« 大人だけのかまくら作り! | トップページ | 妄想旅行へGO!! »

2007年2月26日 (月)

「キング」であるために・・・

こんばんにゃ~ 北の猫男爵です。

今日、2月26日は僕が人生の中で最も尊敬している「キング・カズ」こと三浦知良選手の40回目の誕生日です!

カズも気がつけば不惑(40歳)を迎え、Jリーグ最年長選手。数多くいた同年代の選手はほとんど引退し、指導者や解説者の道へと進んでいます。

カズの頭にも白いものが少しずつ目立ち始め、額のしわも増え、その表情には年齢を感じるものがあります。しかし、体力的には今でも20代半ばの体力数値を維持するほどの超人ぶりを見せており、チーム練習でも常に先頭に立って若手を引っ張っている姿をよく目にします。

僕が彼の事を尊敬する理由は、サッカーというものに対するその徹底した姿勢と、それによる人間らしい生き方です。彼の持論にこういう言葉があります。「今の自分ができる最良のプレーをするために、最良の準備で臨む。」この言葉からも彼の人間性、そしてひとつの物事に対しての取り組む姿勢がよくわかりますよね。

僕は小学校1年生から6年間サッカーをずっとやっており、中学校入学の時に、サッカーを選ぶか野球を選ぶか相当悩み、野球を選んだわけなんですが、本当はサッカーのほうが大好きでした。その時、僕の姉が「これからは絶対サッカーの時代だから、サッカーやったほうがいいよ!」とアドバイスしてくれたのですが・・・今となっては姉の言うことを聞いておけば・・・と後悔の念も少しあります。

そんなサッカー好きの僕が、カズと初めて出会ったのは高校1年生の時です。何げなくサッカーの試合(当時は日本リーグ)を見ていた時です。今まで見たことのない若い選手が、今まで見たことのないフェイントで相手を抜き去りゴールを決めたのです。そして観客に向かってダンスを踊り始めたのです。「えっ!?誰?これ?」僕は思わずテレビに目を近づけました。すると「FW三浦知良(23歳)」という名前を僕はテレビを通じて初めて見たのです。それが、僕がカズを初めて見た日でした。その日から僕の心の中でカズへの熱い魂の火が燃え始めたのです!!

カズは高校を1年で中退し、単身ブラジルへ渡航、1986年に18歳の若さでブラジルの名門サントスFCとプロ契約をし、僕たちの知らない地球の裏側で、たった一人で自分の夢に向かって走り続けていました。

当時の日本はサッカー後進国と言われ、ブラジルでサッカーをするカズは最初、まったく相手にもされず、試合出るチャンスすらなく、練習にあけくれる毎日だったそうです。その辛さに耐え切れず何度も日本へ帰ろうと思ったそうです。でも、彼のサッカーに対する情熱、そしてこのころから抱いていた「日本をワールドカップへ出場させる!」という強い思い、これだけがカズを支えていたのです。

そして、23歳で日本へ凱旋。その時の彼の第一声は「日本代表をW杯に出場させるために帰ってきました」だったのです。

そして1993年5月、ついにプロリーグのJリーグが始まったのです!カズは眩しすぎるほどの輝きを見せて、日本サッカーを引っ張っていき、初代JリーグMVPに輝きました。その勢いのまま最高の状態で、いよいよ1994年アメリカW杯アジア予選を迎えたのです。

W杯予選はまさにカズのものでした!出る試合出る試合ゴールを量産し、日本の不動のエースとして大活躍。日本中で「カズ!カズ!」の声援が鳴り止みませんでした。そして向かえた運命の日・・・最終戦イラク戦。当時大学生だった僕はこの試合を札幌で最初から最後まで目を離さず見ていました。

試合は後半45分をむかえ、2対1で日本のリード。このまま時が過ぎれば、日本は念願のW杯出場です。誰もがそれを確信していました。しかし、目の前に起こったのは歓喜の姿ではなく、悪夢でした・・・

ロスタイムに相手チームの選手がセンタリングを上げようとしました。カズはそれを阻止しようと最後まで粘り足を出しました。しかし、カズの足の先をボールはかいくぐりゴール前へ、そして空中戦による競り合い、無情にもボールは日本のゴールネットへ・・・時が止まりました・・・

