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2007年4月18日 (水)

僕らの黄金世代 ~二十二の瞳~

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

皆さんは小さい頃、夢中になったスポーツはありましたか?僕は前にもお話したように、本当は野球がしたかったのですが、僕の住んでいるところには野球少年団がなかったので、その代わりに「サッカー少年団」に入ってました。

僕の住んでいる町は、人口1万人ぐらいの小さな町です。小学校も1~6年生合わせても200人~250人くらいの小さな学校です。

そんな大自然に囲まれた小学校で僕は6年間、のびのびと自由奔放に学びました。そして、僕の学年は運動においては凄く優秀な子供たちが多く集まった学年で、陸上、水泳、スケート、アイスホッケー等、多くの分野で活躍する多彩な人材の宝庫でした。その中でも僕が所属していた「サッカー少年団」では僕達が4年生の時点で、11人のレギュラー中、8人が僕達4年生で占めるという頭ひとつ抜きに出た学年だったのです。その活躍ぶりから当時僕らは「黄金世代」と呼ばれていました。

4年生の時は、若さからか地区大会2回戦で敗退しましたが、その潜在能力については大会関係者から高い評価を得ていたという事を、のちに監督から聞いたことを憶えています。

そして迎えた翌年、僕ら5年生の黄金世代は9人がレギュラーを占め、ひとつ上の6年生は2人しかレギュラーになれませんでした。別に人が少ないわけではなく、6年生はみんな補欠にまわってました。たぶんその頃の部員数は4~6年生合わせても50人くらいはいたと思うので、いかに僕らの学年が凄かったのかということがわかると思います。しかし、この年も地区大会では3回戦敗退・・・と満足いく結果を出せないまま、不完全燃焼に終わりました。

そして最後の年、いよいよ6年生で迎える地区大会です。黄金世代は円熟味を増し、11人のレギュラーを全部6年生で占めました。小さい頃から組んでいるフォーメーションも戦術も完璧で、監督も『優勝を狙えるチームだ』と絶賛していたほどです。

当時の小学生の基本のフォーメーションは3-3-4という形でした。これは、当時大人気だった「キャプテン翼」も同じでした。僕らは翼くんの影響をもろに受けた世代で、『ボールは友達』というのが口ぐせで、暇さえあればリフティングやドリブルをしていました。

ちなみに地区大会の休憩時間に行われる「リフティング大会」で僕は130回で5位になり、黄金世代の主将をしていたKっくは181回で準優勝になりました。

では、その「黄金世代」のメンバーをご紹介しましょう!

まずはGKYじ。彼は小6にして170センチを越える長身で、まさにGKにぴったりでした。そしてその運動神経は陸上競技でも活かされ、陸上の小学生北海道選抜大会で「走り高跳び」で2位になった実績を持っている強者でした。黄金世代の活躍は彼の守備力なくして語れません。しかし、彼の弱点は喧嘩っ早いということです。何度試合中に相手を蹴り飛ばして審判から注意されたことか・・・それは成長してからも変わらず、高校1年生の時に教師を殴り退学になっちゃいました・・・

そしてDFです。当時のDFは今のように3バックとか4バックのように横に一列になる配列でなく、GKの目の前にいるスイパーと、左右のサイドバック、そして今でいうボランチにあたるところにいるストッパーというダイヤモンド型のポジションでした。スイパーにはKっさが最後の砦として立ちはだかり、右サイドバックにはTん、左サイドバックにはIっし、そしてストッパーにはMる(彼はYじが暴行で退場になった時にはGKもやりました)が務めました。

そしてMFです。当時はMFとは言わず、ハーフと言ってました。センターハーフいわゆる今の時代ではトップ下というポジションには、チームの要であり主将のKっく。彼のスルーパスやループシュートは当時から高度な技術で、チームのみんなの信頼は厚いものでした。そして右のハーフにはTみ、左のハーフにはMという陣形でした。

そしてFW陣です。FWはセンターフォワードと左右のウィングというのが当時の定番でした。右のウィングにはドリブルとセンタリングのスペシャリストで「10」番を背負うMき、そして左のウィングにはヘディングが得意なNお。そして、点取り屋のセンターフォワードでは僕猫男爵が活躍していたのです。特に、Mきと僕のコンビは当時の翼くん&岬くんになぞらえて「ゴールデンコンビ」と呼ばれていました。

この11人のメンバーで臨んだ最後の大会は、1回戦、2回戦、3回戦と順調に快勝し、僕も3試合で7得点の大暴れ、Mきも3回戦ではハットトリック達成と、その勢いは目を見張るものがありました。そして迎えた準々決勝!相手は強豪O少年団、試合は1対1でPK合戦へ!僕も2番手として慎重にゴールを決めましたが、O少年団の最後の選手の蹴ったボールがYじの手をかすめて、ゴールネットを揺らした瞬間に僕ら黄金世代の時代は終わりを向かえてしまいました・・・PK合戦の末3-4で負け、ベスト8で敗退・・・優勝という目標には手が届きませんでした。

でも、みんなで共に汗を流した小学生の時の思い出は今でも忘れられません。野球少年団が無かったことが、逆に僕にこんなに素晴らしい時間を与えてくれたのかもしれません。でも、結局は黄金世代の多くも本当は野球をやりたかった子供ばっかりだったので、みんな中学生になると野球部に入り、黄金世代はそのまま野球という別のスポーツでまた一緒にプレーすることになりました。

今日は今から20年あまり前の、ある町で光り輝いていた「黄金世代」と呼ばれた僕と10人のお友達のお話をしました。僕を含めた11人のその「二十二の瞳」には固い絆で結ばれた熱い友情がはっきりと映し出されていたことでしょう・・・

皆さんも何かの形で「黄金世代」と呼ばれた経験はございませんか?固い絆で結ばれ、同じ時間を共有できた幼なじみってとても大切な存在ですよね。

それでは今日はこのへんで。

(今日のマニアック有名人しりとり)

お 尾形大作(おがただいさく。1980年代後半に活躍した演歌歌手。デビュー曲は「無錫旅情」。)

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コメント

猫さんすごいですね!センターフォワード、花形ですね!
僕は猫さんと逆で、サッカーがしたかったのに、野球少年団しかなくて野球をやっていましたよ。
いやぁ~きらいでねぇ、投げるのと打つのが・・・守るのは大好きだったんですけどね、ショーバンとか超得意でした!なのでファースト。でも内野ゴロでアウトとったあと、ピッチャーにボールを返すたびに緊張してましたねぇ、どこ飛んでくかわかんないんですから(笑)。

投稿: Hこ | 2007年4月19日 (木) 11時55分

Hこさん
僕とHこさん入れ替われば良かったですね。お互いにやりたいものができなくて、仕方なくやっていたスポーツがお互いのやりたかったものだなんて・・・不思議な巡り合わせですね。
ちなみに当時僕が憧れていたサッカー選手は、日本では木村和司(日産)、海外では当時「将軍」と呼ばれていたプラティニ(フランス代表)です。

投稿: 猫男爵 | 2007年4月19日 (木) 18時04分

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