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2007年10月31日 (水)

仮装パーティーへようこそ!

仮装パーティーへようこそ!

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

今日は10月31日「ハロウィン」の日です。皆さんはどんなハロウィンを楽しんでいますか?実は今日は我が家では・・・おっと、その前に昨日のお話から少ししたいと思います。

昨日は週に一度のミニバレーの日でした。昨日のメンバーは、『帰ってきたスーパーエース!』Sんでぃ、『ガラスの肩を抱えるアイスマン!』Hこ、『バースデーサーブがキレキレ!』Nぶさん、『MVDのママドルは健在!』Rえ、『もう山オンナとは言わせない!』Aっけ、『今日も7時からお腹ペコペコです!』Aゆ、『好レシーブ連発祭り!』Nか、『指がやっと突き始めました!』Aっちゃん、そして『行ってき~♪で流行語大賞狙います!』猫男爵、さらには元気バリバリWくYざんのワンパク仲良し兄弟の合計大人9名、子供2名でした。

そして昨日は、久々のメーテル軍団との交流戦でした。ちなみに昨日のメーテル軍団のメンバーは、メーテルコテさん梅沢ジモンデカ韓流無印良女レディース黒紅隊3代目総長女長距離トラック運転手プチ中垣内の合計8名でした。

久々の交流戦はなかなかの熱戦で楽しかったです。そして何よりエースSんでぃの復帰、そしてAっけも本格的に復帰と、良いニュースばかりでした!そしてもう一つビッグニュースが!昨日9時でミニバレーを切り上げてアイスアリーナに向かったHこが見事に決勝戦で得点をあげ、そしてチームも優勝と素晴らしい結果をあげました!おそらく昨日は肩の方は大丈夫だったとは思います。また次の大会でのさらなる活躍を期待してます!次は応援に行きます!

来週も、ミニバレーでみんなで楽しく汗を流したいと思います。

さて、話を本題に戻しますが「ハロウィン」とは古代ケルト人の収穫感謝祭がカトリックに取り入れられたもので、英語圏では伝統行事となっています。

ケルト人の1年の終わりというのは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていました。これから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いたりするようになったのがハロウィンの始まりだそうです。

そして、魔女やお化けの仮装した子供達が『Trick or trear!(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!)』と唱えて近くの家を1軒ずつ訪ねて、子供達はその家でもらったお菓子を持ち寄り「ハロウィン・パーティー」を開いたりするようになったのです。

伝統的に黒とオレンジ色がハロウィンの色とされており、各家庭ではカボチャを刻んで怖い顔を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うために家の戸口に置くという習慣が行われているそうです。

昨今では日本でもこのハロウィンの習慣が徐々に浸透してきており、10月31日が近づくと各店頭などで「ハロウィングッズ」が売られている光景もよく目にします。

そして我が家でも今日は「ハロウィン・パーティー」が盛大に開催されました。それでは、ちょっと少しだけそのパーティーの模様を覗いてみるとしますか(笑)

仮装パーティーへようこそ!

おっと、まず現れたのは金の仮面を被った悪人「ゴールド仮面」です。悪そうな顔です!

仮装パーティーへようこそ!

こいつも何かをたくらんでそうな悪そうな顔してますね~歯をむきだしにしてます。

仮装パーティーへようこそ!

そこに現れたのは我が家の平和を守る「猫ポリス」です。悪人を退治するために、来てくれました!持っている銃は「スーパーキャット270」です。

仮装パーティーへようこそ!

そしてこちらにはスーパーアイドルの赤西仁君がいますね~どうやら「ザ・テレビジョン」の撮影のまま駆けつけてくれたようで、レモンを手にしてます。実に楽しそうに猫男爵と会話しています。『行ってき~♪』

仮装パーティーへようこそ!

最後はこの人も旅の途中に我が家に寄ってくれました。久々登場のヒデ(中田英寿)ですね~ どうやら仁君からレモンを奪い、『俺もザ・テレビジョンに出してくれよ!』と訴えているようです(笑)

こんな感じでビッグなゲストも参加して、今日の我が家ではハロウィン・パーティーが開催されました。年に一度の『仮装を自由に楽しむ日』、いかがでしたか?皆さんの家ではどんな仮装を楽しんでいられますか?

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

P.S. しばらくの間、携帯からのコメントができない状態が続いていたようですが、ココログからの情報によると問題は解決してコメントが可能になったようです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。今後も宜しくお願いします。

(今日のマニアック有名人しりとり)

き 黄川田将也(きかわだまさや。埼玉県出身の若手俳優。ドラマの出演作には『不機嫌なジーン』、『マイ★ボス マイ★ヒーロー』、『演歌の女王」などがある。ちなみに兄は元Jリーガーの黄川田憲司である。)

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2007年10月30日 (火)

第3の刺客!

第3の刺客!

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

さて今日ご紹介するのは、我が家に住む4匹の愛犬のうちの3匹目で、名前は「アライ」と申します。

すでにこのブログでもご紹介した、僕の一番の愛犬「キョウボウ」、そして破壊王の名を欲しいままにする「クラッシャー」、そして今回ご紹介するのこの「アライ」は実はそのクラッシャーの母親なんです。

この犬は非常におとなしい性格で、まだ若干僕になついてはくれませんが、キョウボウの次にカワイイ愛犬です。時々、僕がこの家の者だと気づくのでしょうか、尻尾をふる事もありますが、まあそれは本当にたま~にしかないことです(笑)やっぱり僕にはキョウボウが一番カワイイです。

第3の刺客!

この犬の名前がなぜ「アライ」かと言うと、実はこの犬はアライグマならぬアライイヌなんです(笑)

暇さえあれば手前に見える水が入った白い容器に前足を入れて、ジャバジャバと洗い始めるのです。寒くなった最近の季節はそれほどでもないのですが、暑い夏になるとこれでもか!というくらいに水で足を洗い始めます。そこから僕が勝手に「アライ」と名付けたのですが、これは我が家でも僕だけの呼び名で誰もそうは呼びません(笑)

第3の刺客!

アライが物想いにふけっています・・・一体何を考えているのでしょう?

これから冬になり北海道は毎日寒さに震える日々になります。しかし、実は我が家で飼っている北海道犬は寒さにはめっぽう強く、その身にまとっている毛が寒さから守ってくれるのです。もともとは、熊と格闘したりする狩猟犬ですから、様々な環境に対応できる丈夫な体を持っているのです。ですから、他の種類の犬たちと比べても寿命も長いのが特徴なんですよ。

正確ではありませんが、アライは確か10歳くらいになるかと思われます。まだまだこれからもずっと長生きして、そのつぶらな瞳を輝かせて僕と一緒に遊んでほしいです。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

さ サガユウキ(青森県出身の男性シンガーソングライター。今年1月にシングル「霙~mizore~」でメジャーデビューを果たす。)

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2007年10月29日 (月)

夜明けの流星たち(第13話)

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

10月もいよいよ終わりに近づいてきましたね。また、あっという間に1ヶ月が過ぎようとしています・・・本当に月日が経つのは早いものです。

さあ、そんな秋深き夜長には「ヨアリュウ」で心を落ち着かせてみてはいかがでしょう。今日は連続ブログ小説第13話をお送りしたいと思います。

自分の病気の事を知った玲奈は一人、心の中でもがき苦しんでいた。博人にその事を告げる事は玲奈にはまだできないでいた。そして思わず溢れる涙を抑えきれず、博人の胸の中で泣き崩れる玲奈。博人はそんな玲奈を優しく包んでいた。しかし、その背後には危険な魔の手が伸びようとしていたのであった・・・

