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2007年5月14日 (月)

ウルフが泣いた日・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

今日も春の陽気に包まれた穏やかな一日でしたね。もキレイに咲き誇り、その鮮やかなピンクの景色についつい見とれてしまいますね。この桜が散り始めると、いよいよ本格的な夏が到来です!僕が一番ワクワクする季がいよいよ目前に近づいてきました!

さて、実は今から16年前の今日1991年5月14日は、ある一人の大横綱が土俵を去る決意をした日なんです。彼はその小さな体に筋肉という鋼の鎧をつけ、自分よりも大きい数多くの力士を投げ倒し、数多くの名勝負と数多くの大記録を残し、『昭和の大横綱』とも称されました。そしてその鋭い眼光から付けられた愛称が『ウルフ』です。そう彼の名は、千代の富士

僕は小さい頃から、よくテレビの前で祖父と一緒に『相撲』を見ていたそうです。あまりにも幼すぎて僕の記憶にはあまりないのですが、親に聞くとそう教えてくれました。そして、好きな力士が出てくると手を叩いて応援していたそうです。その力士がどうやら『千代の富士』だったそうです。残念ながら、祖父は僕が5歳の時に他界したので、あまり一緒に相撲を見る事はできなかったのですが、少しだけ僕の記憶にも祖父と一緒に見ていた記憶はあります。

そして忘れもしません僕が6歳の時の大相撲初場所、当時関脇だった千代の富士が、当時の大横綱北の湖と行った優勝決定戦。千代の富士は土俵中央で横綱を投げ倒し、その瞬間初優勝を飾ったのです!僕は万歳をしながら歓喜したことを今でも強く憶えています。

その優勝が評価され千代の富士は大関に昇進し、そしてわずか3場所で大関をかけ抜け横綱までかけ上がっていきました。当時は「ウルフフィーバー」が日本中をかけ抜けていきました!

彼の魅力は何と言っても、そのキリっとした顔立ちと、鍛えられた筋力、そして得意の左上手から繰り出す強烈な投げ技、そして僕が一番好きだったのは彼の四股です。

横綱の土俵入りには雲竜型不知火型の2種類があります。千代の富士は前者の方でした。(ちなみに現在の横綱朝青龍も雲竜型です)その彼の土俵入りは同じ雲竜型でも明らかに他の横綱と違う点がありました。それは四股の際に天高く上がる足です。普通の力士からは考えられないほどの高さまで上げられた足は、空中で一瞬静止したのちに、力強く踏み降ろされるのですが、その間体にはわずかなぶれもない堂々たる四股なのです。無論それは鍛えられた彼の足腰があったからこそできた四股であることは、他の力士の四股と比較すればわかることでした。

実はその足腰の強さは、漁師の息子として漁を手伝っていた少年時代に培われたと言われています。少年時代から抜群に運動神経の持ち主だった彼は、15歳の時に九重部屋に入門したのです。

しかし、彼の道のりは決して平坦なものではありませんでした・・・小さい体で大きな力士と戦うその代償は大きく、彼は何度となくケガに見舞われ、とうとう肩の脱臼癖が彼の前に立ちふさがったのです。入退院を繰り返し、脱臼との戦いが始まりました。しかし、この時彼が考えたのは『肩を筋肉で固めて脱臼を防ぐ』という方法でした。彼は死に物狂いでウェイトトレーニングに励み、そして活路を見出していったのです。

そして手に入れた横綱の地位では数多くの記録を残したことは皆さんもご存知ですよね。1986年~1987年にかけては5場所連続優勝、1988年には破竹の53連勝(これは双葉山の69連勝に継ぐ歴代2位の記録です)を達成しました。この瞬間を僕はテレビで観戦していたのではっきり憶えています。翌日、大乃国に敗れ連勝がストップした時、本気で大乃国を殴りたかったです。1989年には通算勝ち星数の新記録を達成し、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞しました。

そして迎えた1991年5月夏場所、35歳になっていた彼の優勝回数は31回で、あの偉大な横綱大鵬が残した32回の大記録にあと1回までせまっていたのです。そんな状況で迎えた夏場所初日、彼の前には『時代』という大きな壁が待ち構えていたのです・・・彼は18歳の新鋭に敗れたのです・・・その18歳の新鋭とはあの貴乃花だったのです。

運命とは皮肉なもので、1970年代相撲界一のヒーローだった大関貴ノ花(貴乃花の父)を破り、引退を決意させたのが、当時まだ若手の力士だった千代の富士だったのですが、その千代の富士が今度は、貴ノ花の息子に敗れる日が来るとは・・・まさに運命としか言いようがありません・・・

この取り組みが彼の心にある決断をさせました。その2日後の取り組み後、千代の富士は突然「引退会見」を開きました。僕はこの会見をリアルタイムで見ていたのでよく憶えています。最初、彼は笑みを浮かべながら引退に至る経緯を話していました。が、しかし突然彼は下を向き、こう話出しました。『体力の限界、気力も無くなり、引退することになりました・・・』まさに男の涙でした。僕は当時、高校生でしたが溢れ出す涙をおさえることができませんでした・・・彼が流した男の涙は今でも忘れることはできません。本当に忘れられないワンシーンです。

通算勝利1045勝(歴代1位)、優勝回数31回(歴代2位)、横綱在位59場所、彼が残した記録は語りつくせないほどあります。しかし、それ以上に彼の力強い相撲が僕の心にしかっりと残っているのは、彼が努力と根性で掴み取った真の強さがあるからではないでしょうか・・・

今、相撲は一時の「ウルフフィーバー」「若貴フィーバー」が終焉をむかえ、相撲人気は不遇の時代を迎えています。その背景には、外国人力士にたよりすぎる現状と、千代の富士のような国民を虜にさせる力士を育成できないという体制があるのではないでしょうか・・・どうかこれから国民的ヒーローが育ってくることを一相撲ファンとしては願わずにはいられません。

彼の名前を僕はこれから先も永遠に忘れることはありません。そして、彼の事を知らない若い世代にも彼の名前を伝えていきたいと僕は思います。どんなに時代が変わろうとも、国民に愛された大横綱の名前を・・・

その横綱の名前は「第58代横綱千代の富士」

それでは今日はこのへんで。

(今日のマニアック有名人しりとり)

と トニー・タップス(アメリカ出身の元プロボクサー。1985年にWBA世界ヘビー級王者になったが、その後王者を陥落し、1987年に東京ドームでマイク・タイソンにWBA・WBA世界統一ヘビー級タイトルマッチに挑むも、2RでKOされた。)

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