僕は何が起きたのか理解するのに少し時間がかかりました。目の前に起きた現実を受け止めることができませんでした・・・

そして試合終了の笛が響き渡りました・・・試合には負けてません。2対2の同点です。しかし、日本の選手はその場に崩れ落ち、誰ひとり立ち上がれませんでした。僕は今でもその風景が目に焼きついています。あんなに悲しい「11番」の背中は後にも先にもあの時だけです。これが、いわゆる「ドーハーの悲劇」です・・・

カズは止まった時間を動かすのに必死でした。1994年には日本人で初めて世界最高峰のイタリア「セリエA」へ挑戦!東洋人初のゴールを決め。翌年には日本に復帰。1996年Jリーグ得点王。あらゆる称号がカズを取り囲みました。ただひとつ、W杯出場という一番必要なものを除いては・・・

1997年秋、そして再びカズはW杯予選の舞台へと立っていました。1998年フランスW杯アジア最終予選。カズは走りました。夢を自分のものにするため、4年前の止まった時間を動かすために・・・しかし、その必死さが逆に彼の輝きを奪っていきました。カズはスランプに陥り、得点はおろかシュートさえも打てない状態に・・・

そしてむかえた第3代表決定戦、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」この試合に勝てば日本は念願のW杯出場です。カズは先発出場し幾度となくチャンスを演出しましたが得点には至らず、そして後半、カズに交代の命がくだったのです。今まで日本代表として一度も途中交代がなかったカズには衝撃的な出来事でした。テレビを見ていた僕も「何でだよ!何でカズ代えるんだよ!」と思わず叫びました。結局試合は、「野人」岡野の伝説的なゴールで勝ち、日本代表はW杯出場を果たしました。

そしてW杯本大会目前のメンバー発表。そこに「カズ」の名前はありませんでした・・・

日本をW杯に出場させるために単身ブラジルに渡ってから15年、カズにとってはあまりにも残酷すぎる現実でした・・・僕も当時、それを決めた岡田監督を本気で殴りにいこうかと思うくらい腹が立って、悔しくて、悲しくて、涙が止まりませんでした。でも、その時の僕の悲しみを癒してくれたのもカズでした。

カズは傷心のまま合宿先のフランスから日本に帰国し、そこでこう言ったのです。「日本代表としての誇り、魂みたいものは向こう(フランス)に置いてきたから。」

僕はこの言葉を一生忘れません!彼が持ってる日本代表としての誇り、これは誰にも負けないものであり、そしてサッカーに対する情熱はどの選手よりも一番持っているからこそ出た言葉なんだと思います。これが、彼が「キング」と言われるゆえんなんではないでしょうか。僕はこの時改めて、また「カズ」という人間が大好きになりました!!

その後、2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯と、日本代表に「11番カズ」の姿を見ることはありませんでした。

日本のサッカー界は今や、多くの選手が海外へと行き、そして活躍する時代へと変貌しました。国際的にも日本は「サッカー後進国」から脱皮したと言っても過言ではないでしょう。しかし、その時代の先駆者として、夢を追い、そして掴むために異国の地へたった一人で旅立った少年がいたからこそ、今の日本のサッカーがあるということを皆さん決して忘れないで下さい。

そして、その彼は今も現役プレーヤーとして日々、練習に励み、汗を流しています。もしかしたら、彼の中では、ドーハの時から時間が止まっているのかもしれません・・・もしかしたら、フランスに置いてきた魂を取りにいこうとしているのかもしれません・・・

次のW杯は2010年に南アフリカで開催されます。僕はそこに光り輝く「11番」の姿があることを信じています。

三浦知良 40歳 W杯のピッチに彼が立つその日まで「キング」と僕の夢は終わらない・・・

今日は僕の尊敬する偉大な「キング」についてご紹介させていただきました。どうしてもスポーツものは長くなって大変申し訳ありません。

それでは今日はこのへんで。

(今日のマニアック有名人しりとり)

ひ 髭男爵(ひげだんしゃく。山田ルイ53世とひぐち君による漫才コンビ。最近よくお笑い番組で見ます。「ルネッサ~ンス」というギャクをよく使う。)

|

« 大人だけのかまくら作り! | トップページ | 妄想旅行へGO!! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/211087/5499748

この記事へのトラックバック一覧です: 「キング」であるために・・・:

« 大人だけのかまくら作り! | トップページ | 妄想旅行へGO!! »