闘魂列伝 ~闘魂三銃士~
こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。
今日は一日雨でしたね・・・明日も雨のようです。せっかくの週末だっていうのにがっかりですね。早く夏の青空が帰ってくることを祈ります。
さて、今日は新日本プロレスの歴史をたどる「闘魂列伝シリーズ」の第5弾として「闘魂三銃士」をお送り致します。しばしの間お付き合いよろしくお願いします。
1990年代に入り、アントニオ猪木が一線を退き、長州力、藤波辰己などの主力も過渡期を向かえ、プロレス界は新たなヒーローの登場を待ちわびていました。そんな中、新日本のリングにきら星のごとく現れたのが俗に「闘魂三銃士」と呼ばれる、橋本真也(故人)、武藤敬司、蝶野正洋の3人です。
彼らは1984年に時を同じくして新日本プロレスの門を叩きました。同期ということもあり3人は切磋琢磨しデビューを果たします。1987年に開催された第3回ヤングライオン杯では蝶野が優勝し、海外修行の権利を得て武者修行へと出発したのです。
それでは、闘魂三銃士をあまりよく知らない人のために一人ずつご紹介してみたいと思います。
橋本真也、彼のトレードマークは鉢巻きを付けて印を結びリングに上がる姿勢です。そして130kgを超える巨漢から繰り出される強烈なキックから「破壊王」「爆殺シューター」などと呼ばれていました。
人気絶頂を迎えた闘魂三銃士の中で、蝶野や武藤が新軍団を作る中で、橋本だけは正規軍を守り続け、IWGPのベルトも通算で20度防衛するなど、1990年代はまさに橋本の時代でした。その技の種類は、水面蹴りや袈裟斬りチョップに各種キックという力技に加え、DDTという得意技を持ち合わせていました。
しかし彼の人生はある男との出会いで一変しました・・・1997年、柔道界から格闘技界へ転身した小川直也との戦いがすべての始まりでした。初戦で小川にKOされ、2戦目は逆に小川を失神KOさせリベンジに成功。その後も度重なる抗争を重ね、因縁の関係に二人はなっていきました。そして2000年4月の東京ドーム戦、橋本は『負けたら即引退』を公約し小川戦に挑みました。が、しかし・・・結果は惨敗・・・そして公約通り辞表を提出し引退の道をたどったのです。
しかし、熱心なファンの子供からの復帰を願う百万羽の折り鶴をきっかけに引退を撤回しリングに復帰します。その後、フロントとの折り合いが合わず解雇され、新団体「ZERO-ONE」を設立し、和解した小川とコンビを組み活躍の場を見い出したのです。しかし2005年7月11日脳幹出血で倒れ、40歳という若さでこの世を去りました・・・
橋本を努力の人に例えるなら、「天才」と呼ばれたのが武藤敬司です。彼は「日本マット界の至宝」「スペース・ローンウルフ」「天才を超えた魔術師」など数々の名を欲しいものにし、数多くのベルトも腰に巻いてきました。
彼の魅力は何と言っても多彩な技の数々です。軽快な動きからアクロバティックな技も身軽にこなし、その甘いマスクから女性ファンを虜にさせました。その中でも僕が好きな技は、ムーンサルトプレス(僕が見たレスラーの中で一番キレイです)、シャイニング・ウィザード、ドラゴン・スクリュー、フランケン・シュタイナーなどなどまだ数多くあります。
そして彼のもう1つの顔、それが『グレート・ムタ』です。これは彼が海外武者修行中に海外のマットで活躍するきっかけとなった彼の化身です。アメリカではムタの人気はもの凄いものがあったそうです。帰国後も度々この姿を披露しましたが、僕はかなり大好きです。特に凝った入場シーンはいつも楽しみに見ていました。ちなみに武藤は第3の化身として「国師無双」というレスラーにも変身します。
武藤は新日本の正規軍としてIWGPの王座にも君臨し活躍していましたが、蝶野が率いる「NWO」という軍団と手を組んだ時期もありました。しかし、2002年に新日本を離脱し全日本プロレスに移籍し、現在は全日本プロレスの社長も務めています。
そして最後の闘魂三銃士が、「黒のカリスマ」と呼ばれる蝶野正洋です。彼の特徴は黒のロングタイツに口ひげ、そして『I'm CHONO!』という口癖です。やたらとテレ朝のアナウンサーに絡んだり、恐い口調でにらみつけたり「悪」というイメージがありますが実はすごく良い人なんですよ。
