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2010年2月12日 (金)

冬に咲いた花たち④~重圧に勝利した男~

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です

いよいよ明日、4年に1度の冬のスポーツの祭典バンクーバー五輪が開幕します!今週はその開幕直前強化週間ということで、シリーズ企画「冬に咲いた花たち」をお送りしてきましたが、今日はその最終回をお送りしたいと思います

僕はこの企画を通じて、過去の冬季五輪での思い出のシーンを思い出しながら、徐々に気持ちを高めていったわけですが、皆さんも既に気分はカナダのバンクーバーに行っていますか?

ぜひこの17日間は“オリンピック”でおおいに楽しんで欲しいと僕は思います。なんせ、五輪は4年に1度しか来ませんからね4年に1度訪れるはずの「油谷さん」はもう見れませんので、この五輪でその分も楽しみましょう

さて、皆さんもきっと「冬季五輪の名シーン」といえばこのシーンを思い出すはずです。今から12年前の1998年に日本で開催された長野五輪のスキージャンプ団体です今日はそのスキージャンプ団体で、見事に金メダルを獲得したひとりの男について、僕の思い出とともにご紹介していきたいと思います

早いもので、あれから12年という歳月が経ったんですね・・・長野五輪での感動、あの瞬間を僕はいまだに忘れることができません。雪が舞う長野・白馬ジャンプ台で、日本のエース船木和喜が見事にK点超えのジャンプを決めて、テレマークを決めた瞬間に日本にもたらされた悲願の金メダルの瞬間を!

表彰式で金メダルを首に下げた4人の日本人の中に、ひときわ感極まっていた1人の男の姿がありました。彼の名は原田雅彦、日本が誇るジャンプ界の第1人者です

日本のジャンプ陣には必ず「日の丸飛行隊」という代名詞が付けられます。これは1972年に札幌で開催された冬季五輪で、日本人3人が表彰台を独占したことから名付けられたものなのですが、その頃のように日本人が世界を席巻することを望むその気持ちが「日の丸飛行隊」という呼称となっているのも事実です

そしてその責務を長きに渡り背負ってきたのが原田です。原田は1992年のアルベールビルから2006年のトリノまで5度五輪に出場しています。

そして僕の記憶の中で一番忘れられない思い出が、原田が2度目の出場を果たした1994年のリレハンメル五輪です。

当時の団体のメンバーは、原田の他に西方仁也岡部孝信葛西紀明というメンバー構成でした。日本は1人2回飛ぶジャンプ団体競技で、2回目の3人目を終えてトップでした。2位につけるドイツとの差を考えれば、最後の1人が普通に飛べさえすれば、確実に金メダルを手にすることができる状態でした

その最後の1人が日本の大エースである原田でした。現地にいる選手やコーチ、テレビの前で応援している日本人、誰しもが99%金メダルを確信していました。もちろん僕もその1人でした。

そして原田がいよいよ運命のジャンプのスタートを切りました次の瞬間、思いもよらぬことが起きたのです

何と原田は、原田本来のいつものジャンプとは比べものにならない踏み切りの低さで、途中で急激に失速し、97.5mという失敗ジャンプに終わってしまったのです・・・

『えっ?嘘だろ?』僕は思わず絶句してしまいました。アナウンサーの『原田、落ちた・・・』という実況が今でも耳にこだましています・・・

このことで原田は強烈なバッシングを受けることになってしまいます。それ以降「プレッシャーに弱い男」という汚名を付けられたりもしました

でもそんな原田を僕は攻めるつもりなどなく、僕は『きっとこの辛い経験を原田は4年後に活かしてくれる。そこで改めて結果を出せばいいじゃないか!』と心の中で思いました

そんな中で4年後の長野五輪を迎えたのですが、当時の原田はあの悪夢を忘れさせるぐらいの活躍をぶりをW杯や世界選手権で見せ、エースと言われた船木とともに世界ランクのトップを争っていました

『今回は間違いなく団体は金メダルだ!』日本中がそう期待を寄せる中、激しい吹雪の中で戦いはいよいよ始まりました

岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜という順番で挑む今回の団体戦、1回目を終えたところで日本は位でした。原田は4年前の悪夢を思い出せるかのような失速ジャンプで、80mにも達しませんでした・・・

日本中が思わず『またか原田・・・』とこぼしたくなるほどの痛々しいジャンプでした。僕もこの時ばかりは、言葉が見つかりませんでした・・・

そして降りしきる雪の中、運命の2本目がスタートしました。岡部、斉藤が順調に距離を稼ぎ、日本はトップ争いを演じていました。そして3人目原田の出番がやってきました。『頼む原田、頼むから失敗だけはしないでくれ・・・』僕は祈る気持ちでした

原田の脳裏に4年前の事がよぎらなかったかといえば、それは嘘になると思います。重い重圧に耐えた4年間、あの時の悔しさを一番感じているのは原田本人なんですから

しかし、原田の中に“失敗”という言葉はありませんでした。『両足を骨折してもいい!』との覚悟で踏み切ったジャンプは、原田らしい高い踏み切りでした『高くて、高くて!』アナウンサーが絶叫する中、原田は137mという奇跡の大ジャンプを見せてくれたのです僕はテレビの前で拍手するのと一緒に、思わず涙が出てきちゃいました。今思い出しても、感動してしまいます

そしてジャンプを終えた原田は、日本最後のジャンパーである船木の出番を待ちます。『ふなき~ふなき~』と泣きながら叫ぶあのシーンは皆さんもよくご存知だとは思います。4年前に自分が経験したシーンと、船木が飛ぶシーンがダブったのかもしれません。普通に飛ぶことがどれだけ大変なことなのか、それを一番知っているのは原田自身だったからです。

原田のそして日本中の思いが募った船木のジャンプは見事に成功し、日本は遂に団体で金メダルを獲得したのです船木のもとにかけよる原田、岡部、斉藤の姿を僕は一生忘れることはないでしょう

その豪快なジャンプスタイルとは裏腹に、内面はとても繊細で真面目な性格で、言い訳や不平不満は絶対に言わず、悩みも自分で抱え込んでしまうのが原田雅彦という男です。彼のあの笑顔がそれを全て物語っています

リレハンメルで抱えてしまった重い重圧を彼は4年間耐え続け、そして長野という最高の舞台でその重圧に勝ったのです。長野の地に咲いたひとつの花は、重圧に勝利した男のジャンプに対する情熱だったのではないでしょうか・・・

実はこの長野五輪団体で原田が2本目に飛んだ137mという大ジャンプは、12年経った今でも白馬ジャンプ競技場のバッケンレコードとして記録に残っているそうです

長野以降、長い低迷が続いている「日の丸飛行隊」ですが、バンクーバーの地で復活の大ジャンプを見せてくれることを僕は信じています。12年前に僕が経験したあの感動をまた味わいたいと・・・

さて、4日に渡り「バンクーバー五輪直前」の企画をお送りしてきましたがいかがでしたか?皆さんの心の中にもきっと思い出に残る五輪の名シーンがあると思いますが、そんな人々の心にいつまでも残るような名シーンが今回の五輪でもたくさん生まれることを祈り、僕の“魂”はこれからバンクーバーの地へと飛び立ってきます

頑張れ!ニッポン!目指せ金メダル!

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

<今日の連想ものとり> サイドカー→チキチキマシーン(チキチキマシーンに確かサイドカーっぽい参加者がいたと思うのですが、もしかしたら気のせいかな・・・間違いだったらゴメンなさい。でも、チキチキマシーンは大好きなアニメで、小さい頃うよく見ていました。今、再放送して欲しいなぁ~)

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