『夜明けの流星たち』  脚本・演出:猫男爵

☆Story13☆ 『蘇る過去』

博人玲奈を強く抱きしめていた手をそっと離した。

『大丈夫だよ玲奈、俺がいつも付いているから。』

その博人の言葉に玲奈は軽くうなずいた。

『さあ、お母さんが心配するといけないから家に入ろう。』そう博人が言った。

『あれ?』玲奈が呟いた。

『どうした玲奈?』

『何かさっき、そこの電柱の影に人が立っていた様な気がしたの・・・』

『そこに?誰もいないぞ。』

『おかしいな・・・気のせいかな・・・』玲奈は少し気になる様な顔をしながら家に入った。

『ただいま、お母さん。』

『お帰りなさい。あら、川嶋さんわざわざ送ってくださったの、ありがとうございます。』真知子は笑顔で博人に玄関先で御礼を言った。

『夜道は危ないですから。』博人はそう返事をした。

『優しいのね川嶋さんは。どうぞ、あがって少し休んで行って。』真知子は博人にそう言った。

『いえ、こんな夜分にご迷惑ですし。』

『いいの、いいの、気にしないで、さあどうぞ!』

『そうよ、気にしなくていいよ博人。少し休んで行って。』玲奈も博人にそう言った。

『そうですか。じゃ、お言葉に甘えて。』そう言いながら博人が家にあがろうとした時にチャイムが鳴った。

『ピーンポーン♪』

『あら、こんな遅くに誰かしら?』

インターホーン越しに真知子が聞いた。『どちら様ですか?』

『夜分にすいません。私、警視庁捜査一課の松田と申します。少しお聞きしたい事がありまして。』

『警察?』真知子は博人と玲奈の顔を見て不思議そうな顔をした。そして、ひと呼吸おいて言った。

『はい、今開けます。』

『夜分にすいません、松田と申します。実は、お宅のお嬢さんに確認したい事がありまして。』

『うちの玲奈にですか?』

『はい。』

『ここにいるのが娘の玲奈ですが・・・』

『あなたが玲奈さんですか。実は・・・この写真の男に見覚えはありませんか?』そう言うと、松田は玲奈に一枚の写真を差し出した。

『嫌っ!』玲奈はその写真を見るなり、投げ捨てるかの様に放り出し、しゃがんで小刻みに震えだした。

『玲奈、どうした!』博人が心配した。

そして、落ちた写真を見た真知子が呟いた。『この男は・・・』

『ご存知ですね。』松田が真知子に聞いた。

『はい・・・でも、もう玲奈はこの男とは一切関係ないですから!』真知子が強い口調で言った。

『それならいいんですが・・・気をつけて下さい。この男がつい先日、刑務所から出所してきたんです。お嬢さんに近づいて来る可能性もあります。もし、見つけたらすぐ私の所に連絡下さい。お願いします!今日はそれを伝えたくて来ただけですから。』

『わかりました。』

『それでは、失礼します。』そう言うと松田は立ち去っていった。

玲奈は震えながら博人の足下にしがみついていた。

『玲奈、どうした?大丈夫か?お母さんこれはどういう事ですか・・・』博人は真知子に尋ねた。

『こんな所では何ですから、中に入ってください。』

そう言うと真知子は玲奈の手を掴みながら立ち上がらせ、中へと連れて行った。

拓実は、昔よく涼子と星空を見に来ていた公園のベンチに腰を掛けて空を見上げていた。

『涼子は俺を受け入れてくれるかな・・・もし、俺が話す事で余計に苦しめたりしないかな・・・今の生活のままが涼子には幸せなんじゃないかな・・・』拓実は一人で考え込んでいた。

玲奈の家では真知子が話し始めようとしていた。

『玲奈、川嶋さんには話しておかなければならないわ・・・いいわね?』

『でも、お母さん・・・』

『思い出すのが辛いのはお母さんだってわかっているわよ、でも川嶋さんならきっと玲奈を守ってくれる。だから、話すべきだと思うの。』

『わかったよお母さん、博人に話して・・・』玲奈は目をつぶり、辛さを耐える様に真知子にお願いした。

『お母さん、あの男は誰なんですか?』博人は真知子に尋ねた。

『川嶋さん、今から話す事は玲奈にとって辛く苦しい過去なんです。でも、あなたには知ってほしいんです。何があっても玲奈の事を守って下さいね。』真知子が切実に訴えかけた。

『勿論です!約束します!』博人は力強く答えた。

『あれは玲奈が短大生の頃、玲奈はファーストフードでアルバイトをしていたの。そこで一緒に働いていた一人の男と知り合ってね、やがて仲良くなり付き合うようになったの。私も、玲奈が選んだ人だし玲奈はとても毎日が楽しそうだったから、特に何も口を出さず安心していたの。何回か家にも遊びにも来ていたし、とても玲奈の事を大切にしてくれているって、その時は私も玲奈もそう思っていたの。』

玲奈は苦しそうな顔を見せながらも必死に耐えて、真知子の話を黙って聞いていた。

真知子は話を続けた。『ところが、付き合い出して2年ぐらい経った頃、玲奈も今の会社に就職して、その男も運送会社で働くようになり、お互い会う時間も減ってきて、家にもあまり遊びに来なくなったの。ちょうどその頃のある日、玲奈はその男の家に行った時にお金を貸してくれって言われたらしくて、玲奈もその男の事を信用していたから、ついお金を貸してしまったのね。そういう事が何回か続き、玲奈も貸すお金が無くなって遂に断ったの。そうしたらその男は玲奈に暴力を振るったの・・・服がボロボロになるまで玲奈を殴ったの・・・玲奈は傷だらけになって家に帰ってきたわ。酷く脅えて震えながら・・・勿論、その男とはそれっきり会う事も無かったわ。後でわかった事なんだけど、その男はサラ金に借金を作っていたみたいで、それを返済するために玲奈からお金を騙し取っていたのよ。しかも、玲奈の他にも交際している女性が数人いたみたいで・・・私がしっかり玲奈を守ってやれば良かったって本当に後悔しているのよ。』

『お母さんのせいじゃないよ、あれは私が悪いのよ・・・』黙っていた玲奈が口を開いた。

『違うのよ玲奈・・・川嶋さんも知っての通り、この家には男家族がいないでしょう。玲奈の父親が早くに死んでしまったから、私が父親代わりも勤めてきたの。でも、玲奈を守ってあげられなかった。それが本当に情けなくてね・・・』真知子は涙をこらえながら話した。

『お母さん・・・』玲奈も涙をこらえながら呟いた。

『お母さん、あまり自分を責めないで下さい・・・』博人にも真知子の気持ちが痛いほど伝わってきた。

『その後もその男はしつこく玲奈に付きまとって来て、私も玲奈も我慢と恐怖の限界になり警察に相談に行こうとしたその矢先に、あの男は突然姿を現さなくなったの。その数日後、ニュースであの男が傷害事件で逮捕されたっていうのを見て、私と玲奈は凄くほっとしたわ。そう、あの男、野崎龍太・・・本当は思い出したくもない名前だわ・・・』