彼は新日本プロレスが夏に開催する「G1 CLIMAX」という大会に非常に強く、「夏男」という代名詞がついています。そして彼はその後ヒール役に徹し、「NWO JAPAN」や「TEAM2000」などの軍団を結成し、新日本のマットを席巻しました。
彼の主な技は、ケンカキック、バックドロップなどの基本的なものが多く、STFなどの関節技もありますが、急所攻撃などの反則技も平気でやってのけます。
しかしそんな表向きとは全く異なり、裏の顔は実に紳士的であり、年上の人には必ず敬語を使い、どんな人に対しても挨拶は礼儀であるとする一面も持ち合わせえているのです。プロレス界の中では群を抜く常識人なのです。その信頼性は非常に高く、他の各団体からの信頼も厚いのは事実です。それが要因なのか、現在は新日本の現場責任者を任せられています。時には解説なども務めていますが非常に優しい口調が目立ちます。
実はプライベートでも非常に仲の良かったこの闘魂三銃士、お互いが違う道を歩き始め、なかなかその時間は無くなりましたが、橋本真也が亡くなった時の武藤と蝶野の受けた衝撃は非常に大きく、武藤は葬儀場の階段に座り込んだまま立ち上がれなくなり、蝶野は人目をはばからず号泣する姿が見られました。闘魂三銃士と呼ばれた3人の絆がいかに強かったかがわかります。
こうして、同じ時期にスタートを切った3人のレスラーはそれぞれが自分の個性を活かし、自分の道を切り開いていったわけですが、その全く違う3つの個性がのちにプロレス界を活性化させることになりました。それは新日本のリングにおいては極めて大きな役割を果たし、その貢献度は非常に高いものがあったと言えるでしょう。
この「闘魂三銃士」が活躍した1990年代の新日本プロレスはまさに第2次黄金時代と言っても過言ではないでしょう!しかし、そんな時代もつかの間・・・新日本にはすぐにまた暗い低迷の時代が訪れるわけですが、それはまた次のお話で。
それでは今日はこのへんで。
(今日のマニアック有名人しりとり)
み 三上大和(みかみやまと。日本テレビ系『天才たけしの元気が出るテレビ!』の「平成口ゲンカ王」のコーナーで独特の津軽弁でお茶の間の人気者になり、それがきっかけで芸能界入りを果たす。現在は俳優として活躍している。父は羽柴グループ代表の羽柴誠三秀吉で、惜しくも敗北した夕張市長選挙につづき、今度の参議院選挙にも立候補する予定。)
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コメント
こんにちは。
橋本真也の訃報には驚きましたよね。
彼のバラエティー番組などでの照れくさそうな姿と
おちょぼ口で物を食べる姿が思い出されます。
肉体も心も強い人は普段は強がる必要もなく
人にやさしくできるんでしょうね。
男はやっぱり強い男には憧れるよね。
投稿: fotofoto | 2007年6月30日 (土) 06時27分
fotofotoさん
こんにちわ。
プロレスファンの僕にとって橋本真也の死はかなりのショックでした。もうあの勇姿を見れないなんて。
よくバラエティー番組にも出てましたね。リングを降りたら、本当に優しい一人の男になるんですよねレスラーって。
男はやっぱり優しさがないとダメですよね。それが本当の意味で強い男ですよね。
投稿: 猫男爵 | 2007年6月30日 (土) 08時39分
でた!橋本・蝶野・武藤!
中でも僕は橋本真也の大ファンでDDT、垂直落下式DDT、ジャンピングハイキックなどの豪快な技!三角締めはよく真似してました。あのミドルキックは一度でいいからくらってみたかったですねー。まさに破壊王でしたね!
投稿: 氷屋 | 2007年7月 2日 (月) 08時00分
氷屋さん
こんにちわ。いや〜橋本真也、いいレスラーでしたね。でも氷屋さんがあのキックくらったら、確実に泡噴いて失神しますよ!でも僕もその気持ちわかりますよ。どれくらい強烈なのか体感してみたいですよね。どんだけMなの〜(笑)
今度プロレス大会開催だね!学校に泊まる時にでも、僕と氷屋さんとグレート・ハタと三人でミニバレー三銃士結成しましょう!
投稿: 猫男爵 | 2007年7月 2日 (月) 12時36分