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2007年10月19日 (金)

川崎球場が熱く燃えた1日・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

今から19年前の1988年10月19日、この日が日本プロ野球の歴史上で伝説の1日になることを一体どれだけの人が予測していたことでしょう・・・いわゆる「10.19」野球ファンにとっては忘れる事のできぬ、熱く、そして長い1日です・・・

この年のプロ野球パ・リーグは序盤から西武が独走し、終盤になり近鉄が執念の粘りで追いつくという、2チームによるマッチレースが繰り広げられていました。

当時の僕は中学2年生でした。ちょうどこの年に秋にはソウル五輪が開催され、鈴木大地の金メダルや、ベン・ジョンソンVSカール・ルイスの100m対決など、日本中が五輪で盛り上がっていました。しかし、その影で僕はこの西武と近鉄の優勝争いを固唾を呑んで見守っていたことを憶えています。

当時の西武と言えば、いわゆる黄金期を迎えており、打者では清原、秋山の中軸に加え、辻、石毛、伊東などの脇役が、投手陣も工藤、渡辺久信などのスターが勢ぞろいしてました。これに対し近鉄はどちらかと言えば地味なチームでしたが、いまは亡き名将仰木監督のもとにチーム一丸となって「打倒西武!」を合言葉に優勝を目指してました。

そして迎えた10月19日、すでに西武は全日程を消化しており、近鉄が優勝するための条件は今日組まれたダブルヘッダー(1日に2試合をこなすこと)を2連勝することだけでした。2連勝すれば優勝、できなければ西武が優勝というまさに崖っぷちの戦いでした。

場所は神奈川県川崎市にある川崎球場、相手はここを本拠地とするロッテでした。すでにロッテはこの年の最下位が確定しており、モチベーションは下降気味でした。しかし、スポーツ選手である以上、全力で勝負するというのがスポーツマンであるし、当然目の前で相手チームが優勝して胴上げする姿など見たくないのが選手の心情です。当然、ロッテの選手も必死に試合に挑みました。

こうして始まったダブルヘッダーの第1試合。試合は3対3のまま9回を迎えました。当時のパ・リーグのルールでは「ダブルヘッダーの第1試合は延長戦はなし」というルールでした。つまり、この9回表に近鉄が得点を入れなければ、近鉄の勝ちはなくなり、同時に優勝も消滅するということです。

僕はちょうどこの寸前に学校から帰宅し、ラジオ放送を聞くために一目散にラジカセの周波数を合わせたことを今でも鮮明に憶えています。

9回表、近鉄はランナーを置き、代打の梨田(来年から日本ハムの監督になります)が登場しました。この年で引退することを決めていた梨田はここで見事にヒットを放ち、奇跡の勝ち越し打となりました。選手はみんな抱き合って喜びを爆発させ、中には涙を浮かべる選手もいました。僕も、近鉄を特別に応援していたわけではなかったのですが、思わず手をたたいて興奮して喜んだことを憶えています。

そして9回裏に仰木監督は思い切った采配を振るいます。近鉄の当時のエース阿波野を何とリリーフに送り出したのです。(これが後の仰木マジックの始まりだったのかもしれません。)阿波野はランナーを背負ったピンチにも動じず、見事に最後のバッターを三振に取り、第1試合は近鉄が4対3で勝ち、優勝に望みをつないだのです。

一旦、緊張が解け、選手には安堵の表情が見えました。しかし、すぐにまた第2試合が待っているのです。この試合にすべてがかかっているのです。選手の顔はまたすぐに緊張感であふれていました。

第2試合が始まりました。僕は夕食そっちのけでラジカセにかじりついてました。この試合も白熱した試合になり、8回表を終わり4対3と近鉄がリード。ここで第1試合に引き続きエース阿波野がマウンドへ!僕もいつの間にか近鉄を応援するようになり『頑張れ阿波野!』と熱い声援を送っていました。しかし、その声も届かずその裏に同点にされ4対4。

そして試合は9回へ・・・しかし、ここで近鉄にとっては大きな問題がありました。実は当時のパリーグのルールでは『ダブルヘッダー第1試合は9回で打ち切りなのですが、それ以外は延長12回で打ち切り』というルールでした。さらに、時間にも制限があり『試合開始から4時間を経過した場合はそのイニングで終了する』というルールです。このルールが、プロ野球史上に残る伝説の1日を作り出したと言っても過言ではありません。

9回裏、試合時間はすでに残り30分を切っていました。このあたりから、緊急にこの試合のテレビ放送が始まり、僕はラジオを聞くのをやめてテレビの前にかじりつきました。しかし、ここで思わぬ事件が・・・アウト、セーフを巡って攻撃側のロッテが審判に猛抗議を始めたのです。ロッテの本拠地であるにもかかわらず、観客席からは激しいヤジやブーイング(時間が無いのに時間稼ぎをするな!という意味のヤジ)が起き、球場は騒然となりました。僕もテレビを見ながらかなり激高しました。結局、数分間試合は中断し、その後再会、近鉄は何とかピンチをしのぎ、試合は延長戦へと突入していきました。

残り時間から考えても、この10回表の攻撃で近鉄が得点を入れなければ、近鉄の勝利は無いと言ってもいいでしょう。しかし、1アウトランナー1塁で迎えた羽田の打った打球は無情にもセカンドゴロダブルプレー・・・今もこの瞬間の映像は僕の記憶の中にしっかりと焼きついています・・・10回表の近鉄の攻撃は無得点に終わり、この時点で4時間までのタイムリミットは3分・・・たった3分で裏のロッテの攻撃が終わる事はほぼ不可能であり、この瞬間に近鉄の優勝は幻と消えたのです・・・

しかし、悲しいのはここで試合を終える事ができないということです。優勝が消えたのにもかかわらず、10回裏、近鉄の選手は守りにつかなければならないのです。中には泣きながら自分のポジションに向かう選手もいました。ベンチの中央では仰木監督だけが仁王立ちして必死に手を叩き、選手を鼓舞し、監督の責務をまっとうしようとしてました。そんな近鉄の面々の姿を見ていると、自然と僕の目からも熱いものが思わず零れ落ちてしまいました・・・まさに悲しく残酷な結末です。

これが1988年10月19日に、川崎球場で起きた伝説の「10.19」です。皆さんの中にもこの出来事を知っている方はいると思いますが、今もう一度この日の出来事を思い出してみてください。「勝者がいれば敗者もいる」、これはスポーツであれば当然のことなのですが、この日だけはその事を考えたくないと僕は切実に思いました。皆さんはどんな気持ちになりましたか?

「川崎球場」、この言葉を耳にすると、僕の脳裏にはどうしてもこの熱く燃えた長い1日の事がよぎります・・・野球というスポーツの難しさや恐ろしさを知った僕にとっては貴重な1日でした。

今日は10月19日ということで19年前の10月19日の事をつい思い出して、また長々とお話してしまいました。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

り 竜小太郎(りゅうこたろう。テレビ、舞台を通じて主に時代劇を中心に活動している俳優。)

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