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2007年4月29日 (日)

闘魂列伝 ~分裂期~

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

今日は一日晴天に恵まれ、絶好の行楽日和でしたね。僕は朝から我が家の愛犬たち(4匹)を年に1回の予防注射に連れていきました。「キョウボウ」も嫌な顔ひとつせずに注射を受けました。みんなお利口さんでした(笑)

昨日、友人Hきからとんでもない話を聞きました。何とHきが停まっている黒ワーゲンを見たというのです・・・そしてその後さらに、今度は動いてる黒ワーゲンを見たというのです・・・Hきも思わず『もう、ダメだわ・・・絶望的だ・・・』と嘆いていました。すると、その直後Hきの身にまたしても黒ワーゲンの呪いが・・・しかも3つも・・・

(その1)Hきは国道を車で走行していたそうです。すると、ありえない事にセンターライン上に白い犬が!センターラインと同色なために、直前までその存在に気づかなかったそうです・・・危なくひくところだったと、心臓ドキドキもんだったと言ってました。

(その2)Hきの愛車Sープラの左リアのショックからオイル漏れが発覚・・・車を一番大切にするHきにとってはショックな出来事・・・

(その3)Hきがよく行くそば屋の店員のお姉さんが、最近見かけないので『やめたんだ・・・』と思っていたら、昨日店に出てたみたいで、そのお姉さんを気にいっていたHきは大喜び!しかし、実は「育児休暇」で休んでいたみたいでした・・・むごい・・・むごすぎる・・・頑張れHき!

実は先週の日曜日もHきは停車している黒ワーゲンを見たそうで、1週間のうちに動いている黒ワーゲンを1台、停車中の黒ワーゲンを2台も見たことになります。これを黒ワーゲンの呪いと言わず何と言うのでしょう!恐るべし黒ワーゲン・・・

さて今日の本題に入ります。プロレスファンの皆さんお待たせしました。闘魂列伝の第3弾!今日は「分裂期」として1980年代半ばのお話をさせていただきます。

新日本プロレスは1980年代前半に幅広いファン層の支持により黄金期を迎え、更なる躍進へと向かっていくはずでした。が、しかし・・・猪木のワンマン運営に反旗を翻す若手が登場しました。まずそのひとりが長州力です!

新日ブームで沸く1982年、長州力は師と仰ぐマサ斎藤らと共に「維新軍」を結成します。実はこれ以前の長州力の髪型は今では想像もつかない角刈りで、プロレスのスタイルも地味であまり目立たない感じでした。しかし、これを機に髪を長髪にし、スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットを真似して、「リキ・ラリアット」という技を見出したのです。

そしてライバルである藤波辰己に対する『俺は、お前のかませ犬じゃない!』という発言を発端に、「革命戦士」として一躍ブレークすることになりました。この頃の事は僕もリアルタイムで見ていたのでよく憶えていますが、毎週何かが起きそうで、いつもワクワクしながら見ていたことを思い出します。

そして1984年、長州力は維新軍団をはじめ新日本の体制に不満を持つレスラーを引き連れ、「ジャパンプロレス」という団体を旗揚げし、新日本を脱退し戦いの場を全日本プロレスへと移していったのです。その主要メンバーは、長州力、マサ斎藤、アニマル浜口、谷津嘉章、馳浩、佐々木健介、小林邦昭、キラー・カーン、寺西勇、栗栖正伸、保永昇男、永源遥などの面々です。

僕が一番印象に残っているのが、この当時ジャパンプロレスが着ていた背番号が入ったジャージです。もの凄く格好良くて凄く欲しかった事を今でも憶えています。そして、維新軍VS正規軍の5対5の勝ち抜き戦などは固唾を呑んで観ていました。最高に面白い時代でした!

長州力のプロレススタイルは常に一貫していて、リキ・ラリアット、サソリ固め、バックドロップと決して技を多く持つスタイルではないのですが、それが逆にファンの心を掴んで離さなかったのかもしれません。そして、入場曲の「パワー・ホール」!あの音楽を聞くと今でも何だかとても心がワクワクするのは僕だけでしょうか?

