永遠という名の遺言・・・
こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。
今から15年前の今日、1992年4月25日、それは僕の大好きな偉大なカリスマが天国へと旅立った日です・・・
彼は、一人の歌手であり、多くの若者達の代弁者でした。彼が送り届ける歌声にどれだけの若者達が救われ、そして生きる勇気、希望をもらった事でしょう・・・
たった26年という短い彼の生命は今も、僕を含めた多くの人々の心の中で光輝いて生き続けています。そう、彼の名は尾崎豊。
僕が初めて彼の事を知ったのは、中学2年生のときです。当時人気のあった『夜のヒットスタジオ』という番組を何気なく観ていた時のことです。ある男性歌手が歌うその歌に僕はテレビの前から身動きが取れなくなりました。その心に響いてくる彼の歌声は、一瞬で僕の心を虜にしました。あの時の感動は今でも忘れられません!
僕はすぐに、一緒に見ていた姉に『この人誰?』と聞きました。姉は『何言ってるの!尾崎豊も知らないの?』と僕に言い返しました。6つ上の僕の姉の世代では当時、尾崎は絶対的なカリスマで、「E.YAZAWA」の超大ファンの姉の心ですらも、尾崎は揺れ動かしていたのです。
その時、尾崎が歌っていた曲は『太陽の破片』という歌でした。実は、この半年前に尾崎は覚せい剤取締法違反で逮捕されており、その再スタートがこの番組だったのです。尾崎がテレビに出演したのは後にも先にもこの時だけだったことは、本当に僕にとっては一生忘れられない思い出となりました。
尾崎は1982年10月、CBSソニーオーディションで見事に合格しプロデビューとしての準備に入りました。そして1983年12月1日、尾崎が18歳になった2日後にシングル『15の夜』、アルバム『十七歳の地図』でデビューしました。
しかし年が明けた1984年1月、高校で無期停学処分を受け、出席日数が足りなくなり自主退学しました。ちなみに尾崎が通っていた青山学院高等部には1年先輩に高橋克典が在学していました。また中学校時代の同級生には中田久美(元バレー日本代表)がいたそうです。
この頃、全く無名な尾崎の事を知る人はあまりいなく『十七歳の地図』は、さほどセールスをあげたわけではありませんでした。しかし、口コミで徐々にその人気に火がつき、4thシングル『卒業』の頃には、絶対的な地位が確立されていました。
その後の尾崎人気は熱狂的なものでアルバム『回帰線』『壊れた扉から』など爆発的なヒットを連発し、いつの間にか尾崎は「若者の教祖」と呼ばれる存在になっていました。誰しもが尾崎豊かの輝かしい未来を確信していました。しかし・・・
1987年12月、尾崎は自分を制御することができずに覚せい剤取締法違反で逮捕されてしまいました・・・彼の人生が大きく挫折の方向へ向かっていきました・・・
翌年6月に歌手活動を再開し、アルバム『街路樹』をリリース、そして不安の中で迎えた東京ドーム公演・・・しかし、彼の目に映ったのは「尾崎を待っていた大観衆」でした!彼の中で沸いてきた感情が最高のステージを演出しました。東京ドームは5万6000千人の満員でした。
その後の活躍は僕もよく知っています。コンサートには行けなくても、姉から尾崎のCDを借りてよく聞いていました。聞くたびに尾崎のメッセージがどんどんと僕の胸に熱く響き、『人とは何なのか。生きるということは何なのか。』そんな人間として一番考えなければいけない事を尾崎は歌を通して僕に教えてくれました。
そして、いつか僕も『尾崎のようになりたい!尾崎のように生きたい!』そんな強い憧れを抱くようになってきました。
そんな僕が尾崎色にどんどんと染まっていき始めた頃に悲劇は起きてしまいました・・・
僕が高校3年生の4月25日、姉が泣きながら『尾崎が死んだ・・・』と僕に言ってきたのです。僕は耳を疑いました。『嘘だろ・・・』でも、それは紛れもない事実でした。僕は泣く以前に途方に暮れました。現実をまともに受け止めれませんでした・・・『尾崎が死ぬわけがない・・・』と。
その「尾崎の死」には今も様々な見解や憶測がされています。自殺、他殺、事故死、覚せい剤・・・でも、僕はそれについては深く考えていません。なぜなら、尾崎は尾崎であって、どんな結果であっても彼に対する思いは変わることはないし、それに彼は今も僕の中で生き続けているからです。
僕が大好きな尾崎の歌のひとつに『Forget-me-not』という歌があります。この中で尾崎はこう言っています。『僕の胸でおやすみよ、二人の人生分け合い生きるんだ。愛の行方に答えはなくて、いつでも一人ぼっちだけど・・・幸せかい?ささやかな暮らしに、時はためらいさえも、ごらん愛の強さに変えた♪』と。人には愛が必要で、それを大切にしていかなければならない。そんな事を僕はこの歌を聞いた時に強く感じた事を思い出します。
尾崎豊、享年26歳。彼が残した足跡は今も尚、多くの人々によって語り継がれ、彼の心の叫びはこの先もずっと僕たちの心で生き続けていきます。それが尾崎が自分の命を犠牲にしてでも、伝えたかった僕達へのメッセージだったのではないでしょうか・・・『生命は絶えても、愛や正義、幸福や希望は絶えることはないんだよ。そこに永遠は存在するんだよ。』そんな事を彼は伝えたかったのではないでしょうか。
尾崎が残したもの、それは「永遠」という名の遺言なのではないでしょうか・・・そして、それが尾崎が生きた証なのではないでしょうか・・・
あれから15年、世間は何事もなかったかのように時間だけが無情に過ぎていきます。しかし、そこには紛れもない事実がひとつだけ存在します。それは、「尾崎豊は生きている」という事実です・・・尾崎ファンのみならず、尾崎の事をあまりよく知らなかった人も今日は彼の事を、頭の中で想像してみてください。きっとそこには、はにかんで笑う彼らしい素顔が浮かんでくるはずですよ・・・ありがとう!尾崎豊!そして、これからもよろしく・・・
それでは今日はこのへんで。
(今日のマニアック有名人しりとり)
き キートン山田(声優やナレーターとして主に活躍する。有名なところでは、アニメ『ちびまる子ちゃん』のナレーションを担当している。)
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コメント
こんにちは。
1日遅れたけどこの話題は素通りできないね。
ホント、カリスマっていう存在だったよね。
死んでから美化されすぎたのが一時嫌だったけど
彼の映像をいつ見ても色あせないのは、やはり
永遠を感じるね。書き始めたらキリがないんで
あえては書かないけど、いつかゆっくり語り合いたいね。
投稿: fotofoto | 2007年4月26日 (木) 19時40分
fotofotoさん
こんばんわ。
そうなんですよ、彼の事は言葉では語り尽くせないし、話したらキリが無いんですよ。
本当に今度ゆっくり『尾崎談義』しましょうね!
来月、僕は東京の姉の所に遊びに行くのですが、尾崎がこの世を去った現場(今は「尾崎ハウス」になっている)に足を運んでみようかと計画中です。
投稿: 猫男爵 | 2007年4月26日 (木) 20時10分