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2007年8月16日 (木)

人生を変えた20球・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

今日は忘れられない1日になりそうです。何と、74年ぶりに日本国内の最高気温記録が更新されました!1933年に山形市で40.8℃という記録があることは以前にもブログの中でご紹介したと思いますが、今日岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9℃という最高記録が樹立されたのです!地元の人にとっては、嬉しいものなのか、それともウンザリするような出来事なのか・・・それはわかりませんが、連日続くこの猛暑はいつまで続くのでしょう・・・今日の北海道は久しぶりの雨で気温も下がり非常にすごしやすい一日でした。この激しい気温差の中、皆さん健康管理には十分気をつけてくださいね。

さて、今日ご紹介するお話は今から15年前の今日、1992年8月16日「社会問題」として世間を騒がせるまでに至った、甲子園球場で行われたひとつの試合についてです。

1992年8月16日、僕は当時高校3年生で僕と同い年の高校野球界のスパースター「怪物」と呼ばれていた選手の試合を見るために試合前からドキドキしながらテレビの前に張り付いていました。

その選手とは、星稜高校松井秀喜(現ニューヨーク・ヤンキース)選手です。彼は1年生から星稜高校の4番打者として活躍し、この年の夏は最後の甲子園ということもあり多くのマスコミの注目の的となっていました。もちろん僕も彼の活躍を楽しみにしている一人でした。

その日は、試合巧者とも言われる高知県代表の明徳義塾高校との2回戦の試合でした。しかし、試合が始まると好試合と思われた試合の状況が一変したのです・・・

明徳の先発投手は本来は外野手の河野選手。初回、星稜は松井の前にランナーを置きチャンスを向かえます。ここで明徳がとった作戦は松井を「敬遠」する作戦です。僕は『やっぱり相当松井は恐いんだな』と思い戦況を見守っていました。結局後続は倒れ、星稜は無得点。

続いて迎えた松井の第2、第3打席はいずれもランナーを塁に置くチャンスで回ってきて、いずれも「敬遠」・・・僕は『何だこのチームは?勝負すれよ!』と思ったことを憶えています。

そして、僕を完璧に怒らせたのが第4打席です。松井の前にはランナーはいません。『ここは真剣勝負だろ?』と思っていた僕の予想はその瞬間、信じられない光景に変わりました・・・何とまたしても「敬遠」・・・考えられません!僕は腹が立って仕方ありませんでした!三塁側の星稜応援団からは激しいブーイングが起こりました。当然です!いくら松井が強打者とはいえ、ランナーなしの状態で何故勝負をしないのか?意味がわかりません!

そして、明徳が3対2とリードして迎えた9回表の松井の第5打席、ここでも松井は「敬遠」され、5打席連続敬遠で一塁ベースへと走っていきました。松井は一度もバットを振ることなく、ただをぐっと噛みしめて一塁へ走っていくだけでした。僕は憤りを越えて悲しくなってきました・・・『何のためにこの3年間辛い練習に耐えて、ここまで頑張ってきたの?ここで自分の力をぶつけないで何が高校野球なの?』松井の痛々しい姿が僕の心の中にまた熱いものを呼び起こしてしまい、が溢れてきました・・・

実況の人の『僕は何のために甲子園へ来たのか・・・』というそのフレーズが今でも耳から離れません・・・本当にその言葉通りです。結局、後続の選手が凡打し星稜は敗退しました。勝った明徳の選手が校歌を斉唱している最中、球場内には激しいブーイングや「帰れ!」という罵声で校歌は全く聞こえないほどでした。三塁側の星稜応援団からはメガホンやゴミが投げ込まれ球場内は異様な雰囲気に包まれました。僕の目にはその光景が今でもしっかりと焼きついてます・・・今までにあんな光景は後にも先にもあの試合だけです。

試合後のインタビューで明徳の監督『あの敬遠の作戦は私が指示しました。生徒達には私がすべて責任を取るから心配するなと伝えました。私たちも高知県代表として負けるわけにはいきませんから。』とコメントしています。その後ろで、勝った明徳の選手たちの顔に笑顔はありませんでした。