『野崎龍太・・・』博人が小声で呟いた。

『川嶋さん、あの男から玲奈を守ってあげて下さい!お願いします。』

『わかりました。何があっても俺は必ず玲奈を守ります!』博人は真知子の目をしっかりと見つめて約束した。

『博人・・・私、怖いの・・・あれからずっと男の人が怖くて心を開けなかったの。でも博人に出会って、やっと男の人を信じられるようになったの。お願いだから私を見捨てないでね・・・』玲奈は泣きながら博人に叫んだ。

『玲奈、大丈夫だよ!俺がいつも玲奈の側にいて守ってあげるから。見捨てたりなんかしないから安心しろよ。』博人は泣き崩れる玲奈の手をしっかりと握りしめていた。

玲奈の中に蘇った悪夢のような過去を博人は切実に受け止めていた。そして、玲奈に対する強い思いが猛烈に胸の中を走り出していた・・・  To be continue

いかがでしたか第13話は。玲奈の隠されたいた過去がその封印から解かれ、博人と玲奈の愛情はさらに強いもので結ばれていったのでした。が、しかしこれから待ち受けている現実はその想像を遥かに超えるものだという事に、二人は気づくはずもなかったのです。次回、第14話を乞うご期待!

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

む 村田渚(むらたなぎさ。お笑いコンビ「フォークダンスDE成子坂」で桶田とコンビを組んでいた。1990年代に活躍を見せるが1999年に解散、その後もフリーのピン芸人として活躍していたが、2006年に急死、享年35歳だった。)

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2007年10月28日 (日)

お前なんか、握ってやる!

お前なんか、握ってやる!

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

『ギョ!!お前なんか、握ってやる!』 これは堂本光一主演で、今夏放送された「スシ王子」の決めゼリフです。幼い頃に父と祖父をカジキマグロに殺され、その時に見た魚の目がトラウマとなり、魚の目を見ると人格が変わってしまうというのが「スシ王子」です。

実は昨日と今日の2日間に渡って、僕は仕事の会議に出るために北見市に出張してきました。そして今日は帰りに視察研修ということで、とある水族館に行ってきました。そこは魚だらけで、「スシ王子」だったら間違いなく入場できなかったことでしょう・・・そんな「水族館」の中にいる水中の仲間たちを、今日はせっかくなので簡単にご紹介したいと思います。

まずは一番上の写真は皆さんご存知の「金魚」です。色鮮やかなその色彩は思わず時間を忘れて見とれてしまいました。子供の頃によくやった、お祭りの「金魚すくい」をついつい思い出してしまいました。

お前なんか、握ってやる!

次は何ともおもしろいコラボレーション、「亀と鯉」です。亀が一生懸命に水槽の中を泳いでいる周りを、鯉が優雅に泳ぎまわるという不思議な光景でした。

お前なんか、握ってやる!

変わった魚を発見!!上の青い魚です。熱帯魚の一種だとは思いますが、あまり熱帯魚とかには詳しくない僕は名札を見て確認したのですが忘れてしまいました。たぶん、たぶんですけど確か、「アーウィン?」とかいう名前だったような気がしますが自信はありません・・・

お前なんか、握ってやる!

次も熱帯魚ですが、これは有名なので僕もわかりました。「エンジェルフィッシュ」です。独特の縞模様が特徴ですよね。原産地はブラジルやコロンビアなどの南米が主なようです。ただ、目が「ギョ!!」です。『でも、お前は握らない!』だってスシネタじゃないもん(笑)

お前なんか、握ってやる!

これもよく名前がわからない魚でした。ただ異常に太っていたので、勝手に「メタボウオ」と僕が名付けました。

お前なんか、握ってやる!

次は「大ナマズ」です。この大きな体はピクりともせず、ただひたすらじっとしてました。おそらく地震が起きる時には動くのかな?昔からそんな言い伝えありましたよね?

お前なんか、握ってやる!

さあ、これは何かご存知ですか?そうです、「チョウザメ」です。こいつの卵を塩漬けにしたものが、あの世界三大珍味のひとつ「キャビア」です。体長は1メートル弱ぐらいで非常に可愛らしいやつでした。

お前なんか、握ってやる!

最後は地球上最も危険な魚「ピラニア」です。口を閉じているので見えませんが、その鋭い歯を使い一瞬にして動物などを食べつくすというから、恐ろしいです・・・日本には生息はしませんが、これが普通に川にいたら・・・と思うと怖くて川になんか入れませんよね。

さあ、いかがでしたか水中の生き物たちは?この他にも、お見せしたかった魚が数多くいたのですが、それは皆さんの目で直に見に行ってみてはいかかでしょうか。久しぶりに「水族館」という所に行き、なんだか少年のような気分で楽しんだ猫男爵でした。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

P.S Hこさん、アイスホッケー決勝進出おめでとうございます!しかも得点GETINGしてましたね。決勝はハットトリック期待してます!

(今日のマニアック有名人しりとり)

み ミハエル・クルム(ドイツ出身のレーシングドライバーで、フォーミラ・ニッポンや全日本GT選手権などで活躍している。妻は元プロテニスプレーヤーの伊達公子。)

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2007年10月27日 (土)

僕の宝物 ~PART3~

僕の宝物〜PART3〜

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

これは僕が小学生の頃に父に買ってもらった宝物のひとつ、「速球王」です。皆さんはこれをご存知ですか?これは、自分が投げたボールを使いそのスピードを測定することができるという、当時としては画期的なもので、プロ野球選手に憧れ毎日野球をしていた僕には凄くとても貴重なものでした。

それでは、どうやってスピードを測定するかというと・・・

僕の宝物〜PART3〜

まずはこの「PUSH」という部分を指で押さえます。気をつけなければならないのは、ここで投げるまでは押さえている指を決して離さないこと。そして、相手のグローブに向かって思いってきり投げます!ここでもうひとつポイントが。それは受ける相手にしっかりとキャッチしてもらう事です。しっかりと相手のミットの中におさまなければスピードを計測することができません。

僕の宝物〜PART3〜

このボールの中央にくりぬかれた表示画面に、指から「PUSH」ボタンが離れてから受ける相手のミットにボールがおさまるまでのタイムが表示されます。ここですぐに投げたボールが何キロだったかがわかるわけではありません。

僕の宝物〜PART3〜

ここで登場するのが、この換算表です。ここで、表示されたタイムと自分が投げた距離を照らし合わせて、初めて自分が投げたボールのスピードを測定できるというわけです。

実際に小学生の僕が出した記録は確か90キロくらいだったと思いますが、買った当初は毎日のように友達とこれで遊んでいました。今は、おそらくボールの中にある電池も切れてるので、これを使うことは困難なようですが、陽が沈むまでグランドで無邪気に友達と「速球王」で遊んでいた頃がとても懐かしく思われます。

今日はそんな少年時代の面影をついつい思いだしてしまう、僕の宝物をご紹介しました。

それでは今日はこのへんで。(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

き 絹川愛(きぬかわめぐみ。群馬県出身の女子陸上長距離選手。さきの2007大阪世界陸上女子1万メートルの代表でもある。結果は14位であったが、18歳の若さで世界の選手たちと対決できたのは貴重な経験と言える。現在、仙台育英高校の3年生であり、1万メートルのジュニア日本記録並びに、日本高校最高記録保持者である。趣味はブレイクダンス。)

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2007年10月26日 (金)

インディーズを探せ!

