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2011年1月24日 (月)

スカイラインの父。

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です

先日、僕はニュースで訃報を耳にしました。亡くなった方の名前は桜井眞一郎さん、この方の名前を聞いてピンと来た人もいることでしょう

なぜなら彼は、大手自動車メーカー日産自動車が長きに渡り“看板商品”として販売している主要人気車種のひとつ、「スカイライン」の産みの親と呼ばれる存在の方だからです。人はそんな彼に敬意を示し「スカイラインの父」と呼んでいました

彼の81年間の生涯は「スカイライン」とともに生きた生涯でした。

1952年にプリンス自動車工業(後に日産自動車と合併)に入社し、「スカイライン」には初代から開発に携わり、2代目から6代目までは開発責任者を務めあげ、1984年に病気になるまでの32年間に渡り、「スカイライン」の開発・設計を担当しました

つまり、皆さんよくご存知の「ハコスカ」(3代目)、「ケンメリ」(4代目)、「ジャパン」(5代目)などの1970年代~1980年代の自動車産業を席巻した「スカイライン」たちは、みんな彼の手腕によるものだったのです

彼の開発に対する考えには「コンセプトストーリー」という設計思想がありました。その車を運転する人の思い、性格、年齢、職業等も事細かにシュミレーションされた上で、「スカイライン」は開発されていたのです

そんな彼のシュミレーションの中の1人というわけではないですが、僕のも昔「スカイライン」に乗っていた1人です。確か僕の父が乗っていたは、「ケンメリ」(4代目)、「ジャパン」(5代目)、「R30」(6代目)の3代に渡ってだったと思います。

父がそれらの「スカイライン」に乗っていたのは、まだ僕が産まれる前から幼少期の頃でしたので、僕はうっすらしか記憶がなくて、ほとんどは写真などで見たことしかありませんが、とってもカッコイイ車でした

今でも若者にとっては「スカイライン」は憧れというか、一度は乗ってみたい車のような存在ですから、当時20~30代だった僕の父にとっても「スカイライン」はそんなような存在だったのだと思います

名車としての礎を築いたとして、2005年に日本自動車殿堂入りを果たした桜井さんは、きっと今頃天国で「スカイライン」が日本の道路を爽快に走っている姿を、空の上から微笑みながら眺めていることでしょう

この「スカイライン」という名前の由来は「山並みと青空を区切る稜線」で、名付け親も何を隠そう桜井さん本人です

彼がこの名前を思いついた場所、群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」には、2007年に生産50周年を記念した「スカイライン命名の地」と書かれたプレートが設置されています

彼が世に送り出した「スカイライン」という貴重な産物が、これからも後世に引き継がれることを切に願うとともに、桜井さんの心からのご冥福を祈り、今日のブログを終わりたいと思います

今日も日本のあちらこちらでは、名車「スカイライン」のエンジン音が爽快に響いていることでしょう

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

<今日の連想ものとり> 鈴井貴之→水曜どうでしょう(「鈴井貴之」さんと言えば、やっぱり北海道人ならみんなが知っている「水曜どうでしょう」ですよね。今では全国にその知名度が広まっています。)

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