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2008年1月14日 (月)

15年前の恐怖・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

今日は“成人の日”でしたね。

“成人式”は僕にとってはもう13年も前の事で、すでに昔話になりかけてきてます(笑)

しかし、一生に一度しか経験することのできない成人式ですから、今でも懐かしく「思い出」として心に残ってます。幼なじみたちと、式典のあとに飲んだくれた事も、カラオケで朝まで歌い続けた事も。でも、今の一部の若者たちの暴挙のような事はなく、大人としてのマナーを守った宴でしたけどね。

今は、法律の改正で成人の日が第2月曜日になってしまいましたが、以前は1月15日成人の日でした。

そんな“成人の日”の中で僕が一番忘れられない日が、今から15年前1993年1月15日です。

僕は当時高校3年生で、札幌の大学に推薦で合格が決まっており、高校最後の冬休みを過ごしている最中でした。

その頃、僕のは肺炎にかかり入院中でした。今まで、風邪以外に病気などかかったことのない父が初めて家を空けるという事で、『僕が家をしっかりと守っていかなければ』と思った事を憶えています。6つ上のは帯広で独り暮らしをしていたので、その頃はの二人暮らしでした。

そして、運命の1月15日。その日、母は用事で家を留守にしましたが、仕事が休みだった姉がたまたま家に戻ってきてました。

僕は久しぶりに姉が作った手料理を食べてご満悦でした。そして二人でテレビを見ながら楽しい時間を過ごしていました。

そして、戦慄の恐怖はもの凄い轟音とともに訪れてきたのです!

1993年1月15日午後8時06分07秒・・・

地響きとともに激しい横揺れが!今まで体験したことのない地震が襲ってきたのです!

僕は揺れる中を四つん這いになりながらも必死に家の中から外へ逃げようと玄関へ向かいました!

普通の小さい地震であれば、おさまるまで逃げる事などしないのですが、あの時の地震だけは桁外れの揺れでした。

僕は玄関にたどり着き、ドアを開けました。するとそこには絶句するような光景が・・・

家の前に停めてあった姉のが地面とともに激しく横に揺れているのです!電柱や街灯も倒れそうなくらいに揺れ動き、しかも地震の揺れはなかなか終わりを迎えないのです・・・

その時、僕は姉が近くにいない事に気がつきました!

『姉ちゃん!大丈夫!』僕は一目散に家の中に戻り、姉の所にかけよりました。

姉はあまりの衝撃に腰を抜かして、声も発せないほど怖がっていました。僕はすぐに姉を抱え外へ逃げました。

時間にすると1分くらいのことなんでしょうが、僕にはその時間が5分にも10分にも感じられました。

しばらく姉は涙しながら、その恐怖に脅えて僕の腕を離そうとしませんでした。

僕は姉に『大丈夫だよ、もうおさまったから。』と言葉をかけるのが精一杯でした。僕も正直、動揺していたのも確かでした。

家の中は棚や茶だんすから落ちたもので散乱しており、片付けるのに一苦労したことを思い出します。

この地震は釧路沖地震と名付けられました。震源地は釧路市南方沖15kmの太平洋でマグニチュードは7.5。釧路の震度は6を観測、帯広も震度5でした。残念なことに死者2名、負傷者966名を出した震災でした・・・

道路が陥没しマンホールが浮き上がる液状化現象や、斜面が崩れ国道が崩落した他、落橋、水道管破損による床下浸水、家屋の倒壊など、復旧には半年を要したとも言われています。

そして都市防災の被災軽減として、2年後に神戸で起きた阪神・淡路大震災の神戸市の復旧のモデルケースにもなったのが、この震災でした。

とにもかくにも、僕が生きてきた人生の中で一番恐怖を、そして死を覚悟した地震がこの釧路沖地震でした。

みなさんの中にもこの地震を実際に体験した方もいると思いますが、本当に怖かったですよね・・・思い出しただけでも身震いしてきましたが、自然災害だけはいつ襲ってくるかわかりません・・・特にこの“地震”というやつだけは、気をつけようにも気をつける術がありません。

防災グッズを常備するとか、迅速に非難することしか、策はありません。今後、大きな災害につながる大地震が起きないことを強く願わずにはいられません。

今日は今から15年前に起きた恐怖体験をお話させていただきました。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

き キャプラー(2005年にプロ野球読売ジャイアンツに所属した助っ人外人。現役メジャーリーガーの実績を引き下げ入団したが、活躍できずにシーズン途中に退団した。)

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コメント

その地震はこの世の終わりを感じました。だけど僕よりばあちゃんの方があせってたのを覚えています。数年前にもありませんでしたっけ?僕はまだ帯広にいたときですが会社の同僚と幕別の旅館の6階にいました。僕はどうやら寝てて地震が終わりかけの時に起きました。起きたら同僚はいませんでした!ドアのほうから僕の名前を呼んでいて出ていったらなんとオートロックで閉まってしまいました。フロントまでパンツのまま鍵を借りに行った覚えがあります。僕の今住んでる所は津波で港が大変なことになっていました。あの地震で起きないなんてどんだけー!

投稿: 氷屋 | 2008年1月14日 (月) 21時14分

氷屋さん
数年前の地震もかなりヤバイ地震でしたよね!
でもあの地震で起きない氷屋さんは地震以上に“大物”ですよ(笑)
でも、6階とかにいるのってリアルに怖いですね・・・そりゃ~テンぱってオートロックなんて忘れて部屋出ちゃいますよ。お風呂とかなら、もっとヤバイっすよね!マックスで!
氷屋さんのところは津波で大変なことになるので地震だけは起きないように祈ってますよ。

投稿: 猫男爵 | 2008年1月14日 (月) 21時37分

私も、釧路沖地震は忘れられません・・
うちの母も、埼玉の実家に帰省して留守にしていたので、父と妹と私の3人だったのですが、あの時は本当に立っていることも出来ず、どうしようもないまままだ小学生だった妹が号泣しているのをなだめていた気がします。母の大切にしていたカップや、ガラスのケースが壊れたり、我が家も結構な被害があり、絶対に知り合いの誰か死んでる・・・くらい思って、翌日部活に行くのが怖かったのを思い出します。 ま、みんな無事でしたが(笑)
それからは、もうすっかり地震嫌いになりました。天災は、防ぎようありませんが、出来れば起きないでほしいですね。

投稿: Hこ妻 | 2008年1月15日 (火) 12時10分

Hこ妻さん
こんばんわ。
あの地震を経験した誰しもがきっと恐怖を感じたんでしょうね・・・
でも、どんなに大きな地震が来て、家の中の家財道具が壊れたとしても、あの恐怖の中で壊れないものが一つだけあります!
それは“家族の絆”です。僕が姉を守ったように、Hこ妻さんは妹さんをしっかりと守ったんですね。
できれば天災など無いほうがいいですが、そんな時こそ“家族”って本当に大事ですよね。
何かまた僕、カッコイイこと言っちゃった感がありますか?(笑)
でも、あの時僕はその事を本当に心から痛感しました。
地震のない平和な未来を僕も祈ってます☆

投稿: 猫男爵 | 2008年1月15日 (火) 17時50分

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