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2009年10月17日 (土)

ブンブン丸がバットを置いた日・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です

7年前の今日2002年10月17日、僕が憧れていたプロ野球選手の一人が静かにバットを置き、ユニホームを脱ぎました・・・

その選手は、とにかくどんな球に対してもフルスイングをするバッターで、決して中途半端なスイングというものはしませんでした。そんなところが多くの野球ファン魅了していました

その選手は僕の中ではプロ野球史上でNO・1のショートストップ(遊撃手)です。「三振かホームランか」そんな豪快なバッティングスタイルから、野球ファンは彼の事を「ブンブン丸」と呼んでいましたそう、彼の名前は池山隆寛です

彼はヤクルトスワローズに1983年のドラフト会議で2位指名を受け入団します。高校生の頃から「10年に1人の逸材」と言われ期待されていた大型内野手で、入団後も徐々に頭角を出してきました

僕は大の巨人ファンなので、基本的には他チームの選手はあまり応援はしません。しかし彼だけは例外でした。巨人VSヤクルト戦で彼がバッターボックスに立つと、なぜか巨人の投手を応援せずに、彼を応援してしまうことが度々ありました

彼がレギュラーをつかみ活躍し始めたのは、入団から5年目の1988年頃からです。この年から彼は5年連続で30本塁打以上を記録し、実力も人気も兼ねそろえたスーパースターに上りつめたのです

この頃僕はちょうど中学生になり、野球部で汗を流す日々を送っていましたが、僕も彼と同じショートを守っていたので、いつも僕の目標は彼でした。テレビで彼のプレーを見ながら、その動きをよく真似したものです

真似をしていると、顧問の先生に『ふざけるな!それは池山の真似か?中学生がプロの真似したってダメだ!』と怒鳴られた思い出があります

でも、そんな事ぐらいでは僕はくじけません。先生の目を盗んでは、僕は彼のプレースタイルを真似しながら練習していました。僕は練習は大嫌いなので、楽しく野球をしないと気がすまなかったので

そんな僕が主将を務めていた野球部では、先生が練習に来ない日は“モノマネ紅白試合”というのが行われました。僕が先頭に立ってこの企画を計画し、必ずバッターやピッチャーはプロ野球選手のモノマネをしながらプレーしないといけないのです。この紅白試合は下級生たちも楽しみにしていた練習で、先輩後輩関係なくいつも大爆笑していた事を思い出します

話がだいぶ横道に反れちゃいましたが、ブンブン丸と言われていた彼は、そのホームランのほとんどがバックスクリーンに飛び込むので「ミスターバックスクリーン」と呼ばれた事もありました

野球に詳しい人であればよくご存知だとは思いますが、バッティングの基本はセンター返し、つまり投げたピッチャーに向かって打ち返すのが一番良い打ち方なんです。その延長線上がバックスクリーンですから、いかに彼のバッティングスタイルが基本に忠実な打ち方だったかという事が分かります

入団9年目の1992年には背番号を「36」から「1」に変更し、ヤクルトの名選手である若松勉の栄光ある背番号を継ぎ、名実ともに「ミスタースワローズ」と呼ばれるようになったのです

1980年代後半~1990年代は、まさに彼の全盛期でもあり、それと同時にヤクルトも弱小チームから常に優勝争いをするチームに変貌をとげていったのです

そんな彼も1990年代後半になるとアキレス腱痛というケガに悩まされ、と同時に若手の台頭によりレギュラーのポジションを奪われ、ベンチを温める機会が増えてきました

しかし彼はベンチの最前列に陣取り、メガホン片手に大きな声でチームを鼓舞し、士気を高め続けたのです「グランドにいるのは9人だけど、野球は9人でするものではない。ベンチにいる全員が9人と一緒に戦っているんだそんな彼の野球やチームに対する姿勢が僕は大好きでした

時折、テレビ中継で彼がベンチで大声をあげているそんな姿を見ると、僕は思わず泣きそうになった事を思い出します。一度スター選手になり、華やかな脚光を浴びた選手が控えにまわり出る機会も少なくなったら、他チームへの移籍を希望したり、情熱を失いモチベーションが落ちたりするものです。でも彼はチームのために裏方にまわり、若手の精神的な支柱の役をかって出たのです。なかなか真似のできる事ではありません。そんな彼の人間性が僕は大好きなんです

そんな彼の最後の勇姿が、2002年10月17日の神宮球場にありました。試合前に「今の自分のありのままの姿をファンに見せたい」と語り、彼は全盛期と同じ3番ショートで出場しました。

そんな彼に神様が最高の舞台を用意してくれました。広島カープとの試合は、もつれにもつれて延長戦に突入し、延長10回裏1対2と1点リードを許したヤクルトは2死2塁というチャンスを迎えました

ホームランが出れば一発逆転サヨナラという場面で、打順が巡ってきたのは何と池山だったのです。どんな気持ちで彼は打席に立ったのでしょう。僕の目には彼の目にうっすら涙がにじんでいるように見えました・・・

結果は相手投手が投じた150kmの直球を、フルスイングしての空振り三振で試合終了でした。彼らしい最後のフルスイングでした。僕はこの試合をニュースで見ていましたが、もう涙が止まりませんでした。ただただ『お疲れさま池山!』と声を震わしたことを憶えています

彼は引退会見で『調子の良い時の自分の打席のビデオを手本に頑張ってきたが、その姿がかつての自分ではなく、全く違う誰かに見えるようになった。』と引退の理由を語りました。明るくひょうきんな性格の裏で、努力を惜しまなかった彼の真摯な野球に対する姿勢が、この言葉に凝縮されているように僕には聞こえました

通算成績、打率.262、304本塁打、898打点、1440三振、ベストナイン5回、オールスター出場7回。輝かしい実績以上に、野球ファンの記憶に燦々と輝く彼のプレーは、日本プロ野球界を代表するスター選手です

現在、彼は恩師である野村監督の元で楽天イーグルスの打撃コーチを務めています。彼の元で、第2のブンブン丸が誕生する事を僕は楽しみに待ちわびています

2002年10月17日、ブンブン丸がバットを置いた日・・・それは、そんな彼の背中を追い続けた僕も、同時に野球に対する情熱が冷めかけてプレースタイルを見失った日でもありました

しかし僕の心の中では、足を高く上げバットを思いっきり振り回す「ブンブン丸」の姿がいつまでも強く生きています

元ヤクルトスワローズ遊撃手、池山隆寛。僕が崇拝する最高の野球選手です

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

<今日のMIP> 飯島直子(最近、新しいCMを良くみかけますが、年齢を重ねたのにまた一段とキレイになったような気がします

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