« 大和撫子の美しさ | トップページ | 僕と愛車の記念日 »

2007年6月 1日 (金)

和製フリットと呼ばれた男・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

今日から6月が始まりましたね。少し肌寒い6月のスタートでしたが、天気予報ではしばらくは晴れる日が続きそうなので、少し安心している猫男爵です。

さて、今日はサッカーのお話をしてみたいと思います。

「ルート・フリット」(グーリットと呼ぶ事もある)、サッカー好きの方であればこの名前を知らない人はいないと思います。彼は元オランダ代表世界的なスーパースターで、1980年代~1990年代を代表する選手です。

フリットはストライカーからリベロまで、ありとあらゆるポジションをこなしたユーティリティプレーヤーで、ピッチ内を自由に動きまわり、あらゆる局面に顔を出す当時のその自由奔放なプレースタイルは「サッカーの革命児」とも称されたほどでありました。しかし、それがゆえに選手を戦術の型に当てはめるタイプの監督の下ではなかなか結果を出せないケースも多かったのです。

僕が初めて彼を見たのは、彼がイタリアセリエAのACミランでプレーしていた1980年代後半です。当時のACミランには、同じオランダ代表のFWファン・バステンや、MFライカールトが所属し、フリットを含めこの3人は「オランダトリオ」と言われました。この頃のACミランは黄金時代を迎えており、数々のタイトルを総ナメにし、チャンピオンズリーグをも制し日本で開催されたトヨタカップにも来日しています。また、フリット自身もバロンドールに輝くなど大活躍をした時代でした。

僕は彼のプレーをテレビで見ながら、『すごい!こんなに楽しそうにサッカーをする選手がいるなんて!』と思いました。彼の動きはまさに、アニメの世界にも近い、想像をはるかに超える異次元のプレーだったのです。

そんなフリット全盛の時代に、日本にも「和製フリット」と呼ばれた男がいたことを皆さんはご存知ですか?その男とは、実は当時はまだ現役の高校生だった一人の少年だったのです。その少年の名前は知る人ぞ知る「石塚啓次」です!

彼は京都府立山城高校3年生の時に、全国高校サッカー選手権に出場しました。そのプレーの評判は大会前から注目されており、僕も彼のプレーを見るのを楽しみにしていました。が、しかし・・・大会前に痛めたケガにより全く出場できなかったのです。

しかし、山城高校は決勝戦に駒を進め、いよいよ石塚は試合途中から出場することとなったのです。今でも僕はその瞬間の事をよく憶えています。『石塚って、いったいどんな奴なんだ?本当に和製フリットなのか?』僕の心はワクワク感とドキドキ感でいっぱいでした。

そして石塚が交代の準備をしていよいよピッチ上に出てきました。それと同時に起こったものすごい拍手と歓声!プロでもこんなに交代選手が盛り上がる事はないというほどの大歓声でした。と、同時にその石塚を目の当たりにした僕は衝撃を受けました!『えっ?こんな選手はありなの?』僕は驚きました。彼のその風貌は金髪ピアスネックレス、そして顔は日サロで焼いたような浅黒さ、どうみてもスポーツをやる高校生とはかけ離れた、チーマー風の高校生でした。

ピッチにたった彼は、時折不適な笑みを浮かべながらプレーしていました。184cmという大柄な体ではありますが、動きはスピーディーで細かなフェイントやドリブルを披露するあたりは、「和製フリット」と呼ばれる一部をかいま見ました。ただ、ケガの影響からか本来のプレーはできなかったようです。

翌日の新聞を見ると、テレビを見ていた視聴者から『あの不良は何だ!』『あんな奴はスポーツマンでない!』などの苦情が殺到したそうです。違う意味でも彼はこの頃から存在感があったんですね。ただ、僕は彼のプレーは決して嫌いではありませんでした、『何か今までの日本人に無い何かを持っているので、将来の日本の10番を背負う可能性は十分にあるな・・・』と思った事を思い出します。

その後、石塚は僕が大好きなカズ(三浦知良)がいるヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)にプロとして入団しました。そして、「ミスターヴェルディ」ラモス引退後は彼の後を継ぎ、栄光の10番を背負ったのです。

その甘いマスクとモデルのようなスタイルから女性ファンも多かったのですが、ビッグマウスとクールな性格から男性ファンも多かったのが彼の特徴です。実は彼はこれほどの注目度がありながら、一度も日本代表の経験が無いまま引退したのです。しかし、彼の存在は伝説的な扱いを受けることが多く、サッカーに詳しい人の間ではかなりの人気を誇示するスター選手なのです。まあ、僕も彼を好きなその一人なんですが(笑)

