こんばんにゃ~北の猫男爵です。
1974年10月14日、秋風が徐々に染みわたり晩秋へと季節が移り変わるその日、日本プロ野球界が誇る1人の国民的スーパースターがユニホームを脱いだ。
それは、僕がこの世に生を受けて71日目のことである。
『私は今日引退をいたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です』
その名言を残し、ミスタープロ野球「長嶋茂雄」はバットをおいた。
無論、生後2ヶ月の僕にはその記憶はなく、物心がついた頃からテレビで流れるミスターの選手としての過去の映像、そして監督としてユニホームを着ているミスターの姿を目にした。
子供ながらにも、そのスターとしての輝きとオーラはしっかりと感じることができた。
その影響もあってか、僕は幼少期から野球が大好きで、ミスターが活躍していた読売巨人軍の大ファンである。
それは今も変わらず、現在も強いジャイアンツ愛を持ち、声援を送り続けている。
それもこれも、根本にはミスターという大きな存在があったからこそであり、おそらく僕らよりも上の年代においては、野球が好き、巨人が好きというよりも、長嶋茂雄が好きという方が多くいるのではないかと思う。
そして、そのミスターの存在のおかげで日本野球界全体が大きく発展したことは、まぎれもない事実であり、偉大な功績である。
そのミスターが一昨日、この世を去った・・・
頭の中で『いつかこの日が来てしまう・・・』という避けられない思いと、『ミスターにはそんな日は絶対に来ない、来るはずがない!』という現実逃避する自分がいた。
しかし、現実はそう甘くはない、ミスターも人間である、神ではない、遂にその日が来てしまった・・・
6月3日、午前6時39分、ミスターは天国へと旅立った。
見事に全て「3」で割り切れる数字だ。
そして満年齢は89歳、8(や)9(きゅう)だ。
これを偶然と言ってしまえばそれまでだか、本当に最後までミスターは野球が人生の全てだったのだと僕は確信している。
そしてこの6月3日は、次女である長嶋三奈さんの誕生日だというのだから、最後の最後までミスターらしい。
「自分の亡くなった日は決して悲しい日ではないんだよ、三奈が生まれたHAPPYな日なんだよ」という、常に後ろを振り返らず前を向くミスターのそんな思いが感じられるのは僕だけだろうか。
数々の記録と、数々の記憶や伝説を残してくれたミスターではあるが、僕にも忘れられない記憶がある。
あれは僕が中学生の時、僕の住んでいるところの隣町に、名球会のイベントの講演会のためにミスターがやってきた。
僕は父に連れられその会場を訪れたが、もの凄い数の人が殺到していた。
僕と父はなんとか会場に入り講演を聞くことができた。
初めて生で見る長嶋茂雄に、僕は心の底から感動したことを今でも覚えている。
話し方や身振り手振りを交えた動作、どれもテレビで見る姿と同じではあったが、その言葉や仕草の1つ1つに中学生ながら、もの凄い重みを感じた。
これが真のスーパースターなんだと強く感じた。
あれから40年近く経とうとしている今でも、あの時の心の衝動とミスターの姿は鮮明に目に焼き付いている。
僕がもう1度だけミスターを生で見たのは、1993年夏の札幌円山球場での公式戦の試合の時だった。
ミスターが2度目の監督に就任したその年、毎年恒例の北海道シリーズで訪れたジャイアンツの試合を、当時札幌の大学に通っていた僕は友人たちと観戦した。
外野の芝生席での観戦だったので、ベンチにいるミスターは双眼鏡でかろうじて見える程度だった。
しかし試合前に、ミスターは外野のところまできて、観衆に向かい手を振ってくれた。
ほんの些細な心遣いではあるが、ファンにとってはもの凄く嬉しいことだった。
それを自然にできるミスターはやっぱり凄いな、とその時改めて思ったことを今でも記憶している。
おそらくミスターのことを話し出すと、限りがない。
ずっと話ができてしまう。
なので、今日はこのへんにしておくが、最後に僕が好きなミスターの現役時代の写真を2枚だけご紹介したい。

1枚目はこのバッターボックスでの豪快な空振りの写真。
バットを振った時にヘルメットがわざと落ちるように被っていたというのは有名な話ではあるが、打った瞬間の写真よりも空振りをした瞬間の写真がこれほど絵になる人はミスター以外いないのではないか、まさに華があるとはこのことだと思う。

もう1枚は、守備での捕球後のスローイングの写真。
この投げ方、おそらく野球少年たちはみんな真似をしたと思う。
もちろん、ミスターの現役時代を知らない僕も真似をした。
でも、ミスターが見せる守備はまさに魅せる守備、それは観客を魅了する。
その点を僕は学ばせてもらった。
守備は一見地味で、野球をプレーする子供は守ることよりも打つことをやりたがる。
しかし、僕は小さい時から守備が好きだった。
それはミスターの影響があったからかもしれない。
守備で魅せる、常にそれを頭に入れて守っていた。
中学生の時に、部活のコーチから「カッコつけるな基本に忠実にやれ!」と怒られたことがあった。
でも、僕はそれを素直には受け入れず魅せる守備にこだわった。
結果、ミスをすることもなく僕は「守備が上手な子」と周りから言われた。
試合を見に来ている観衆からも、『おっー!』とか『うまいな、あの子!』と声が聞こえてきた。
ミスターの魅せるプレー、これを守備で僕は実践できたとその時、心の中で少し誇らしく思った。
現役を離れても、こうしてミスターの野球に対する思いや情熱は野球少年へと引き継がれている。
それは今も変わらず多くの世代を経て継承されていると僕はそう信じている。
ミスターは天国へと旅立っても、ミスターの思いはしっかりと野球人の中で受け継がれているはずだ。
だからこそ、僕は最後にこう言いたい
『我がミスターは永久に不滅です!』
長嶋茂雄氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2025年6月5日 ミスターを心より崇拝する50歳の野球少年より
それでは今日はこのへんで。チャオ(Ciao!)
(今日の気になるワード)はお休みします。
最近のコメント