« 旅も終盤戦! | トップページ | ま、ま、まさかの・・・ »

2008年3月31日 (月)

39歳の幕引き・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です

さて今日で3月も終わり、明日からは4月、そして新しい年度がスタートしますね年度と年度の切り替わりって、何だか新鮮な気持ちになりますよね

そんな節目の時期に、日本を代表するプロ野球選手がまた一人、ユニホームを脱ぐ決断をしました。“エース”という称号が誰よりも似合い、彼の背中にはいつも「18」という数字が光輝いていました。彼の名前は桑田真澄、僕が最も尊敬する投手です

彼は16歳にして既に、日本国民の注目を集めるスーパースターでした。1983年、当時の高校野球界に突然現れた二人のスーパー1年生コンビ、いわゆる「KKコンビ」の一人が何を隠そう桑田真澄です。(無論、もう一人の「K」は清原和博です。)

小さな頃から大の高校野球ファンの僕が彼を初めて見たのも、その1983年の夏の大会です。背番号「11」を背負い名門PL学園のマウンドを守っている彼の姿には、16歳にして既にオーラがありました

清原に比べれば決して体格は恵まれてはいませんが、抜群の制球術と度胸の良さには超高校級という言葉がぴったりでした打撃の方では清原がどうしても目立っていましたが、実は桑田も甲子園の本塁打記録では清原に次ぐ歴代2位の6本塁打という記録を残しているんですよ桑田にとってのPL学園での高校3年間はまさに“光”の世界そのものでした。

しかしその数ヵ月後、彼の人生は180度変わり、“光”から“影”への世界へと移り変わってしまいます・・・

1985年秋のドラフト会議、桑田は既に早稲田大学進学を希望しておりプロ入りは拒否していました。プロの各球団はやむを得ず桑田獲得を断念していました。そして、球界の盟主である巨人は清原指名を予定しており、清原も小さな頃からの憧れである巨人入団を強く希望していました。「巨人と清原は相思相愛」誰しもがそう思い込んでおり、全てはクジの運命に託されることになるはずでした・・・

しかし、巨人が指名したのは何と清原ではなく、プロ入り拒否を表明していた桑田だったのです僕もこの時の事は今でも鮮明に憶えています。『何で?何で清原でなくて桑田なの・・・』

清原の目には大粒の涙、そして1位指名に関わらず姿を出すことができない桑田・・・この瞬間に「KKコンビ」と言われ、数々の栄光に包まれた二人の間に大きな障壁ができてしまいました・・・

桑田は大学進学を辞め巨人に入団清原は西武に入団、お互い違うリーグに所属し、対決するのは日本シリーズやオールスターに限られましたが、対戦するたびに清原がその無念を晴らすかのごとく活躍を見せました

桑田に非はありません。実際、巨人と密約があったのかどうかはわかりません・・・でももし僕が桑田と同様の立場に立たされたとしても、同じ道を選択すると思います巨人のユニホームを着れるチャンスが目の前にあるんですから。

その後の桑田は巨人の「18」番を背負い、球界のエースとして大活躍を見せました僕は彼のプレースタイルや生き方が大好きです。彼を尊敬し、弟子入りを希望する若手もあとを絶ちませんでした。それが彼の人間性を全て物語っています

彼は基本的には多くを語る人物ではありませんが、野球に対する情熱というのものは人一倍強いものがあります「野球」という一つのスポーツに真摯に取り組む姿勢、それはコーチが指導するよりも「桑田を見て勉強しろ」と言われるほど、教本になるものがあるといわれています。

僕も今年で34歳になるわけですが、恥ずかしながら朝野球で投手をさせてもらっています。その僕も実際、お手本にして目標としているのが彼、桑田真澄なんです数年前の調査で高校球児やリトルリーグに所属する子供を対象に行ったアンケート結果では、「憧れとする投手」では松坂や上原に大差をつけて桑田が第1位に選ばれたそうです

そんな桑田も1995年にケガをして約2シーズンを棒に振ったのち、一度はカムバックしましたが、年齢を重ねるにつれ思うような成績が出せず、2006年オフに巨人を自由契約になり、大リーグで最後の挑戦に挑むことになりました

アメリカに渡ってもケガなどの影響もあり、2007年シーズンは0勝1敗という不本意な成績で終わり、そして今年2008年のシーズン開幕を目指しましたが、開幕直前にメジャー枠に入ることができず、ここで「引退」という大きな決断をしました

この決断には大きな勇気が必要だったと思います。大好きな野球を辞めるわけですから、どんだけ辛かったことか・・・でも、彼らしいさっぱりとした終わり方だったのかもしれません

先日まで彼はパイレーツという球団に所属していたんですが、最後の試合で彼は出場を予定していました。しかしもうメジャーに残れないことが決定していた彼は、『僕を使うよりも若い選手にチャンスの機会を与えてください。』そう言い、マウンドを譲ったそうです。それが彼なんです、それが桑田真澄なんです

野球を心から愛し、そして全ての情熱を野球に注ぎ込み、多くの「光と影」を見てきた男は今、静かにマウンドにボール置いて、ユニホームを脱ぎます今、確実に一つの時代が終焉を迎えました。「KKコンビ」のひとつの「K」が今消えます・・・

もうひとつの「K」である清原が桑田の引退の知らせを聞き、こう言ってました。『桑田、お前最高にカッコ良かったぞ、心の中のエースはお前や。』

実はドラフト騒動以降、不仲と言われていた二人の絆は何一つ壊れることなく、ずっと続いていたのです。お互いに苦しい時には相談したり、励まし合ったり、時には叱咤する。そんな関係が彼らをここまで長く野球選手として活躍させてきた要因なのでしょう

桑田は引退会見で、『悔いはありません。小さい頃から野球にいっぱい幸せをもらい、いい思いをさせてもらいましたから。今はちょっとゆっくりしたいです。』そう少しはにかみながら話す彼の目に涙はありませんでした

彼は若い頃、『40歳くらいまで野球ができれば最高に幸せですね。』そう口にしていたことがあります。その彼は明日4月1日でちょうど40歳を迎えます。これも何かの運命なのでしょうか・・・

いずれにしても野球に全てをささげ、そして燃え尽きた39歳の幕引きは、充実感で満ち溢れている表情でした

桑田真澄、39歳、記憶に残る名投手は、僕に数多くの「思い出」と「教え」を残し、静かにマウンドを降ります・・・

サヨナラ、僕の中の栄光の「18」番・・・

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

<今日の誕生日:3月31日> 大島渚(76歳)、毒蝮三太夫(72歳)、舘ひろし(58歳)、鶴久政治(44歳)、小川直也(40歳)、宮迫博之(38歳)、筒井道隆(37歳)、ホルスタイン・モリ夫(35歳)、上原さくら(31歳)、眞鍋かをり(27歳)

|

« 旅も終盤戦! | トップページ | ま、ま、まさかの・・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 39歳の幕引き・・・:

« 旅も終盤戦! | トップページ | ま、ま、まさかの・・・ »