結局彼は、Jリーグでも目立った活躍をするわけでもなく、代表に召集されるわけでもなく、数チームに移籍を繰り返したのちに引退し、ピッチを後にしたわけですが、それでも彼のその名前と存在が強く残るのは、あの高校サッカー選手権決勝の登場シーンがいつまでも印象深く頭にあるからだと僕は思います。

『和製フリット、石塚啓次』、彼の名前と風貌は絶対に忘れることはないでしょう・・・僕の中では3本の指に入るスター選手です。皆さんの中にも彼のファンだったという人もおそらくいますよね?そう願いたいです。

それでは今日はこのへんで。

(今日のマニアック有名人しりとり)

き 霧島(元大関。120キロ代の小兵ながらも、「和製ヘラクレス」と呼ばれた強靭な筋力で大関の座までかけ昇った努力家である。その甘いマスクも女性ファンを虜にし、大関陥落後も最後まで諦めない相撲が人気に拍車をかけた。1996年に引退した。)

|

« 大和撫子の美しさ | トップページ | 僕と愛車の記念日 »

コメント

サッカーの話題には食いつかないわけにいかないね。
と言いたい所だけど、実はよく知らなかった。
石塚自体は知ってるけどそんな逸話があったとは。
自分が知る限りではあまり印象に残ってないもんな・・・
将来性のある選手が怪我をキッカケにあまり
活躍できないで終わることは寂しいよね。
でも、スターって一瞬でも他の選手と違う光を放つ。
その一瞬を見た人には忘れられない存在だよね。

投稿: fotofoto | 2007年6月 2日 (土) 06時12分

fotofotoさん
こんにちわ。
石塚の高校時代を知っている人はなかなかいないんですよね(笑)スーター性はピカイチだったんですが・・・ケガがやはり影響したのかプロでは活躍できませんでした。
スポーツ選手にケガはつきものですけど、fotofotoさんの言う通り、そのケガのせいで選手生命が絶たれるのは寂しいですよね・・・

投稿: 猫男爵 | 2007年6月 2日 (土) 09時42分

知ってるーっ!!石塚!
おはようございます。
知ってるっていうか、その選手権のときのものすごい注目のされた事しか知りませんが、生意気そうで、いかにも”ザッツJリーグ初期”的な印象がありますね。
ヴェルディに入ったのは知ってましたが、そういえばあまり名前を聞きませんでしたね。
引退してたんですか?目指せ!プロゴルファー系?

投稿: Hこ | 2007年6月 2日 (土) 10時44分

Hこさん
こんにちわ。やっぱりHこさんは知ってましたか(笑)
彼のピークは高校生だったのかもしれませんね。Jリーグではほとんど姿見ることなく消えてしまいましたからね。
確か、引退後はブランドショップかなんかを経営しているような話を聞いた事があります。間違っていたらゴメンなさい。

投稿: 猫男爵 | 2007年6月 2日 (土) 14時58分

初めまして。
石塚について色々調べていたらここにたどり着きました。
自分は高校時代石塚と対戦したこともある同じ時代に京都でサッカーをしていた者です。
やはり本人も言うとおり高校時代が全盛期だったと思います。2,3年生の頃の石塚はまさに和製フリットの呼び名にふさわしいプレーをしていました。
もちろん自分も石塚が好きなので彼を好む人たちがほかにもたくさんいる事を知りとても嬉しかったのでコメントさせていただきました。

投稿: けんちゃん | 2008年2月13日 (水) 00時23分

けんちゃんさん
はじめまして。コメントありがとうございます!
そして、石塚と高校時代に対戦した方からのお話を聞けるなんて嬉しい限りです。
僕はTVの前でしかあの和製フリットと呼ばれた石塚のプレーを見た事が無かったので、けんちゃんさんの言葉を聞くと、いかに石塚が当時凄かったのかがよく伝わってきます!
僕の書いたブログを見ていただき、そして共感していただいた事は、本当に嬉しい限りです!ありがとうございました☆

投稿: 猫男爵 | 2008年2月13日 (水) 00時56分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/211087/6628571

この記事へのトラックバック一覧です: 和製フリットと呼ばれた男・・・:

« 大和撫子の美しさ | トップページ | 僕と愛車の記念日 »