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2008年2月 8日 (金)

悲劇のヒーロー・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

2月も間もなく半ばに差し掛かり、春の音が少しずつ近づく今日この頃ですが、冬の醍醐味“ウィンタースポーツ”も今が真っ盛りかと思います。

ウィンタースポーツと言えば、アイスホッケー、スキー、スノーボード、フィギュアスケートなど他にも多数ありますが、忘れてはいけないのが僕の住んでいる十勝でも盛んなスピードスケートです。

僕も小さい頃の冬の体育の授業と言えば、スケートかアイスホッケーがほとんどでした。ここ十勝からも多くの五輪出場選手を輩出してます。有名なところでは長野五輪金メダリスト清水宏保選手が十勝出身です。

そして、「スピードスケート」と「五輪」という言葉をかけ合わせた時に、どうしても忘れらない選手が僕にはいます。その選手の名前はダン・ジャンセンというアメリカ人なんですが、皆さんはご存知ですか?

彼は、1984年のサラエボ、1988年のカルガリー、1992年のアルベールビル、1994年のリレハンメルと、4度も五輪に出場している選手なんです。一見、それだけを考えれば華やかなスター選手とお思いでしょうが、実は彼は「悲劇のヒーロー」と呼ばれたスケーターだったのです。

なぜ彼がそう呼ばれたのか?それをこれからお話したいと思います。

彼が初めて五輪に出場したのは1984年のサラエボ五輪です。当時、彼は18歳の新鋭でアメリカのホープとして期待されていました。しかし、結果は500mは僅か0.016秒差で惜しくも4位になりメダルには手が届かず、1000mでは16位という惨敗に終わったのです。

そして迎えた4年後の1988年カルガリー五輪、当時のジャンセンは既に世界一のスケーターの位置にまで登りつめており、優勝候補NO・1に挙げられていました。僕もこの時の五輪をリアルタイムで見ていました。当時の日本代表には黒岩彰という絶対的エースがおり、僕も黒岩が金メダルを取る瞬間を楽しみに応援していました。(黒岩は結果は銅メダルでした)

運命の500m決勝スタートの朝、ジャンセンのもとに信じられない知らせが入ったのです・・・その知らせとは「27歳になる彼の姉ジェーンが白血病で危篤」という残酷な知らせでした・・・

彼は電話で姉と話をしました。でも、姉はただ聞くだけで言葉を出す力はありませんでした・・・そして、それが姉との最後の電話でした・・・

彼は冷静さを取り戻し、レースに集中しようと必死でした。心の中では姉の無事を祈り・・・しかしその祈りも届かずお姉さんは彼がスタートする直前にこの世を去りました・・・

そしてジャンセンのスタートの時が来ました。ピストルの音に合わせて彼はスタートしました。しかし、第1コーナーで彼はバランスを崩しまさかの転倒・・・彼は今まで出場したレースで転倒したことはただの一度も無かったのです。レース直前にそんな状態になれば、当然と言えば当然の結果なのかもしれません。いつもと同じように滑れというのが無理な話です・・・

そして4日後の1000mでも彼は転倒してしまいます。しかも今度は、普通では転倒など考えられない直線でした・・・この五輪で彼はメダルどころか記録を残す事すらできなかったのです。彼は「悲劇のヒーロー」と呼ばれ母国に帰国しました。

また4年の月日が経ちました。彼は26歳になっていました。人気も実力もまさに最高の時でした。当時の世界記録を何度も塗り替え、このアルベール五輪の金メダルは間違いなし!と誰もがそう確信していました。

500mのレースが始まり、彼は4年前の悪夢を払拭するかのごとく見事な滑りを見せていました。最後のコーナーを曲がれば金メダルはもう目の前にありました。しかし・・・最終コーナーでバランスを崩し、まさかの4位・・・1000mにいたっては全く本来の力が出せず26位・・・彼は4年前と同じように、心痛のまま五輪を終えました・・・

1994年、彼はリレハンメルの地に立っていました。彼にとって4度目の、そして最後の五輪です。僕も1988年のカルガリー五輪以降、彼の事が気になっていて、本来なら日本人を応援するところですが、どうしても彼には金メダルをとって欲しいという気持ちでいっぱいになりTVの前で観戦していました。

28歳になった彼は、再度優勝候補筆頭に挙げられました。しかし、500mではまたしてもバランスを崩し8位に終わりました。『どうして・・・他の大会ではいつも断トツで優勝する彼がどうして五輪になると、結果が出せないのだろう・・・』僕の中でもうダメだ・・・彼の五輪は終わった・・・という諦めの念が溢れてきました。

しかしジャンセンはそれでも諦めていませんでした。最後の五輪、そして最後の競技である1000m、これに全てをかけてました。

レースが始まり、彼は前半から世界記録を上回る超ハイペースで滑り、観客の注目は彼の金メダル獲得に集まりました。残り半分を過ぎ、そして残り200m、しかし彼はまたしてもバランスを崩しました!一瞬、場内の空気が氷つきました・・・僕も心臓が止まりそうでした!・・・しかし、彼は体勢を立て直しそのままゴールをきりました!

彼が見上げた電光掲示板に映っていたのは、「世界記録」という文字でした!彼は手で顔を覆いました・・・思わず抑えていた感情が溢れ出しました。僕もそれを見ながら思わずが止まりませんでした(泣)

10年の歳月を経て、彼の胸には世界で一番重みのある金ダメルが光り輝きました。それは「悲劇のヒーロー」が最後の最後で「本当のヒーロー」になった瞬間でした!

そして、彼は首に金メダルをかけながら一人の女の子を抱きかかえていました。その女の子は生まれて8ヶ月の彼の愛娘でした。その娘の名前は「ジェーン」・・・

そうです、それは6年前にレースの直前で亡くなった彼のお姉さんと同じ「ジェーン」という名前だったのです・・・(泣)

ダン・ジャンセン、「悲劇のヒーロー」と呼ばれた男は、実は笑顔が一番似合う「世界一光り輝くスケーター」だったのではないでしょうか・・・

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

<今日の誕生日:2月8日> 山本寛斎(64歳)、三遊亭楽太郎(58歳)、アンガールズ・田中(32歳)、松下奈緒(23歳)

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