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2011年5月19日 (木)

七人のボクサー!

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です

皆さんは「ボクシング」に興味をお持ちですか?僕は実際に「ボクシング」をした経験はありませんが、小さい頃からテレビでボクシング中継を見ることは大好きで、今でも時間があれば欠かさず見ています

なぜそんなお話をするかと申しますと、実は今日5月19日「ボクシングの日」なんです。1952年に世界フライ級で白井義男が世界タイトルマッチに挑み、そして見事に勝利し、日本人で初めて世界王者になったことを記念して、日本ボクシング協会が制定した記念日です

現在日本のジムに所属する世界王者は6名います。そしてその6名を含め、過去に「世界王者」になったことのある日本のジムに所属した選手は66名います

1952年の白井義男以来、約60年間でこれほどの世界王者が誕生した裏には、日本ボクシング協会を中心とした関係者の、努力の積み重ねの結果が生んだものと言えるのではないでしょうか

おそらく「年代」によって自分の“ヒーロー”だったボクサーは違うと思います。少し年輩の方であればファイティング原田、40代や50代の方でれば輪島功一ガッツ石松具志堅用高、そして僕ら30代にとっては辰吉丈一郎というヒーローが存在していました

僕の中では辰吉はちょっと別格のヒーローなので、今日ここではあえて触れませんが、今日は「ボクシングの日」ということにちなんで、僕が心に残っているボクサー(世界王者限定)を7名選ばさせていただきました題して「七人のボクサー」です

七人のボクサー!

まずは僕が選んだ心に残る「七人のボクサー」のお名前を一気にご紹介しましょう

六車卓也(WBA世界バンタム級・防衛回数0)

レパード玉熊(WBA世界フライ級・防衛回数1)

鬼塚勝也(WBA世界スーパーフライ級・防衛回数5)

平仲明信(WBAスーパーライト級・防衛回数0)

薬師寺保栄(WBC世界バンタム級・防衛回数4)

畑山隆則(WBA世界スーパーフェザー級・防衛回数1、WBA世界ライト級・防衛回数2)

佐藤修(WBA世界スーパーバンタム級・防衛回数0)

いずれも素晴らしい「名ファイター」ばかりですが、今日はこの中から3名にスポットをあてて、僕の思い出と一緒にお話したいと思います

まず人目はレパード玉熊です

彼の姿をテレビ中継で見ていたのは僕が高校生の頃です。彼は左利きのフィイターで、僕の印象では手足が凄く長いボクサーで、非常に頭脳派のボクサーだった思い出があります。何が凄いというわけではないのですが、サウスポー独特のリズムから繰り出される左ストーレートが凄く僕の中で印象的なボクサーでした

以前僕のが日産の「レパード」という車に乗っていたこともあり、「レパード玉熊」というリングネームにも何か愛着がわいていたことを今でも憶えています

彼は青森県出身で、後に同じ同郷で世界王者になった畑山隆則がボクシングに興味をもつきっかけになったという存在でした

レパード玉熊はデビューから7年目、31戦目にしての「世界王者」という遅咲きの努力家でした

続いての人目のボクサーは鬼塚勝也です

彼も僕が10代後半の頃に活躍した選手で、その甘いルックスに女性ファンが多かった選手です

当時僕は辰吉に夢中でしたので、鬼塚にはさほど興味は無かったのですが、世界王者になってから5度に渡り防衛を繰り返すうちに、彼のボクシングにも興味を持つようになってきました。

タレントの片岡鶴太郎さんがセコンドを務めているとうことで話題にもなりましたが、世界タイトルマッチで勝利しベルトを獲得した試合では、微妙な判定での勝利に「疑惑の判定」と物議になったこともありました。その後も「鬼塚=微妙な判定勝ち」というものがついて廻ることになりました

ボクサーにしては珍しい「長髪」がトレードマークで、同世代の辰吉とピューマ渡久地と鬼塚の3人合わせて「平成の三羽烏」と称され、1990年代前半の日本ボクシング界を支えたボクサーです

僕が一番印象深いのが、鬼塚が現役最後の試合となった試合です。対戦相手は確か韓国の選手だったと思いますが、最後は鬼塚がボコボコに打ちのめされるのですが、鬼塚は絶対にダウンすることなくそのパンチを耐えていた姿を思い出します。

結局はレフュリーストップになったのですが、最後に見せた鬼塚の「男の意地」を僕は感じた試合でした。この敗戦が鬼塚のプロ25試合での戦いでの唯一の敗戦です。

実は鬼塚は「世界王者」になった頃から、既に右目が「網膜はく離」になっており、それを表明することにより「引退」しなければならなくなるので、それを隠して戦ってたという逸話があるほど、ボクシングに対する思いが人一倍熱く、貪欲な執念と強靭な精神力が武器のストイックなファイターが鬼塚勝也というボクサーでした

最後の人目は平仲明信です

彼も僕が高校生の頃に活躍していたボクサーで、トレードマークは“ヒゲ”でした。世界王者を数多く輩出している沖縄県出身の彼のボクシングは、見ていても凄い躍動感のある選手でした。

彼が他のボクサーと違ったのは、地元沖縄のボクシングジムに所属しながら世界王者になったという点です。交渉なども自ら外国語を交えて行ったということで、本当に意味での努力のファイターです

彼の試合で印象的なのが、挑戦者として挑んだ世界タイトルマッチです。この試合で彼は1ラウンドから猛烈なパンチを繰り出し、何と「1ラウンドKO勝ち」をおさめたのですあっという間の出来事に僕は喜ぶ暇がないほどの強烈な試合でした。

そのおかげで放送時間が余り、何度もVTRを流したり、その後には過去の名勝負などの映像が流れていた記憶があります

彼の姿は現在、ボクシングの試合の解説者として見ることができますが、彼の顔を見るたびにあの試合の怒涛のパンチの連打を思い出します

レパード玉熊、鬼塚勝也、平仲明信、今日は「ボクシングの日」ということで、この3人について僕の思い出を交えながらお話させていただきました

皆さんの中での心に残る思い出のボクサーは誰ですか?

それでは今日はこのへんで。がんばろう、日本!

<今日の名字しりとり> 名鏡(めいきょう)さん→歌屋敷(うたやしき)さん、何か歌の催しものが開催されていそうなお名前です。全国に「歌屋敷さん」は20名程いるそうです。

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