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

さて今日は音楽の話を少ししたいと思います。

一言で「音楽」と言っても様々なジャンルが存在すると思います。ポップス、ニューミュージック、ロック、演歌、ラップ、クラシックなどなど、そのジャンルの多さと幅広さには知らない事もたくさんあります。

その中で僕が昔からよく注目していたのが、俗にヴィジアル系ロックと言われるジャンルです。僕らの世代と言えば、何と言っても伝説のバンド「B0ФWY」の名前を挙げずにはいられません。彼らのその音楽性やスター性には今でも多くの感銘を受けているのも確かです。このバンドを超えるバンドは未来永劫に出現しないと、はっきりと断言してもいいでしょう!それくらい凄いバンドでした「BOФWY」は。

そして、その「BOФWY」の伝説を継承しようと彼らの解散後は数々のバンドが世に出てきました。(のちにX JAPAN)、LUNA SEACOLORBUCK-TICKZI:KILLなどです。彼らの出現は日本の経済がバブルだった事もあり、日本の音楽シーンを大きく変動させました。

そんな中で、僕が19歳の頃から注目し始めたのがいわゆる「インディーズ」と言われる、メジャーデビューする前のカテゴリーです。なぜここに注目し始めたのかと言うと、それは一つのバンドとの出会いがきっかけです。

あれは僕が大学1年生の秋です。当時まだ19歳だった僕はよくCDショップや大型レコード店に足を運んでいました。そこで「インディーズ・コーナー」というひとつのコーナーを目にしたのです。そこにはまったく目にしたことの無いバンドばかりが名を連ねており、当然周りの客は足など止めるはずもなく、僕も少しだけ見て素通りするつもりでした。しかし、何かに吸い込まれるように一つのバンドのCDが目に入りました。そのバンドは「黒夢」というバンドでした。

当時の多くのバンド名は普通、英語表示の横文字が特色でしたが、その中で「黒夢」という漢字のバンドはひときわ異彩を放ってました。その印象があまりにも強かったのか、僕はその後しばらく「黒夢」の事がもの凄く気になり始めました。

それから数ヶ月後、音楽雑誌で偶然にもその「黒夢」の特集を目にしたのです。ページにすると1ページのうちの1/4ぐらいのスペースでしか取り上げられていないわずかな情報でしたが、僕にとってはとても貴重な情報でした。読めば、間もなくメジャーデビューするというのです。僕はその瞬間に決めました。『このバンドのファンになろうと!』まだ音楽を聴いた事もないのに何か引き付けられる魅力が「黒夢」にはあったのです。

それからというもの、友人たちに『黒夢知ってる?今度メジャーデビューするんだぜ!』と話はするものの、『何それ?誰?何者?』と知っている人など全くいなく、僕はとても寂しい思いをしました。でも僕は『絶対あいつらはビッグになる。』と友人たちに言い続けました。

そしてCD発売当日、僕はその日のうちにもちろんCDを購入。特典のポスターもGETしました。初めて見る「黒夢の姿」、そして初めて聴く「黒夢の音楽」、僕の選択は間違っていませんでした。その音楽性、そしてそのヴィジアル、すべてが僕が求めていたものでした。買ったその日から何度も何度も聴きまくりました。

「黒夢」は3人からなるバンドです。ボーカルの清春はビブラートを効かせた繊細な声に、ファルセットやシャウトを効果的に取り入れる歌い方で僕を虜にさせました。その後ろではギターのと、ベースの人時が黒夢の「命」となる音源を奏でており、その3人の絶妙なバランスはまさに最高の組み合わせでした。

ちなみに、この「黒夢」は名古屋などの中京圏を中心にインディーズ活動していたバンドで、同じ頃の同士には「L’Arc~en~Ciel」がいます。

僕は黒夢のアルバムは全て持っています。(全8作品)その中でも、デビューアルバムの『迷える百合達』と3作目の『feminism』、それに7作目の『CORKSCREW』は超お気に入りです。シングルで好きな曲は『優しい悲劇』『Miss MOONLIGHT』『SEE YOU』『少年』『MARIA』などです。

デビューから数年経つ頃には、彼らの人気は絶大なものになり、以前『黒夢なんて知らねえよ』と言って僕をバカにしていた友人たちも、僕の事を尊敬の目で見てくれるようになりました。僕は鼻高々でした(笑)

黒夢は途中、ギターの臣が脱退し、清春と人時の二人で活動を続け、音楽もデビュー当時とは若干変わってはきましたが、常にシングルはオリコン上位につけるほどの人気バンドとなりました。

彼らの魅力のひとつに、『バンドのあるべき姿はライブだ!』というスタイルがあります。年間230日というライブ活動をした年もありました。よって、他のバンドがテレビ出演するのとは反対に、彼らはテレビには殆ど姿を現さずライブ活動を積極的に行いました。結局、「黒夢」は1999年に解散となってしまったわけですが、解散する前にライブを見に行けなかったことが唯一の僕の心残りです・・・

当時、清春はある雑誌のインタビューでこう言ってました。『売れる事を目的とする歌はあまり好きではない。カラオケであんまり俺らの歌を歌ってほしくない。歌いたいやつらはライブに来い!』この言葉は清春らしい不器用な言い方ですが、彼が言いたいのは『本当に黒夢を知るには、まずライブに来てみなよ。』という意味が込められているのです。ですから大の黒夢ファンの僕は当時はほとんどカラオケで彼らの歌を歌いませんでした。それが清春に対する礼儀だからです。

こうして僕の20代には「黒夢」という一つの全く無名のインディーズバンドとの素晴らしい出会いがあり、その運命的な出会いに僕は今でも感謝しています。今はその黒夢の音楽を生で聴くことはできませんが、時々CDでその音楽を聞くととても懐かしい気持ちになります。「音楽」って本当に素晴らしいですね!人が生きていく上でとても大切なアイテムだと僕は思います。

ちなみに、この「黒夢」以降、僕はインディーズバンドに凝り始め、無名のバンドに注目するようになりました。そしてそこからビッグになったバンドには『PENICILLIN』、『La’cryma Christi』、『FANATIC◇CRISIS』、『PIERROT』、『Diren grey』などがあります。今ではそんな「インディーズ探し」をすることもなくなりましたが、僕にとっては当時はとても楽しい時代でした。

今日は「インディーズ」の音楽について、僕の経験をふまえて話させていただきました。皆さんの中にも、『こんなインディーズバンドが好きだよ(もしくは好きだったよ)』なんて言う事があれば、もし良ければ教えてください。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

の 能勢一幸(のせかずゆき。数々のクイズ番組に出場し、優勝するなどの実績を持ついわゆる「クイズ王」。第15回アメリカ横断ウルトラクイズのチャンピオン。現職の埼玉県職員でもある。)

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2007年10月25日 (木)

新しい巣穴?

新しい巣穴?

