝勢の全道制覇は夢と消えました
「今から24年前」・・・その数字を聞き、僕は自分の記憶を探りました。そして僕の中で眠っていたあの忘れられない夏「1987年夏」が鮮明に蘇りました
1987年、昭和で言うと昭和62年です。僕は当時13歳の中学1年生でした
その1987年の春の全道高校野球大会を制したのは、十勝代表の帯広北高校でした。何を隠そう我が母校です。後に僕がこの高校に行きたいと思うようになった“きっかけ”が、実はこの年の帯広北高校野球部の活躍にあったのです
今でも僕の脳裏にこの大会の記憶が残っています。十勝勢初の“全道制覇”がかかった試合の相手は室蘭大谷だったと思います。(もし間違っていたらゴメンなさい)
帯広北には北北海道NO・1投手と前評判の高い、高木清全という本格的右腕がいました。その前評判通りに彼は活躍し、帯広北を全道一に輝かせたのです
実は彼は2年生だった前年の夏の北北海道大会でも決勝戦まで勝ち上がり、同じ十勝勢の帯広三条高校に惜しくも破れ、甲子園にはあと一歩手が届かなかったのです。僕はその2年生の頃の高木さんをテレビで見て、もの凄い“憧れ”を抱いたのです
しなやかでキレイな投球フォーム、そしてその右腕から投じられる速球と、キレのある変化球。そして女の子にももてそうな甘いマスク、どこをとっても僕の中では憧れの大先輩でした
春の“北海道王者”となり、帯広北は「追う立場」から「追われる立場」になりました。夏の北北海道大会の中心は紛れもなく「帯広北」であり、そして「高木清全」という1人の投手でした
そんなプレッシャーの中、帯広北は“守りの野球”を中心に決勝戦まで勝ち上がります。甲子園まで「あと1つ」そんな状況で向かえた決勝戦、僕はこの試合をテレビの前で釘付けになり観戦していました
相手は釧路湖陵、この高校には確か佐藤君という、こちらも高木さんにひけを取らない好投手がいました
戦前の予想通りに息詰まる投手戦となった決勝戦は、歴史に残る戦いでした
「0対0」のまま延長戦に突入し、そして延長14回にエラー絡みで帯広北が遂に均衡を破ると、その後も追加点をあげ、結局は延長14回を戦い「6対0」で勝利し、帯広北が初の甲子園出場を決めたのです
今でも僕はこの時の「感動」と「興奮」をしっかりと憶えています。当時、中学1年生で野球部に所属していた僕は、夏休みに入ると朝から晩まで部活の毎日でしたが、夏の甲子園大会が始まるのが待ち遠しくて仕方ありませんでした
地元の高校が甲子園に出場するということももちろんありましたが、憧れの高木さんの活躍をテレビで見ることが僕の一番の楽しみでした
先日、実家の本棚の奥から引っ張り出してきました。当時僕が買った高校野球の本です。今から24年前の貴重な雑誌です。中を開くと若干、紙が黄ばんでいますが、本じたいは破れてもいませんし保存状態は良好です
中を開くと、懐かしい思い出の数々が僕の目に飛び込んできました
当時の高校野球界では「最強」と呼ばれていたPL学園が、「春夏連覇」を達成したのもこの1987年という年でした。桑田、清原の2学年下の世代ですが、“強いPL”の伝統は確かに引き継がれていました
下段の一番左が立浪(元中日)、一番右が野村(元横浜)、上段の一番右が片岡(元阪神)と、この年のPL学園は優勝して当然のスター選手揃いのチームでした
この第69回全国高等学校野球選手権は、後にプロで活躍した選手が非常に多い、レベルの高い大会でした
立浪、片岡、野村、橋本(元巨人)のPL学園勢をはじめ、浦和学院の鈴木健(元西武)、尽誠学園の伊良部(元ロッテ)、沖縄水産の上原(元中日)、常総学院の島田(元日本ハム)、仁志(元巨人)、函館有斗の盛田(元大洋)、帝京の芝草(元日本ハム)、明野の大道(元巨人)、佐賀工業の江口(元ダイエー)などそうそうたる選手がいました
そんな中、北の大地の大きな期待を背負って甲子園に乗り込んだのが帯広北高校でした。この雑誌でも高木さんの前評判はかなり高い評価でした
『高木なら全国でも通用する!』
それは十勝の、いえ道民の想いでした。もちろん僕にも『高木さんがいる限り、帯広北は負けない!』という強い自信がありました
そして迎えた帯広北にとって夢の舞台での最初の戦い、その相手は大分県代表の柳ヶ浦高校でした
僕はいつも以上の緊張感の中で、テレビの前に座りこの試合を観戦しました
試合開始から高木さんは、甲子園という大舞台でも期待通りの投球を披露し、相手打線を完全に抑え込みます
しかし打線が相手投手をなかなか攻略できず、「0対0」のまま終盤を迎えます。強烈な暑さの中、徐々に押し寄せる疲労に、遂に高木さんは力尽き、相手打線に2点を奪われます・・・
健闘むなしく、帯広北は「0対2」で敗れ高木さんの夏はこの日、終戦を迎えました。北の大地が生んだ大エース「高木清全」は、僕の中では今でも憧れの大投手であり、僕が今でも朝野球のマウンドで思い描くのは、甲子園という大舞台で爽やかに力投する彼の姿です
確かその後、高木さんは北海道の社会人チームで野球を続けたはずですが、プロの世界に飛び込むことはありませんでした。
そして僕はこの3年後に、憧れの高木さんがいた帯広北高校に入学することになりました
この1987年の甲子園初出場の2年後、1989年に帯広北は再び甲子園の土を踏みました。しかし初戦で香川県代表の尽誠学園に「0対10」で敗れ、それ以降の22年間、一度も甲子園に出場していません・・・
2度の出場で「1点」も入れることができていないのが、帯広北OBとしては非常に悔しいです。残念ながら僕は野球部OBではありませんが、きっといつか必ずこの“想い”を後輩たちが果たしてくれると、1人の卒業生として信じています
今日は夏の甲子園が徐々に近づくこの季節に、忘れられない夏の思い出を、ふと思い出した猫男爵でした
それでは今日はこのへんで。がんばろう、日本!
<今日の名字しりとり> 三ツ矢(みつや)さん→谷田部(やたべ)さん、「我が家」のメンバーの1人である「谷田部さん」のお名前ですが、「谷田部さん」は全国には7100人程いるそうです。
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