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2007年6月 8日 (金)

DAICHIの戦略・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

時は今から19年前の1988年秋韓国ソウルのとあるプールの第3コースのスタート台にある一人の日本人が立っていました。ほとんどの日本人が彼の名前すら聞いた事のない、そんな状況の中で彼は精神を集中していました。そしてその1分後、彼の人生は一変しました!国民的な英雄にその姿は変わったのです。まさに運命の瞬間が訪れたのです・・・彼の名前は鈴木大地水泳ニッポンに16年ぶりにオリンピックで金メダルをもたらした男です!

僕が彼の事を知ったのは、ソウル五輪が始まる直前の「五輪特集」みたいなテレビ番組だったと思います。『水泳日本で注目の選手がいる』ということで僕も興味津々に食い入ったことを思い出します。が、しかし日本人の注目度はそれほど彼にはなく、期待度としては柔道や体操、マラソンの瀬古や中山、女子バレー、さらには当時はまだアマチュア主体だった野球(野茂、古田などがいた)などの種目に集まっていました。

いざ五輪の水泳競技が始まり、大地も男子100m背泳ぎ予選に出場しました。特別早いタイム、早い順位でもない彼の姿に僕は疑心暗鬼になったことを憶えています。予選の結果、トップのバーコフ(米国)(当時の世界記録保持者)からは1秒39も遅れていました。たぶん期待を寄せていたほとんどの日本人は『ダメだなこれは・・・』と思ったはずです。しかし、僕は頑なに『鈴木大地は金メダルを取るよ!』と、一緒に見ていた母に話していた事を憶えています。母もよく当時の話をすると、『あんたは絶対、鈴木大地が金を取るって言い張ってたよね。』と言います。

そして、いよいよ決勝の時間が訪れました。鈴木大地は3コース。4コースには予選トップのバーコフ、5コースには予選2位のポリャンスキー(当時のソ連)がいました。場内アナウンスで選手が紹介され、大地も観衆に手を振りましたが、その目は真剣そのもので集中している様子がうかがえました。その時僕は『これはいける!』と感じました。

電子音が鳴り大地は勢いよくスタートしました。20m・・・25m・・・当時開発されていた「バサロ泳法」をする大地は通常はこの25m付近で水面に浮上してくるのですが、実は大地はそれを30mにまで延ばす戦略を取っていたのです。

通常の大地のバサロ泳法は21回のキック数で25m付近で浮上してきます。これ以上の時間を水中で過ごすと後半のスタミナまでが奪われるので、この距離が最適であると練習の中から導き出していました。ところが、『バーコフに勝つにはそれでは勝てない』と大地とコーチがレース直前にバサロの延長を決めたのです。

その裏には、バーコフが『プレッシャーに弱い・・・』という情報を手に入れていたからです。という事は、『水面に上がった時に自分の隣りに大地がいれば、必ずバーコフは焦って自分のリズムで泳げなくなる』と大地とコーチは考えたのです。が、しかしそれとともに大地自身の体力も消耗されることは避けられないことで、これは一か八かの賭けだったのです。

どうしてもそこまでしても大地にはこの五輪で金メダルを取らなければならない理由があったのです。実は彼はこの五輪を最後の五輪と自分で決めていたのです。そして4年前のリベンジを誓っていたのです。4年前とは、1984年のロサンゼルス五輪です。当時17歳で出場したこの五輪で彼は100m、200mとともに予選落ちという厚い世界の壁に打ち砕かれていたのです。

レースは50mでターンをして、75mを過ぎ、大地、バーコフ、ポリャンスキーの3人は横並びになりました。残り10m、5m、3m、1m・・・僕は絶叫しました。『行けっ!大地!!』そして3人の腕がほぼ同時にゴール板を叩きました。僕には誰が勝ったのかわかりませんでした・・・

次の瞬間、実況のアナウンサーが『勝った!鈴木大地金メダル!』と少し声を震わせて絶叫しました。僕もそれを聞き、一緒に見ていた親戚の子と手を叩きながら喜んだのを今でもはっきりと憶えています。そして後ろにいた母が『あんたの言う通りになったね!凄いわ!』と感心された事も憶えています。

ただ、当の本人の大地にはまだその結果がわからなかったのです・・・目の悪い彼には電光掲示板に出ている結果が見えなかったのです・・・彼は泳ぎながら少しずつ電光掲示板に近づいていき、そして目を細めそれを確認しました。ぼんやりと「1位、D.SUZUKI」の表示が彼の目に飛び込んできました。彼は喜びを抑えるように小さくガッツポーズをしました。彼の4年間の戦いが終わった瞬間でした・・・それも最高の勝利の形で・・・

この4年間にはとても言葉では表現できないほどの、凄まじい努力があったそうです。練習後は「シャンプーの泡」でさえも重く感じた事もあったそうです。また、練習のし過ぎで指と指の間には皮膚が発達して水かきのようなものができたそうです。まさに過酷なトレーニングの証ですよね。こうした、『絶対に金を取るんだ』という情熱が彼を勝たせたのかもしれませんね。タッチの差でも勝てるように爪を人よりも延ばしたりもしていたそうです。きっと勝負の神様というのものは『本当に一番勝ちたいと思っている人に最後は勝たせる』のではないでしょうか?ふと、そう思いました。

鈴木大地さんは現在は、母校の順天堂大学助教授としてスポーツ医科学の研究に取り組む傍ら、水泳部監督や解説者としても活躍しています。彼が今度は指導者としての立場でどんな選手を育ててくるのかすごく楽しみですが、後にも先にも彼のような英雄はきっと現れないのではないかと僕は思ってます。

あの日からすでに19年が経つというのに、つい昨日のように思い出してしまうのは、たった1分間のレースの中に様々なドラマがあり、そしてなおかつ結末が感動的であったからなのでしょうか・・・僕の中ではスポーツ名場面からは絶対にはずすことのできない思い出のシーンです。

鈴木大地、彼がこの日、手にした金メダルは血のにじむような練習から生まれた「努力の結晶」だったのではないでしょうか。五輪の金メダルは数多くあっても、これは世界に1つしかない彼だけの「宝石」なのではないでしょうか・・・

それでは今日はこのへんで。

(今日のマニアック有名人しりとり)

い 石川よしひろ(1990年代前半に活躍した男性シンガーソングライター。僕が一番好きな曲は「曇り時々晴れ」。大のコーヒー好きで、一日に喫茶店を何軒もハシゴするらしい。)

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コメント

おはようございます。
僕も見ていましたよ、鈴木大地。
もう19年も経つなんて早いですね!そのころから大地という名づけがはやりましたよね。
その金メダルをとったレースで僕がおぼえてるのは、ゴールするとき最後のひとかきをしないで、スッと壁に腕をのばしその差で勝利したんでなかったでしたっけ?

投稿: Hこ | 2007年6月 9日 (土) 10時12分

Hこさん
おはようございます。
Hこさんも大地世代ですね!Hこさんの言うとおりです。最後の腕の伸ばしかたで大地は金メダルを取ったんです。
本当にあの瞬間が19年も前の事なんて信じられません・・・

投稿: 猫男爵 | 2007年6月 9日 (土) 11時15分

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