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

さて、泥姉妹と僕猫男爵こと泥3号を含めた泥一族居酒屋が大好きです!そして、その数多くの武勇伝から、居酒屋業界からも色んな意味で注目を集められ、今では「居酒屋ブームのパイオニア」とか、「居酒屋界の伝道師」などと言われるほどの存在です(笑)

そんな泥一族がしばらく御用達にしていたのが、Cのすけでした。が、しかし、もう僕らの役目は終わったようです。Cのすけは超一流の居酒屋にのし上がりました。僕らも正直メニューに飽きがきました・・・メニューの番号を丸暗記できるほど足を運んだ成果といも言えるでしょう。店員さんの事も、声だけでどの店員かがわかるほどになってしまいました。

そこで僕らは冬を前にして、新しい巣穴に移動しました。そこはIにHとです。別名「ろーはーへーとー」です。帯広店には昔からよく行ってましたが、今度新装された音更店に先日行ってみました。

感想は一言で言うと、『5泊6日したいお店!』です。とても1日だけでは満足できません。それだけメニューも充実しているという事です。味もかなり上のランクです。『一体、俺らは何者?居酒屋評論家か!(笑)』と、三人で大爆笑しましたが。

そこで今日はその絶品の数々をほんのわずかですがご紹介したいと思います。すでに何度もご利用なさっている方もいるとは思いますが、これから冬にかけての忘年会・新年会シーズンのご参考にしてみてはいかがでしょうか。

まず一番上の写真は「グビットシュタイン」という炭酸系の飲み物です。一見、ノンアルコールビールかとも思いましたが、非常に美味しいジュースです。その他にも、このお店は飲み物の種類が豊富ですし、ノンアルコールカクテルも充実してましたよ。

新しい巣穴?

前菜は「シーザーサラダ」です。とろっ~とした卵がのっているのがポイントです。ほとんどの居酒屋の「シーザーサラダ」をいただいてきましたが、その中でもかなり上位にランクされる一品です。

新しい巣穴?

続いては「フライドポテト」です。これはもの凄く美味しいです。どちらかというとマックのポテトに似てますが、居酒屋のレベルでは最高級とも言えるでしょう。絶品です!

新しい巣穴?

そして、これは猫男爵がこのお店で一番の超オススメの一品です!「クリームたらこスパゲティー」です。何と表現したらいいか言葉が見つかりません!それくらい美味しいです。あまりの美味しさにホッペタが3回落ちました(笑)この一品はこのお店にきたら絶対に食べるべきだと思います。

新しい巣穴?

これは「イカのゴロ焼き」です。これもたまらない味でした。でも、Hこ宅で食べた「イカゴロ」の方が美味しかったです。

新しい巣穴?

続いては、手前が「かぼちゃ春巻き」、奥が「唐揚げ」です。春巻きはサクサクしてて、熱いうちに食べれば非常に美味しいです。唐揚げも外はカリカリ、中はジューシーと、思わず箸が止まりません。

この他にも、たくさんのメニューがあったのですがそれはまた次回にとっておきました。

新しい巣穴?

そしてラス前に登場したのが、「マンゴーラテ」です。もうこれはパーフェクト!文句のつけようがありません。思わず昇天しちゃいました(笑)

もうこの段階でそうとう僕の満腹感はMAXに達してきましたが、ここで黙っていられないのが「スイーツ王子」です。

新しい巣穴?

最後の締めは「もっちりホワイトケーキ」です。残念ながら、ちょっと僕の舌を納得させてくる味ではありませんでしたが、このお店はデザートの充実さも素晴らしいものがあります。まだまだたくさんのスイーツがメニューにはあったので、次回楽しみにしています。

まあ、こんな感じでご紹介した泥一族の「新しい巣穴」のメニュー、いかがでしたか?もし、泥一族を見かけた時は気軽にお声かけてくださいね。一緒に泥遊びしましょう!(笑)

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

く(ぐ) 郡司あやの(ぐんじあやの。ドラマや舞台、バラエティーなどで活躍する女優。ドラマ「ドラゴン桜」や「ヒミツの花園」に出演していた。)

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2007年10月24日 (水)

夜明けの流星たち(第12話)

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

さて、今日は連続ブログ小説第12話をお送りしたいと思います。

今まで、全話見ていただいてくれてる方は果たしているのか・・・若干不安になってきた猫男爵ですが、あともう少し、話の完結までは頑張って続けていきたいと思います。『夜明けの流星たち』、略して『ヨアリュウ』『昨日のヨアリュウ見た?』などという会話が、学校や職場で聞こえてくる事を夢見て頑張ります(笑)

とうとう、自分が白血病であるという事実を知ってしまった玲奈、そしてそれをまだ知らない博人、今二人の心には「人生の岐路」が訪れていた。そして、この二人に訪れる「未来」とは果たしてどんなものなのか・・・それでは続きをどうぞ!

『夜明けの流星たち』  脚本・演出:猫男爵

☆Story12☆ 『私を抱きしめて』

拓実は泣き崩れる玲奈の背中を見ながら病院を出て途方に暮れていた。

『何で玲奈ちゃんが・・・あんなに幸せそうな顔していたのに・・・』

拓実は気がつくと涼子が働く花屋に来ていた。

『桜木君!この間の海楽しかったね。』

『あ、う、うん。』

『あれ?今日は元気がないのね、どうかした?会社でミスでもした?あっ、わかった!それで、このお花屋さんの明るいお姉さんに元気づけてもらおうと思って来たんだ!違う?当たりでしょ。』

涼子のその天真爛漫な笑顔に拓実は少しだけ元気をもらった。

『違うよ、花屋に来たんだもん、花を見に来たんだよ!』少し笑いながら拓実は言い返し、玲奈の事を振り払うかのように涼子と話した。

『どんなお花をお探しですかお客さん?』涼子が笑いながら聞いた。

『そうだな・・・じゃ、お姉さんの好きなお花でお任せします。』拓実は少し考えて笑いながらそう答えた。

『それじゃあね、この赤い薔薇なんてどう?キレイだよ。』

『赤い薔薇?』拓実の脳裏に以前の涼子の面影が蘇った・・・拓実が涼子と付き合っていた頃、涼子の家にはいつも涼子が大好きな赤い薔薇が飾られていた。

『もしかして、記憶が・・・』拓実は思わず呟いた。

『記憶?』涼子も拓実の方を見ながら小声で呟いた。

『純平が前に言ってた色覚治療で赤色に反応があったっていう話しは、もしかして赤い薔薇の事なのか・・・』そう頭の中で拓実は考えていた。

次の瞬間、涼子がふらふらとしゃがみこんだ。

『涼子ちゃん?どうかした?大丈夫?』

『うん、大丈夫・・・ちょっとめまいがしただけ、大丈夫よ。』

『少し休みなよ。』

『うん、ありがとう。』

しゃがみこむ涼子を見ながら拓実は涼子の記憶が確実に戻りつつある事を確信した。

やがて夜になり、玲奈は家に戻っていた。家の中ではうつむいたままの真知子がいた。

『お母さん・・・じゃ、出かけてくるね。』そこには明るく真知子に声をかける玲奈がいた。

『出掛けるって・・・玲奈!』

『昼間話したでしょ、今日は博人に会うんだって。』

『でも、玲奈あなた・・・』

『大丈夫だから心配しないで、博人には絶対言わないから。それに私はまだこんなに元気なのよ、せめて元気でいるうちは少しでも博人と会っていたいの。ねえ、だからいいでしょお母さん?』