その長州力の離脱と時を同じくして、もうひとりの若手が反旗を翻しました。それは後に「格闘王」と呼ばれた前田日明です。彼は後に初代タイガーマスクになる佐山聡にスカウトされ、新日本の門をたたきました。そして海外修行で徹底的なキックと関節技を中心としたファイトスタイルを確立し、帰国後は新日本新世代のエースとして期待されていました。

しかし1984年に、前田はUWF(第1次)という団体を旗揚げし、サブミッション(関節技)やキックを中心とした独自のスタイルを貫くために新日本を去ります。第1次UWFの主要メンバーは、前田日明、藤原喜明、高田延彦、山崎一夫、安生洋二、木戸修、佐山聡(途中から参加)などです。

旗揚げ当初はうまいくいっていたUWFも、TV放送が無いことや、途中から参加してきた佐山と前田の確執が浮き彫りになり、わずか1年余りで崩壊し、前田らは失意のまま新日本へ出戻りすことになったのです。

そして復帰した新日のマットで前田は以前に増して輝きを取り戻し、大活躍していきます。しかし、決して正規軍と融合することはなく、あくまでもUWFのスタイルは通してました。

そんな中でも語り継がれる名勝負として、前田VSアンドレ・ザ・ジャイアントの試合があります。2メートルを超す巨人アンドレに対し、前田は圧倒的な試合展開をし、アンドレを戦意喪失にまで追い込む完璧な試合内容でした。

そして、新日本とUWFの抗争も沈静化し始めた1987年に、長州力率いるジャパンプロレスが新日本に電撃復帰します。そして猪木に支配されている新日マットに対し長州が放った『藤波!前田!お前らは噛み付かないのか!今しかないぞ、俺たちがやるのは!』の発言で、新世代軍を結成し、旧世代軍との全面抗争へと向かっていきました。

しかしそれもつかの間、長州がその宣言を一方的に撤回したことにより、UWF対ジャパンの抗争へと変化していったのです。そして迎えた6対6の全面抗争!ここで事件は起きました!防御のできない状況の長州の顔面に前田が強烈な蹴りを入れ、長州は「顔面骨折」の重傷を負ったのです。いわゆる「前田顔面蹴撃事件」です。これにより前田は無期限出場停止処分になり、メキシコ遠征を言い渡されたのですが、それを断り解雇になったのです。

この試合はテレビで見ていましたが、かなり衝撃的でした!それと同時に前田のキックは当時学校で大流行していて、ニールキック遊びといのが休み時間の楽しみでした!

そして前田は1988年に、第1次UWFのメンバーに加え、船木誠勝、鈴木みのる、田村潔司、垣原賢人などを引き連れ、第2次UWFを旗揚げすることになりました。

この、長州力、前田日明が新たな団体を旗揚げし革命を起こしている時に、新日本のマットを守り続けていた若手のエースが藤波辰己です。

彼はジュニア時代から甘いマスクと鍛え抜かれた体が女性ファンの的を得て、人気のあったレスラーでした。「ドラゴン」の呼び名で繰り出される数々の技には、数多くのファンも魅了されました。僕もその一人です。ドラゴン・スープレックス、ドラゴン・スリーパー、ドラゴン・スクリューなどは全て彼の生み出した技です。

彼は「名勝負製造機」とも言われ、長州との対戦は「名勝負数え歌」と言われました。また藤波は現状に対しての、改革意識が強く、猪木に対して自らの前髪を切って訴えた「飛龍革命」はあまりにも有名な話です。

そして1999年~2004年までは、猪木と共に新日本の低迷期を支えた功労が認められ、新日本プロレスの社長を務めました。しかし、外へ飛び出した長州や前田に比べ、常に猪木の影の存在的なイメージがある藤波は、最後まで猪木を越えることはできなかったと考えられます・・・

こうして1980年代半ばの新日本プロレスは、長州力前田日明藤波辰己という3人の新世代の登場で大きな分岐点を向かえ、新団体を旗揚げした長州、前田の離脱により選手不足や人気低迷が露呈し、それを支える藤波らの負担が大きくなっていったのです。しかし、その問題の打開策として若手を数多く起用し、これが後の「闘魂三銃士」の隆盛に繋がるわけですが、そのお話はまた次の機会にとっておきます。

それでは今日はこのへんで。

(今日のマニアック有名人しりとり)

み 宮内洋(みやうちひろし。「仮面ライダーV3」や「ゴレンジャー」などの特撮もので活躍した俳優。「スケバン刑事Ⅱ鉄火面伝説」では南野陽子の父親役も演じていた。)

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