当時、この社会問題にまで発展した試合は賛否両論を含め大きな物議となりました。確かに「勝つための手段であってルール上何の問題もない」という意見もありました。しかし、「高校野球の精神に反する」や、「高校生の課外活動の一環の中で勝つことだけにこだわりすぎる指導方針は間違っている」という意見も数多く出ました。僕が思うに「答え」などきっとありません。「どれが正しい」とかそういう問題ではありません。

僕が思うのは『スポーツ」というものを通じて、その時その瞬間にしかできない貴重な経験や思い出を奪ってほしくない』ということです。きっと選手たちは一生この試合の事を「嫌な思い出」として背負って生きていかなければならないことでしょう・・・投げていた投手は、もし松井と真剣に勝負して打たれていたとしても、後になれば『俺は甲子園で堂々と松井と勝負したんだぞ!まあ、結果的には打たれたけどね。』と笑いながら思い出話ができたことでしょう。試合後の選手の顔を見れば、それを奪ってしまったことは一目瞭然です。

監督は「勝つため」と言いますが、『勝った選手に笑顔が無い、これが本当に「勝った」と言えますか?これが青春ですか?これが高校3年間の部活が示す姿ですか?』僕は何度も何度も明徳の監督にそう強く訴えかけました。

松井は試合後、グっと涙をこらえてインタビューに答えていました。それを見ている僕は怒りが爆発しそうになるのを必死に抑えていました。本気で明徳の監督をぶん殴りに行こうと思ったくらいです。

この試合後、明徳の宿舎には抗議や嫌がらせの電話が殺到し、選手の身を守るため警察も出動する騒ぎにまで発展しました。結局、明徳は次の3回戦の試合は思うような力を発揮できず敗退しました。試合中にはあちこちから野次が飛び、選手たちは泣きそうな顔をしながらのプレーでした。

試合後、選手のひとりは『甲子園に来ないほうが良かったかも。星稜戦で勝ってから僕たちも辛かったけど、監督が一番辛かったはず。だから監督の為にも絶対に勝ちたかった・・・』そう答えてました。こんな事を言う選手の気持ちを考えたら、『明徳の監督は何をやっているんだ!』とまた憤りを感じました。選手達は当然何も悪くありません。監督の指示に従っただけですから。その監督を一切責めずに、逆にかばう明徳の選手の涙に僕は絶対に明徳の監督を許しておくことができませんでした!

この事件から10年後の2002年、明徳は「全国優勝」を成し遂げました。その際に、当時巨人の選手だった松井はこうコメントしています。『僕の5連続敬遠でこの10年間、明徳の監督さんは色々大変な思いをしたことでしょう。でもこうやって優勝という大きな喜びを得たことを素直に祝福したいです。今となっては良い思い出です。負けたことは悔しいですが、5連続敬遠は打者としての誇りです。』この言葉をどんな思いで明徳の監督は聞いたのでしょう?松井は男です!本当に男の中の男です!

一方で、松井を「敬遠した男」してそのイメージを植えつけられた河野選手は選手としてはプロでも通用する実力がありながらも、大学卒業時も社会人に入ってからも一度もプロの指名にかかることなく、今は消息は不明です・・・たったひとつの試合が、河野君が投じたたった「20球」が彼の人生を大きく変えてしまったのです。あの時、真剣勝負を挑んでいたら・・・悔やんで悔やみきれない過去なのです。

今日も阪神甲子園球場では高校球児たちの熱い戦いが繰り広げられてます。そこには、ただひたむきに白いボールに青春のすべてをかけた、高校生の熱い想いが込められています。もう二度と、15年前に起きたあの悲劇を繰り返していけません。「甲子園」という舞台には、「高校球児」という役者がいます。でも、それを演出するのは監督でも誰でもありません、選手たちが真剣に必死にプレーするからこそ、そこに筋書きの無いドラマが誕生するのです!その事を決して忘れてはいけないと僕は切に願います・・・

今日は15年前の今日、甲子園球場で起きたある事件についてご紹介させていただきました。

昨日の「睡眠しりとり」は姪っ子の勝ちで対戦成績は姪っ子の5勝3敗3分けです。

それでは今日はこのへんで。チャオ(ciao!)

(今日のマニアック有名人しりとり)

ふ(ぶ) ブコビッチ(1980年代後半に西武ライオンズでプレーした、アメリカ出身のプロ野球選手。ヒゲを蓄えた少しコワモテの顔とは裏腹に目立った活躍はしなかった。)

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