『うん、わかったわ。気をつけて行ってらっしゃい。』涙をこらえながら真知子は玲奈を見送った。

玲奈もまた溢れる涙を拭いながら博人のもとへ走って行った。

その頃、博人はNSEとの商談を終えて会社を出るところだった。

『先輩、うまくいきましたね!NSEも喜んでましたしね。』

『そうだな。』そう言いながら博人は盛んに時計を気にしていた。

『先輩、飲みにでも行きますか!』

『悪いな、今日はお前にも助けられたし、本当は一緒に祝杯でもあげたい気分だけど、ちょっと彼女と約束があるんだ。』

『えっ?彼女?先輩聞いてないですよ。ずるいな、いつできたんですか彼女?』

『ずるいとかそういう問題じゃないだろ。悪いな稔、また今度な。』

『はい、いいですよ。気にしないで下さい。またいつでも飲みに行けますから!』

『いつでもか・・・』

『何か言いましたか先輩?』

『いや、何でもない。じゃあな!』博人は急いで玲奈のもとへ向かった。

警視庁捜査一課強行犯係では、ある事件の捜査会議が終わって一服しているところだった。煙草の煙と汗の匂いが充満している部屋の中にいたのは、強行犯係主任の松田譲二だった。

『主任!さっきショカツから流れてきた情報なんですが、例の野崎が3日前に宇都宮刑務所から出所したそうです。』

『あいつが・・・それは本当なんだな?』

『はい、間違いありません。』

『よし、和田!すぐにショカツに野崎をマークさせろ!あいつをこの世界にのうのうと生きさせてたまるか・・・』その松田の目もまた、野崎とは違う別の鋭い眼光であった。

その頃、都心の薄暗いガード下では若者数人がたむろしていた。そこへ一人の男が歩いて来た。一人の若者の肩とその男の肩がぶつかった。

『おい!何ぶつかってんだよ!痛えじゃないか!』若者がからんでいった。

次の瞬間、若者は地面に倒れ込んでいた。気がつくとそこにいた若者5人はあっという間に、たった一人のその男に殴り倒されていた。

『何だ、歯ごたえの無い奴らだな・・・お金はいくらかな?』そう言うと男は、一人の若者の胸ぐらをつかんで言った。

『お金だよ、お金。ファイトマネーだよ。お前ら負けたんだからお金出しなよ。』その冷静で冷えきった口調は、まるで魂の無い人間の様だった。

『これで全部です。』そう言うと若者達はありったけのお金を渡して逃げて行った。

『ちぇっ、たったの5万かよ。』男はそれをポケットに押し込めて歩いて行った。

そう、その男は3日前に宇都宮刑務所から出所した野崎龍太であった。

博人は玲奈との食事を終えて、玲奈を家まで送り届けるところだった。

『今日どことなく元気なかったな玲奈。何かあったのか?』

『そんな事ないよ・・・初めて行くお店だから緊張していたのかも。』そう笑って玲奈はごまかした。

『ねえ博人、今度さ映画見に行こう、あと水族館もいいな。あとはねもう一回遊園地も行きたい!あとドライブもいいな、あとはね・・・』

『ちょっ、ちょっと待てよ玲奈、そんなに一辺には行けないよ。いいじゃん、これから沢山いろんな所に行けるんだ、そんなに慌てなくても。』

『慌てたいの!』思わず玲奈は大声を出してしまった。

『どうしたんだよ急に、そんなに怒らなくても。』

『ごめんなさい・・・違うの・・・何か博人といつも側にいたくて、つい・・・』

『大丈夫だよ、俺はいつも側にいるから安心しろよ。』

玲奈は博人の優しい言葉が胸に響いて、おもわず博人の胸の中に飛び込んで泣き出した。

『どうしたんだよ玲奈?やっぱり今日の玲奈は変だぞ・・・』

『しばらく、こうしていて・・・抱きしめていて、お願い・・・』

『わかった。』博人は何も聞かず、ただ玲奈を強く抱きしめていた。この時間がそう長くは続かない事も知らずに。

そして、その背後に一人の黒い服を着た男が電柱の影からその様子を伺っていた。その男の目は鋭く光る眼光だった。そう、野崎龍太だった・・・

今日も光り輝く満天の星空の下で、博人と玲奈はいつまでもいつまでも抱きしめ合っていた。玲奈に襲い掛かった病魔、それをまだ知らない博人、そしてもう一つ見えない所で二人を狙う野崎の鋭い眼光、様々な思惑と心が揺れ動く中、ただ博人と玲奈の心と心だけが固い絆と愛情で繋がっていくのを二人は感じていた・・・   To be continue

次回第13話を乞うご期待!

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

る るりあ046(るりあぜろよんろく。漫画家でもありイラストレイターでもある。代表作は『結合装甲カローン』。)

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ドン・ドン・天丼!

お待たせしました『天丼』です。

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

突然ですが、皆さんは『天丼』はお好きですか?僕は好きです。まあ、『豚丼』には負けますけどね。何てったって「豚丼先生」ですから(笑)

この「天丼」という食べ物はメインの海老はもちろんのこと、季節の旬の野菜魚介類を天ぷらでカラっと揚げて食することができる、非常に贅沢かつポピュラーな食べ物と言えますよね。

実は、僕が「日本一美味しい天丼」と思う天丼が帯広の隣町の音更町のとあるお店にあります。そのお店はお蕎麦屋さんなのですが、実に美味しい「天丼」をいつも食べさせてもらってます。友人のHきに誘われて、僕がこのお店に行くようになったのは数年前なんですが、ここの味を一度堪能すると他の天丼が食べれません。

もちろん蕎麦屋さんなので、蕎麦ももちろん凄く美味しいです。ですから、僕は「蕎麦と天丼のセット」をよくオーダーします。また、このお店は雰囲気も凄く良くて、お蕎麦屋さんなのに店内ではお洒落なカフェのように洋楽が流れており、こじんまりとした客席と非常にマッチしてます。お近くにお住みの方は行ったことはあるとは思いますが、僕的にはここの天丼は超オススメです!ぜひ一度、食べてみてください。

さて、今日は週に一度のミニバレーの日でした。今日のメンバーはFいさんHこNぶさんAゆNかMどか、そして猫男爵の合計7名でした。

季節が冬に近づいてきたせいか、体育館も徐々に混むようになってきました。しかし、今日も外の寒さを吹き飛ばすような熱戦が繰り広げられ、非常に心地よい汗をかくことができました。途中からお腹がすき過ぎて大変でしたけど(笑)また来週もみんなで楽しく汗を流しましょうね!ラーイ(笑)

明日は仕事の会議のために札幌に行ってきます。朝から汽車に約2時間揺られ、ちょっと行ってきます。日帰りなのでゆっくり札幌を満喫してくることはできませんが、汽車で小事件に出くわさない事を祈ります・・・(笑) おやすみなさい。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

か 川崎徹(かわさきとおる。日本を代表するCMディレクター。キンチョールの『ハエハエカカカ、キンチョール』や、富士フィルムの『それなりに』などは彼が手掛けたCMである。また1980年代の人気バラエティー『天才たけしの元気が出るテレビ』にもレギュラー出演するなど、マルチタレントとしても活躍している。)

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2007年10月22日 (月)

ありがとう、ノリック・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

昨日、三重県鈴鹿サーキットでは2輪レース全日本ロードレース選手権の最終戦が開催されました。レース前の一番熱気が溢れる時間だというのに、サーキット内は沈黙と涙にくれていました。本来であれば、この場所で多くの観衆に熱い走りを見せ、たくさんの拍手と歓声を浴びていたはずの一人のスーパースター追悼レースにこのレースがなろうとは本当に人生とは何が起きるかわからないです・・・

皆さんは「ノリック」と呼ばれていたバイクレーサーをご存知ですか?彼の本名は阿部典史(のりふみ)、愛称「ノリック」として全世界のバイクレースファンから愛されたレーサーです。

実はその彼はもうこの世にいません・・・悲しすぎる事実ですが、今月7日に事故死により帰らぬ人となりました。

僕がその一報を耳にしたのはニュース番組でした。『バイクレーサーの阿部さんが交通事故により帰らぬ人となりました。』というキャスターの声を聞き、僕は思わず自分の耳を疑いました。『阿部って・・・まさかノリックじゃないよな?』・・・しかし、悲しくもそれはノリック本人でした。

海外でバイクレースに参戦していたノリックは、今年から拠点を日本に移し全日本選手権シリーズに参戦していました。そして、その日は市道の片側2車線の右側をスクーターで走行中に、前方の左側車線を走行中の大型トラックが急にUターンをし、それを避けようとしたが間に合わず衝突、当初は意識があったものの搬送された病院で2時間半後に帰らぬ人となってしまったのです。享年32歳です。ちなみにその道路はUターン禁止区域でした・・・

世界で活躍した超一流レーサーの最期、それは病気でもサーキット上での事故死でもなく、「たった一人の無謀なトラック運転手の交通違反によるもの」という悲しい結末でした。悲しいです・・・悔しいです・・・それは天国にいるノリックが一番思っているかもしれません。

彼がこの道でデビューを飾ったのは1993年です。全日本ロードレースに18歳という若さで参戦し、いきなり総合優勝という史上最年少記録を更新するという離れ業を成し遂げたのです。そして翌年、ノリックは世界最高峰のロードレース世界選手権(WGP)に日本GPのみ参戦し、1995年からは本格的に参戦を始めたのです。

僕が初めて彼を知ったのはちょうどこの時期です。大学生だった僕が、深夜に何気なく見ていたテレビで、バイクレースが放送されていました。スポーツ好きの僕はついつい見いってしまったのですが、そこで多くの世界のバイクレーサーを前にして、長髪をなびかせて見事な走りを魅せる一人の日本人がいたのです。いつの間にか、僕はその走りの虜になってました。確か、そのレースは5位くらいに終わったと思うのですが、それ以来ノリックの大ファンに僕はなりました。

彼の魅力は何と言っても「攻める走り」です。先頭に立てば、後輪を滑らせながら華麗に逃げ切り、前に追うものがあれば果敢に抜きにかかる走りをする。そのために転倒することも多かったですが、それは彼がいかに限界ギリギリまで「攻めの走り」をしていたかという証です。

もう、あのノリックの走りを見れないと思うと辛くて仕方ありません。年齢も僕と1つしか変わらない歳でしたし、型にはまらない彼のスタイルと、屈託のない優しい笑顔、そして決していばらず飾ることのない彼の性格、すべてが大好きでした。

WGP通算3勝という栄光と、世界中のファンの心にしっかりと焼き付いているその数々の思い出を残して、今彼は天国へと旅立っていきました。でも、いつまでも悲しんでいる事をノリックは望んではいないと思います。彼は天国でも、あの愛嬌のある笑顔でいつも僕たちファンのことを見守っていてくれることでしょう。だから、僕は安心して心からノリックにサヨナラを言いたいです。『安らかに眠れよ、ノリック』と・・・

奇しくも昨日はF1ブラジルGPで中嶋一貴(10月12日のブログ「偉大な父を超えろ」でご紹介した)という一人の日本人ドライバーがデビューし、見事に10位完走を果たしました。車とバイクで種類は違うとは言え、同じモータースポーツのレーサーです。去る者がいれば、これからが始まりの者もいます。これから多く誕生するであろう、日本人レーサーには、ぜひノリックのような人の心にいつまでも残るレーサーになって欲しいと心から思います。

阿部典史、享年32歳、あなたの生きた道は決して無駄にはしません。あなたが残したたくさんの思いでは僕の大切な宝物です。本当にありがとう、ノリック!

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

け(げ) ゲルハルト・ベルガー(オーストリア出身の元F1ドライバー。あのアイルトン・セナの最大の親友でもあった。1980年代~1990年代にかけてベネトン、フェラーリ、マクラーレンなどの名門で活躍し、通算10勝を挙げている。)

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2007年10月21日 (日)

憧れの異国の地

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

先日、テレビである芸能人がヨーロッパを旅し、グルメや名所を紹介する旅行番組が放送されており、僕はついつい見いってしまいました。

考えれば僕が海外旅行したのは10年前の大学の卒業旅行でグアムに一度行ったきり・・・パスポートもそれ以来更新してないから期限切れです。社会人になってからは仕事の関係であんまり長期休暇が取れないので行きたくても行けないのが現状です・・・

先日、美容室に行った時に担当の人が『今度、バリ島に行ってくるんです。』という話になり、その人は海外旅行が初めてらしく、二人で妄想しながらしばらく海外旅行の話で盛り上がっていました。ちょうど今頃、バリ島に旅行に行っているはずです。きっと楽しんでいることでしょう。

僕も海外にはいつも憧れを持ってます。飛行機があんまり得意でない僕ですが、旅行に行くためならそれぐらいは我慢します(笑)

行きたいところはいっぱいあります。

暖かい所に行くなら、タイのプーケットシンガポールあたり。プーケットは何と言っても青く澄んだ海が魅力です。太陽を燦々と浴びての日光浴と、世界最高峰のリゾート地でちょっとセレブ気分に♪最高だな~

でも、ヨーロッパにも凄く魅力を感じます。一番行きたいのはイタリアです。本場のパスタを食べて、思わず『ボーノ♪ボーノ♪』と言ってみたいです(笑)そしてセリアAユベントスの試合を観戦。ファッションの街ミラノでも買い物してみたいです。

次に行きたいのはギリシア。何と言っても古代から残る神殿の数々、歴史が伝える文明を自分の目で確かめてみたいです。あとは、スイスオーストリアのアルプス山脈の景色にも憧れます。あの「アルプスの少女ハイジ」のように傾斜が広がる大地に一度行って、思いっ切り大声を出して本場の「こだま」を実感してみたいです。

時間さえあれば車でアメリカ一周なんていうのもしてみたいですが、まあそれは不可能だと思うので夢物語にしておきます。

いずれにしても、海外旅行って日常の生活からかけ離れた時間と空間を提供してくるので凄く楽しいと思います。今まで知らなかった事、見た事のないもの、多くの人々との出会い、すべてが自分の人生の中で確実に役立つ事ばかりですよね。

もう少し僕も若くて背負うものが何もなければ、自分の人生を自由に「旅人」として生きてみたかったなあ~と、たまにふと思います。

皆さんも、海外旅行にはきっと興味があるとは思いますが、どこに行きたいですか?あるいは、どこが楽しかったですか?「武勇伝」などあったら教えてください。

ちなみに僕の武勇伝は、グアムに行った時にクルーザーで沖に出たのはいいのですが、完璧に船酔いしてゲロゲロです(笑)さらにその後、魚を見るために水中に潜ったのですが、シュノーケルのゴムの匂いになじめず、また気持ち悪くなりゲロゲロ(笑)結局その日は一日中ゲロゲロです(笑)

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

や 山中正竹(やまなかまさたけ。高校野球などの野球解説者として活躍していたが、現在は横浜ベイスターズの常務を務めている。ドラフト制度検討委員会の委員長も務めている。大学・社会人を通じて、選手・監督として長年活躍した。バルセロナ五輪の全日本の監督も務めた。)

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2007年10月20日 (土)

闘魂列伝 ~第三世代~

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

さて、プロレスファンの方ご無沙汰してました。今日はお待ちかね「闘魂列伝」です。今回は「第三世代」のお話です。どうぞ楽しんでください。

新日本プロレスのマットは、「闘魂三銃士」が席巻していた1990年代半ばから1990年代後半に差し掛かりました。「時代」は流れ、闘魂三銃士の武藤と橋本は新日本を脱退し他団体へ移籍します。唯一残った蝶野も「nwo」などのアウトロー軍団を結成し、新日本プロレス本体とは確執を持ち始めました。

そんな頃に、新日本の中核となるべく活躍したのがいわゆる「第三世代」です。その中心となったのが中西学永田裕志天山広吉小島聡の4人です。

中西学と永田裕志は常に正規軍として新日本のマットを守ってきた二人です。この二人の共通点はともにアマチュアレスリング出身ということです。

中西は1992年のバルセロナ五輪に出場した選手です。同年に新日本プロレスの門を叩きデビューを果たしました。彼の魅力は何と言ってもその恵まれた体格を活かした野性味溢れるパワースタイルです。ニックネームは「野人」「和製ヘラクレス」です。

得意技の「アルゼンチンバックブリーカー」はどんなレスラーでもかなりのエネルギーを吸い捕らえる技です。この他にも「ヘラクレスカッター」「野人ハンマー」などの力技や、タッグの時に使う「ワシントン条約」「京都議定書」という変わった名前の技をもつのも特色のひとつです。中西は色々な新技の開発が好きみたいです。

この中西のライバルとして正規軍に君臨するのが永田です。彼もアマチュアレスリングではかなりの実績の持ち主で、1992年の全日本選手権優勝後に新日本の門を叩きました。前述の中西とは同期になります。この年は、この他にも石澤常光(ケンドー・カシン)大谷晋二郎、さらには全日本の秋山準などが同期で、黄金世代とも言われています。

永田はその巧みな寝技や関節技を活かし、IWGPヘビー級のタイトルを10度も防衛し「ミスターIWGP」とも称されています。その対応力は新日本一だとも言われています。確かに派手さはないが実力では永田が一番だと僕も思います。

彼の得意技は何と言っても「ナガタロック」です。これは永田の関節技の呼び名ですが、「ナガタロックⅠ~Ⅳ」まであります。どれも微妙にかける技の種類が違います。さらには「サンダーデスドライバー」「サンダーデスキック」などの「サンダーデスシリーズ」という技もあります。いずれにしてもプロレス通にとっては彼の実力は折り紙つきです。

そして、この二人に負けず劣らず新日本のマットで活躍したのが「天コジ」と言われる、天山広吉と小島聡です。

天山は1993年のヤングライオン杯を制し海外修行に旅立ち、1995年に凱旋帰国しました。その後は蝶野が率いる「nwo」に加入しヒールとして活躍を見せます。その後、小島とともに「天コジ」という名タッグコンビを結成し、IWGPタッグ王者にも君臨しました。

常に「蝶野の子分」や「NO.2」などの呼称が付きまとった天山も独り立ちし、シングルでも王者に輝くなど、新日本のマットを十分に席巻する実力者になりました。彼の得意技は「モンゴリアンチョップ」「ムーンサルトプレス」「マウンテンボム」「TTD」などです。

見かけはコワモテで、コメントや態度でも悪態をたたきますが、実は新日本一の好青年で正確は温厚でとても優しい人なんです。『人は見た目ではない』という言葉は彼にぴったりの言葉です。

その天山とライバルでもあり名コンビを長らく組んだのが小島です。小島は天山の1年あとのヤングライオン杯を制し、海外修行→凱旋帰国という天山とまったく同じ道を歩みました。天山の親分が蝶野ならば、小島の親分は武藤です。武藤に誘われ「nwo JAPAN」に加入し、武藤が新日本を離脱すると同じく小島も武藤の跡を追っていきました。

そして武藤が化身と化す「ザ・グレート・ムタ」を真似て小島も「ザ・グレート・コスケ」として化身を見せることもあります。彼のトレードマークはオレンジを基調としたコスチュームです。また、ファンサービスの良さに関してはプロレス界NO.1と言われています。

彼の得意技には「小島式ウエスタン・ラリアット」というのがありますが、この技は何とあのスタン・ハンセンから直接指導を仰いだというから驚きです。その他にも「コジコジカッター」「コジMAXホールド」「コジMAXドライバー」などのオリジナルの技を持っていますが、僕が一番好きなのもは「いっちゃうぞエルボー」です。この技は『いっちゃうぞ!バカヤロー!』の叫びと共にトップロープに上がってダイビングエルボードロップをくらわす技ですが、会場の盛り上がりがMAXに達する技なので大好きです。

こうして、1990年代後半~2000年代にかけて新日本のマットを支え続けた「第三世代」もそれぞれがそれぞれの道へと進みながらも、今もプロレス界の人気を大きく支えています。彼らの存在は無くてはならないとても重要な役割だったと僕は思っています。

そして「時」は流れ、世代交代の時期へと徐々に差し掛かっていきます。新日本のマットでは「新闘魂三銃士」と言われる「新世代」の台頭が目立つようになり、彼らを中心に興行も動くようになっていきます。次回は、いよいよ「闘魂列伝」の最終回!新日本プロレスの未来を支える「新世代」についてお話してみたいと思います。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

う 潮哲也(うしおてつや。テレビや映画などで活躍する俳優。フジテレビ系列の「スーパー競馬」の初代総合司会を務めていた。)

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2007年10月19日 (金)

川崎球場が熱く燃えた1日・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

今から19年前の1988年10月19日、この日が日本プロ野球の歴史上で伝説の1日になることを一体どれだけの人が予測していたことでしょう・・・いわゆる「10.19」野球ファンにとっては忘れる事のできぬ、熱く、そして長い1日です・・・

この年のプロ野球パ・リーグは序盤から西武が独走し、終盤になり近鉄が執念の粘りで追いつくという、2チームによるマッチレースが繰り広げられていました。

当時の僕は中学2年生でした。ちょうどこの年に秋にはソウル五輪が開催され、鈴木大地の金メダルや、ベン・ジョンソンVSカール・ルイスの100m対決など、日本中が五輪で盛り上がっていました。しかし、その影で僕はこの西武と近鉄の優勝争いを固唾を呑んで見守っていたことを憶えています。

当時の西武と言えば、いわゆる黄金期を迎えており、打者では清原、秋山の中軸に加え、辻、石毛、伊東などの脇役が、投手陣も工藤、渡辺久信などのスターが勢ぞろいしてました。これに対し近鉄はどちらかと言えば地味なチームでしたが、いまは亡き名将仰木監督のもとにチーム一丸となって「打